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雑記㉕:『5/5=33/33』な話

 例年のことながら、保育園のこの時期は目まぐるしい。新年度が始まって、気がついたら4月も終わる。
 今年、僕は年長児の担任で、ありがたいことに2歳児クラスから受け持っている子たちを4年間持ち上がらせてもらった。

 同じ子どもだからこそ見える成長の姿や関係性もあるが、常々思うことは子どもは全力だなあ、ということだ。

 それは「頑張る」という意味での全力ではなく、葛藤も思考も感情も、彼らの生きた時間の中のあることを、存分に発揮しているという意味合いで、全力だ。

 例えば、2歳児は2年の人生経験の中で他者と自我の間を葛藤する。5歳児は5年の人生経験の中で仲間というものを意識する。5歳児が2歳の葛藤の仕方はしないし、2歳が5歳ような人間関係を築くことはない。
 全力で2歳児だったし、全力で5歳児だ。

 時として、子どもという存在を軽んじたり、子どもの言葉を蔑ろにする大人がいる。
 強い言葉を使うなら、子どもを「舐めている」大人だ。
 潜在的にそういう要素のある保育士は、いつまでも子ども理解が追いつかず、理解が及ばないことを子どものせいにする。

 学生時代。僕が保育の道へと進むきっかけとなった先輩がいた。
 その人は子どもと、「ちゃんと」関わる大人だった。
 一度、どうしてそんなふうに、自然に子どもと対等に関われるのか聞いたことがあった。

 その時の答えは今でも僕の心に残っている。

「子どもはいつも、『自分の年齢/自分の年齢』で、その子の、“1”で関わっている。大人は『子どもの年齢/自分の年齢』で、関わろうとするから、いつまでも“1”で関われないんだよ。だから、『自分の年齢/自分の年齢』で関わろうとすれば自ずと、“1=1”の関係で関われると思うよ」

 相手が何歳だろうと関係なく、「自分の年齢/自分の年齢」つまり“1”で関わるという哲学。
 そして僕はこの“1”こそが、子どもの全力の正体だと思っている。

 今年33歳。
 忙しさを言い訳にせず、力の出し方も、もちろん抜き方も、そして向き合い方も、これまで生きた「33/33」で、子どもたちと関わりたいと思う。


ほぼ2ヶ月ぶりの更新です。
半分リハビリです。
公私ともに色々あり、noteにまったく手がつけられず、書きたい気持ちが溜まっていく一方でした。
諸々が一旦、落ち着いたので、更新&皆様の記事を楽しみにする時間を取り戻していきたいと思っています。


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