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ちあきなおみ 歌姫伝説

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ちあきなおみ~歌姫伝説~をまとめました。
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#喝采

ちあきなおみ~歌姫伝説~41 最後のステージへ

ちあきなおみ~歌姫伝説~41 最後のステージへ

 歌手・ちあきなおみの生涯を顧みれば、一九六九(昭和四四)年にメジャーシーンにその姿をあらわし、アイドル路線を経て、一九七二(昭和四七)年に歌謡界の頂点に立つ。その後、ドラマチック歌謡路線がつづき、船村演歌で歌手としての低力を見せつけるも、歌の方向性の違いから、郷鍈治との邂逅を機に、業界のあらゆる障壁に屈することなく、メディアから姿を消し独自の路線を進んでゆく。ジャズ、シャンソン、ファド、日本の名

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ちあきなおみ~歌姫伝説~39 恋しぐれ

ちあきなおみ~歌姫伝説~39 恋しぐれ

「おい、はじまるぞ」
 空席を隔てて横にいたゴッド(友人)が、私を促すように声を掛けてきた。
 日本ガイシホールに集う観客は、皆一様に、それぞれの世界をあいみょんと構築しているように見受けられた。その歌には、聴き手が埋めるべく空白が十分に残されている。この歌手も、自らが自らに与えた歌詞やメロディには収まらない呪術師であろう。

 「裸の心」のピアノイントロが流れていた。
 馴染みの喫茶店でこの歌を

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ちあきなおみ~歌姫伝説~23 新たなる刻印

ちあきなおみ~歌姫伝説~23 新たなる刻印

 一九八八(昭和六三)年、ちあきなおみは「伝わりますか」、「紅とんぼ ちあきなおみ 船村演歌を唄う」、「夜霧よ今夜も有難う ちあきなおみ 石原裕次郎を唄う」と、三枚のアルバムをテイチクから発表している。
 個人的見解ではあるが、当時四十歳のちあきなおみの歌唱は絶頂にあると思われる。
 特に「紅とんぼ」(作詞・吉田旺 作曲・船村徹)は、一九七六(昭和五一)年に発表された「酒場川」(B面・矢切の渡し)

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ちあきなおみ~歌姫伝説~10 伝説への道程をゆく

ちあきなおみ~歌姫伝説~10 伝説への道程をゆく

 一九七二年十二月三一日
「一九七二年度、日本レコード大賞は、全国の目はこちらに向いておりますね・・・・。 『喝采』を歌いました、ちあきなおみさん!」
 番組司会者である高橋圭三アナウンサーの音声が高らかに鳴り響く。
 日本の歌謡ファンが、ちあきなおみの姿をドラマチックに胸に刻んだのは、やはりこの日だったのだ。

 この年の賞レースの大本命は、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」(作詞・山上路夫 作曲・平尾

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ちあきなおみ~歌姫伝説~9 「喝采」とその時代

ちあきなおみ~歌姫伝説~9 「喝采」とその時代

 「喝采」がリリースされた一九七二(昭和四七)年の日本は、まさに"激動の時代"と謳われた季節の終焉を迎えようとしていた。
 一九六〇年代後半、一九七〇(昭和四五)年の日米安全保障条約の書き直しを阻止せんと、
学園紛争(全共闘運動)の嵐が吹き荒れ、ベトナム反戦デモが激しさを増してゆく中で、その勢いはミニコミ、小劇場運動、ロック、フォークといった分野にも飛び火し、既成の価値体系に反逆する熱い風はやがて

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ちあきなおみ~歌姫伝説~8 喝采の陰で

ちあきなおみ~歌姫伝説~8 喝采の陰で

いつものように幕が開き 恋の歌うたうわたしに 届いた報せは 黒いふちどりがありました あれは三年前 止めるアナタ駅に残し 動き始めた汽車に ひとり飛び乗った ひなびた町の昼下がり 教会の前にたたずみ 喪服のわたしは 祈る言葉さえ失くしてた

つたがからまる白い壁 細いかげ長く落として ひとりのわたしは こぼす涙さえ忘れてた  暗い待合室 話すひともないわたしの 耳に私のうたが 通りすぎてゆく 

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