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緻密なヒラリー・ハーンと大味なアンドレアス・ヘフリガー

オペラシティコンサートホールでヒラリー・ハーンのリサイタルを聴いた。

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 Op. 47 「クロイツェル」
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第10番 ト長調 Op. 96

アンコール
バッハ:パルティータ2番サラバンド(ハーン・ソロ)
ワーグナー=リスト::イゾルデの愛の死 「トリスタンとイゾルデ」より(ヘフリガー・ソロ)
佐藤聰明:微風

ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン
ピアノ:アンドレアス・ヘフリガー

結論から言うと、物足りないコンサートだった。

3階の見切れ席にて。グザヴィエ=ロトと河村尚子をここで聴いたときもソリストが見切れてたが、今回は二人とも見切れ。

見切れ席が多すぎるから身を乗り出す人が出てくるんだろ(私は背中つけて聴いてます😭)。
そんなホールを作っておいて係員に毎回注意させて回るってナンセンスの極み!
最初から身を乗り出さないで済む設計にしろ!😡

ミューザ川崎なんて3階席でもラトルやオーケストラを見るのに遮るものがなかった。
オペラシティは視界に2つも手すりが入ってくる。

何考えてんだ??😡

2列目の席を高くするとか、手すりの高さを上げるとか工夫しろよ。
当たり前のように見切れたり、視界に手すりが入ってくる構造がおかしい。
誰が設計したんだ?(武満徹が総責任者ではあるまい😓)。

いくらご馳走でも目をつぶって食べて美味しいわけがなかろう😓

とはいえ、今日は音だけでも物足りなさがあった。

一番満足したのはハーンのバッハ。

バッハって生き様が出るね。怖い😅

ハーンって求道的なスタイルで、その音楽的特徴はシャープさや緻密さにあると思っている。

今日のリサイタル、ピアノいらないから全部ハーンの独奏でやってほしかった(ヴァイオリン独奏のクロイツェル……😂)

それくらいピアノのヘフリガーが凡庸に聴こえた。
耳を澄まさせるピアニシモなどない。細かいパッセージがぐちゃぐちゃ潰れている。指を負傷してるのかと思うくらい。

ハーンがピンセットでドミノを細かく並べてるとしたら、ヘフリガーは指で大雑把に並べてるくらいの音楽的密度の差がある。

あるいはハーンが香り高いブラックコーヒーだとしたら、ヘフリガーは砂糖とミルクである。
飲みやすくはなるが、ハーンの音楽性を大衆化する作用にしか感じなかった。

ヘフリガーはアンコールの曲の最後の音でペダルを長く踏み続け、残響音をやたらと聴かせたがったのがセンスないなと思った(曲自体も力まかせで繊細さがなかった)。

最後の佐藤聰明は初めて聴く作曲家だった。雪景色の夜のような風景的な音楽に聴こえた。

ヘフリガーが絡むとハーンの厳しさが丸くなって台無しだ。
ハーン一人でやってくれた方がよっぽどよかった。

最初の「クロイツェル」はハーンの音そのものもあまりにも普通に聴こえ、「ハーンってこんなだったっけ?」と思ってしまった。
庄司紗矢香とカシオーリの方が聴衆を異世界に連れていく求心力があった。

第10番の方がよかった。特に第2楽章は圧巻。
顰めっ面の肖像画とは違う、ベートーヴェンの穏やかで澄みきった心の空がホールに映し出された。

何せ演奏者が見えないので、仕方なくホールの天井を見ていた。
普段は意識して見てなかったが、二枚の並行な板の突起がたくさんあるね。なんか意味あるのかな😅

ハーンの新盤のイザイの6番を試聴したときの方がはるかに腰が抜けた。

あのエレガンスは今日はまるでなかった。唯一、無伴奏のバッハに孤高の人生の片鱗が光って見えた。

ムローヴァのアンコールは「バッハでもやっとくか」風に聴こえたが、ハーンは幽玄な別世界。
テクニックももちろん感じるが、生き様そのものが音になっていた。

音大生がこれを聴いたら「この境地に達するには何十年かかるのだろう。いや、一生で足りるだろうか」と絶望的な気持ちになるだろうと思った。

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