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ちあきなおみ 歌姫伝説

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ちあきなおみ~歌姫伝説~をまとめました。
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2022年7月の記事一覧

ちあきなおみ~歌姫伝説~10 伝説への道程をゆく

ちあきなおみ~歌姫伝説~10 伝説への道程をゆく

 一九七二年十二月三一日
「一九七二年度、日本レコード大賞は、全国の目はこちらに向いておりますね・・・・。 『喝采』を歌いました、ちあきなおみさん!」
 番組司会者である高橋圭三アナウンサーの音声が高らかに鳴り響く。
 日本の歌謡ファンが、ちあきなおみの姿をドラマチックに胸に刻んだのは、やはりこの日だったのだ。

 この年の賞レースの大本命は、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」(作詞・山上路夫 作曲・平尾

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ちあきなおみ~歌姫伝説~9 「喝采」とその時代

ちあきなおみ~歌姫伝説~9 「喝采」とその時代

 「喝采」がリリースされた一九七二(昭和四七)年の日本は、まさに"激動の時代"と謳われた季節の終焉を迎えようとしていた。
 一九六〇年代後半、一九七〇(昭和四五)年の日米安全保障条約の書き直しを阻止せんと、
学園紛争(全共闘運動)の嵐が吹き荒れ、ベトナム反戦デモが激しさを増してゆく中で、その勢いはミニコミ、小劇場運動、ロック、フォークといった分野にも飛び火し、既成の価値体系に反逆する熱い風はやがて

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ちあきなおみ~歌姫伝説~8 喝采の陰で

ちあきなおみ~歌姫伝説~8 喝采の陰で

いつものように幕が開き 恋の歌うたうわたしに 届いた報せは 黒いふちどりがありました あれは三年前 止めるアナタ駅に残し 動き始めた汽車に ひとり飛び乗った ひなびた町の昼下がり 教会の前にたたずみ 喪服のわたしは 祈る言葉さえ失くしてた

つたがからまる白い壁 細いかげ長く落として ひとりのわたしは こぼす涙さえ忘れてた  暗い待合室 話すひともないわたしの 耳に私のうたが 通りすぎてゆく 

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ちあきなおみ~歌姫伝説~7 歌い継がれてゆく歌のように

ちあきなおみ~歌姫伝説~7 歌い継がれてゆく歌のように

 ちあきなおみのコンサートに、私がマネージャー兼付き人として随行していた当時、会場のロビーで業界関係者がしたり顔で言ったことがある。
「本当のことを言えば、ちあきなおみは美空ひばりより上手いよ」
「本当のこと・・・・」
 怪訝そうに答えた私に、関係者は自分の口に人差し指を立て、ニヤリとした。
 同じことを言う人は多かった。しかしながら私は、いったいなにをもって歌が上手いとするのか、そして「本当のこ

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ちあきなおみ~歌姫伝説~6 反逆の狼煙

ちあきなおみ~歌姫伝説~6 反逆の狼煙

 歌手・ちあきなおみの一九七六(昭和五一)年までの活動を、「夜へ急ぐ人」までの前史とする観点から照らしてみると、まず、一九七二(昭和四七)年、「喝采」(作詞・吉田旺 作曲・中村泰士)で第十四回日本レコード大賞を受賞し、一九六九(昭和四四)年、「雨に濡れた慕情」(作詞・吉田央※吉田旺旧名 作曲・鈴木淳)でのデビューから三年目にして歌謡界の頂点へと駆け上がったあたりから、伝説の歴史がゆっくりと幕を開け

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ちあきなおみ~歌姫伝説~5 夜へ急ぐ人・後篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~5 夜へ急ぐ人・後篇

「魂の歌!ちあきなおみ秘蔵映像と不滅の輝き」(令和二年十月九日初回放送・BS―TBS)は、TBSに残るちあきなおみの秘蔵映像とともに、その魅力を徹底追及してゆく、というものだったが、私は画面を真正面から見ながら不思議な感覚に囚われていた。
 歌謡曲、ブルース、シャンソン、ファドと、様々なジャンルを歌いこなすちあきなおみに、どうしても死のイメージが付きまとって見えるのだ。思えば私は、歌手活動の最後の

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ちあきなおみ~歌姫伝説~4 夜へ急ぐ人・中篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~4 夜へ急ぐ人・中篇

 窓の外の景色が変わり、見慣れた風景が目の前にもどってきた。コロナ禍の影響で、通常より一時間早く閉店となる店内をそそくさと後にするOLたちを眺めやり、私はベストのポケットから機械式の懐中時計を取り出して、ちょっと時間を気にした。
 否でも応でもデジタル時代に対応していかなければならない昨今、敢えて逆行し、携帯電話の時計機能はおろか腕時計さえとおり過ぎてアナログ化してゆく私は、天下一のひねくれものと

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ちあきなおみ~歌姫伝説~3 夜へ急ぐ人・前篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~3 夜へ急ぐ人・前篇

 一九七七年十二月三一日、ブラウン管に映し出されたある衝撃的な光景が、その後私の心の中に強烈な残像を刻みつけた。
 そのテレビ番組は、年末の締めくくりと言われる「NHK紅白歌合戦」である。
 ちなみに第28回を迎えたこの年のテレビ視聴率は、関東で七七%(ビデオリサーチ調べ)を記録している。
 SNS時代の現代から見れば驚愕的な数字だが、当時はまだテレビ全盛時代の真っ只中にあり、大晦日は家族揃って紅

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