見出し画像

雑記㉖:『歌あそびに見える、保育士の哲学』の話をつらつらと

 例年に変わらず、夏祭りやらお泊り保育やら行事で忙しい保育園だが、各クラスも年度当初よりは少しずつ落ち着き始め、年長児クラスが乳児クラスのお昼寝を手伝いにいくことになった。

 相手が2歳児クラスともなればお話も少しずつできるようになり、会話をしたり、お世話をしたりする中で、自分達がお兄さんお姉さんなんだなということを実感する。背伸びしたような鼻先が伸びたような、誇らしい表情に彼らの成長を感じる。

 しかしながら、年長児が2歳クラスの子のことを全員知っているわけではなく、名前を尋ねることもしばしば。
 そんな時、気の利く保育士だと、2歳の子に直接名前を言ってもらおうと、「あーなたのお名前は?♪」と、保育士にはおなじみの歌あそびをする。

 これを歌って、手で作ったマイクを向けると、照れたり嬉しそうにしたりしながら自分の名前を答えるのだ。
 名前を答えると「あら、素敵なお名前ねー♪」と保育士がレスを返すのだが、2歳児にこの歌あそびをすると、反対に子どもが手でマイクを作って保育士に名前を尋ねてくる。

 すると、多くの保育士は「〇〇先生です」と答える。
 しかし、この歌あそびに対して、僕が好きな返し方は違う。
 
 「あーなたのお名前は?♪」に対してちゃんとフルネームで名前を答えるやり方だ。例えば仮名で申し訳ないが、「あーなたのお名前は?♪」「鈴木一朗です」と言った具合である。

 名前を聞かれた時、あなたなら何と答えるだろうか。
 当たり前だが、「先生」は名前ではない。
 子どもに名前を尋ねられた時、名前に「先生」を付けるということは、子どもに対して、無意識の内に、例えば「鈴木一郎」としてではなく「鈴木先生」として関わっているということではないだろうか。

 もちろん良い悪いの話ではない。
 ただ、こういう細かい部分や、ふとした瞬間にその保育士の哲学が見え隠れするような気がする。
 子どもとど関わるか、保育士という立場をどう捉えているのか、そして、子どもと対等な目線で関わるとはどういうことなのか、子どもに名前を尋ねられた時、真摯に答え続けられる保育士でありたいと思う。


お久しぶりの投稿になってしまいました。
明日は保育園の夏祭りです。
年長さんにとっては一つひとつが最後のイベント…と思って切ない気持ちになるのは子どもではなく大人の方だなあ。と、年長クラスの担任になるといつも感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?