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シェアハウス家族

 私は祖母の家に間借りしている。縁側のある平屋。日当たりのよい庭。寝覚めに鳥のさえずりを聴く。玄関を入って、居間を越えて、台所があって、そのまた奥が私の部屋だ。

 六、七畳ほどのひろさに、深い色の木目の壁と床。その風合いが気に入っている。新調した若草色のカーテンとのバランスがとれてよかった。夜眠る前に橙色のぼやけた光の照明を点けると気持ちが安らぐ。

 祖母は毎朝8時前に起きる。祖父亡き後、私の実家の隣に越してきた祖母はこの家で5年近くを過ごし、しっかり、きっちり自分の生活リズムを築いている。
 かくいう私は夜型なので、出かける用事がなければ家で仕事をする。夜中、明け方まで机に向かってしまい、午前中は寝腐っていることも少なくない。
 朝食は一緒に摂らないし、夕食も別々に食べる。ひとつ屋根の下に、それぞれ異なる生活時間が刻まれている。

 私の両親、兄は隣家に暮らしている。私はその実家にも顔を出してレッスンやら家事、雑務、書き物もするので、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しなく往復しているので家族には「いつもどこにいるかわからない」「気配もなくてまるで忍者のよう」などといわれている。実家の家族も生活時間は驚くほどバラバラだ。たまに週の1、2度は実家に祖母も招いてみんなで食事をする。家族全員が顔を合わせるのはそれくらいだろうか。

 昼間は実家の書斎で仕事をすることが多い私。レッスン室から流れてくる母の奏でるピアノや、レッスンのたどたどしくも生徒さんの愛嬌あるピアノの音がBGMになっている。
 教員を退職した父も、自宅やカルチャーセンターで音楽を教える仕事を続けている。洗面所、廊下、寝室、鼻歌まじりに家事をする。

 家族に共通する日課は香高いコーヒー。母が淹れる日もあれば、父が淹れる日もある。兄もたまには淹れる。私だけがまだ覚えられない。
 兄は絵描き仕事の合間に、祖母と自分用に淹れたてのコーヒーを持って行き、取材を兼ねて昔話を聴いている。漫画の題材にするというのだ。それで実家に戻ってくると居間で絵を再開する。自分の部屋では誘惑が多いからという理由だ。

 それでも家族だから互いに面倒を感じることだってある。そのときは当人が自分の機嫌を直すために一旦自室へ引っ込むだけだ。必要があれば話し合い、激しい喧嘩はそうそうない。
 同じ家に居ながら、仕事も日課(趣味)も好きな容量で楽しむ。家族でありながらシェアハウスのような感覚でいるのだが、いまどきは珍しくないのだろうか。世間の在り方には疎いのでよくわからない。とりあえず我が家については、全員が生来のマイペースな気質の者同士、うまく融け合ってこんな暮らし方になった、自然にそうなっただけなのだ。

 私のルーティンは21時頃に祖母宅の自室に戻り、寝支度しつつ、適当に仕事の続きをしつつ、本を読んだり、動画を眺めたりと、とりとめなく時を過ごすこと。祖母はもう寝ているから物音には気を付けている。

 母は「あなたとおばあちゃんは似ているわ」と言う。
 謡曲に興味を持ち大学院で研究したこと、茶道を習い始めたこと、歌が好きなこと、詩や俳句が好きなこと。これらは祖母の勉強や趣味としてきたことだ。そもそも、こんな随筆崩れでもしたためようと思ったのも、「いずれ自分の過ごした来た時間のことでも書こうと思ってね」と言って原稿用紙を並べていた祖母に触発されたことに影響を受けたことは明らかだ。
 考え方、興味の範疇、コミュニケーションの取り方は祖母に似ていると、確かに自覚している。ひとつ屋根の下で、こうやって互いに別々の時間を過ごしていながら、時々顔を合わせてお茶をする。そんな暮らし方も共鳴しているのだろうか。

 祖母と私は、それぞれ自分の冷蔵庫を使っていて食品は共有しない。ある日、自分の小さい冷蔵庫を開けたら5個入りのベビーチーズが2本入っていた。祖母は「おやつに食べてね」と言って、入れてくれたのだという。それからもたびたび私の冷蔵庫に補充されているのがなんだか楽しい(実際は”おやつ”じゃなくて、”おつまみ”になってるのだが)。

 私もたまには祖母におすそ分けする。珍しく白和えをつくったら祖母の冷蔵庫に入れる。ヨーグルトだったり、母の手作りの切り干し大根だったりすることもある。翌朝(というより昼)、籐椅子に腰掛ける祖母に挨拶すると「今朝食べたのよ、美味しかった。ありがとう」と笑う。
 越してから5か月。私の新しい日常が馴染んだ頃のことだ。

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