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ダンジョンバァバ:第8話(中編)

目次
前編

「あれですね」
ヘップはバァバに渡された地図を懐に収め、岩山の中腹に見える鉱山の入り口を指した。ゆっくりと進む馬上で船を漕いでいたセラドは、二日酔いと寝不足で大あくびをする。
「んぁ? 着いたか? ったくダンジョンを離れてアウトドアのはずが…… また穴潜りとはなぁ」
「ホッホ! ミスリルのために頑張りましょうぞ」

バァバが持ち掛けた「いい話」とは、ストーン・スパイダーの退治だった。喜ぶ奴などいるものかと5人は幻滅したが、ミスリルが手に入ると聞いて目の色が変わった。

過去2度にわたる厄災との戦いにおいて、塔および迷宮内から溢れ出たモンスターたちは、待ち構えていた種族連合によってことごとく始末された。しかし、虫一匹通さずに済んだわけではない。大陸の将来を考えれば、決して討ち漏らしてはならぬのは竜族や巨人族、それに高位の悪魔族。これらは厄災を守護するかのように深部に生息しており、地上に姿を見せるのは稀であったが、1体現れるたびに陣形は大きく乱れ、矮小なモンスターは差し置かれた。
大陸に侵出したある種は環境に適応できず死に絶え、ある種は安住の地に辿り着いて繁殖し、またある種は他種と交配することで大陸の生態系に溶け込んでいった。時には生息地に踏み入った旅人を襲い、時には群れをなして隊商や家畜を狙うこともあるが、剣を扱える者ならばさほど苦労せずに撃退できるモンスターがほとんどである。
ストーン・スパイダーは中型の虫族で、頭胸部と腹部をあわせるとホビットほどの大きさになる。土くれや岩を好んで喰らい、ゆるやかにダンジョンを拡張、変形させる習性があり、今もドゥナイ・デンの浅層に生息している。バァバが得た情報によれば、50年前に見逃された1匹がプラチナム王国領の山脈で異常成長を続け、ここ最近は極めて希少な鉱石『ミスリル』を狙うようになったと言う。

「ササっとお腹を裂いて、いただいちゃいましょう~」
にこやかな顔で冷酷な一言を放つサヨカに一行はギョッとするが、その通りのことをするために休息を後回しにして足を運んでいるのだ。多分に含まれた魔素によって白銀の輝きを放ち、鋼をしのぐ強さを持つミスリル。蜘蛛ごときが溶解、消化できるはずのない、武具素材。

―― ここは、プラチナム王国領の鉱山群。5人はミスリルを求め、蜘蛛退治に赴いていた。

◇◇◇

第8話『旅』(中編)


「あれ? 閉鎖中って話しでしたけど……」
入り口の近く、ひとりの男が岩場に腰を下ろしていた。男も気付いた様子で、手を振ってくる。一行は警戒しながら近づき、鉱夫たちの詰所らしき小屋の前で馬を降りる。男は座ったまま大声で話しかけてきた。
「冒険者ご一行、ってところですかい? こんな所に珍しい」
「なんだテメー? 鉱夫か? ここは立ち入り禁止って聞いてるぜ」
「ええ、ええ。王国にはご内密に」
距離を縮めながら問うセラドに向け、男はいたずらっぽく笑った。バンダナ代わりのボロきれに、薄汚れた顔。捲られた袖から伸びる両腕は、肉体労働にふさわしい逞しさを備えている。
「おひとりで採掘ですか~?」
「こりゃまた宝石みたいな髪のエルフさんだ。……ええ、ええ。他で掘らせてもらえりゃいいんですけどね。バケモノのせいで鉱山はいくつも閉鎖。安全なところはどこも人手が足りてるってんで、困ったもんです。街の日雇い仕事は肌に合わなくって…… 学もありませんしね。こうしてコソコソチマチマ掘って、たまーに採れる銀でしのいでるってワケです。へへ」
会話を楽しんでいるかのように、男はよく喋った。
「怖い蜘蛛さんがでるって聞いたんですけど~」
「ええ、ええ。最近はここがお気に入りのようで。王国の兵士もお手上げ。みんなビビって近寄りません。……ま、オレのことは気になさらず。おたくらミスリルを狙ってるんでしょう?」
一行の目つきが僅かに鋭くなる。
「おっと、余計なこと言っちまったかな? ま、その装備で穴掘りするとも思えませんから。ええ。そう身構えんでくださいよ。へへ。バケモンが出る前はたまーに採れたって話しですよ、ミスリル。一番太い坑道の一番奥のあたりです。きっとバケモノもそっちにいるんでしょうよ。退治してもらえりゃこっちも助かるってもんです。さ、どうぞお気をつけて」
男は「どうぞどうぞ」と片手を入り口に伸ばす。
「貴様は見たのか?」
ルカがスカーフ越しにくぐもった声で尋ねると、男は繰り返し首を横に振った。
「いやいや。手足の千切れた死体が運び出されるのは見ましたけどね。かなり大物って話しです。……でもおたくらは随分と強そうだ。期待してますよ」
「へっ、大物ねえ。ま、さっさと始末してプラチナムに戻ろうぜ。ホーゼ、念のためマッピングを頼む」
「ホッホ。お任せを」
ホーゼはひらりと地に降り、小さな革袋から取り出した土で手際よく人形をこねた。人間やエルフからすれば親指ほどのそれを、両手でそっと包むようにして口元に近づける。そして何ごとかを囁き、入り口の脇に置いた。
「よし! じゃ、行くか」
鉱夫に見送られながら、5人は坑道の中へと姿を消した。

◇◇◇

ミスリルの強力な魔素を体内に蓄積したストーン・スパイダーは、予想以上に巨大で凶暴だった。坑道はダンジョンのように狭く、数で勝負するしか能の無いプラチナム王国の兵士や二流三流のハンターたちがどうこうできるモンスターでないことは確かだった。……が、今回は相手が悪かった。ドゥナイ・デンのダンジョン中層階をたった2人で攻略しているセラドとヘップ、オーガ族の中で随一の格闘能力を有するルカ、メイジとしては上から二番目のランク『ソーサラー』に位置するホーゼ、場慣れはしていないがプリーストとして非凡な才を持つサヨカ。怖れという概念を持たぬストーン・スパイダーは無謀にもこの5人に襲いかかり、いくつかのかすり傷を負わせ、あっけなく死んだ。

「なあ、やっぱ売っちまうのもありじゃねえか?」
坑道の戻り道、布袋いっぱいのミスリルを背負ったセラドがしつこく提案する。ルカは小さく舌打ちし、鋭い視線を返す。
「いつまでもバカ言ってんじゃないヨ。これだけまとまった量はいくら金を積んだって滅多に手に入るもんじゃない。予定通り鍛冶屋で武具にする」
「でもクセーんだよ。クセーだろ? 取り出したお前の手もクセーぞ? 鼻詰まってんのか? こんなクセーので作って臭いが取れなかったら最悪だろ?」
「ホッホ! 確かにこの世のものとは思えぬ悪臭ですな。しかしセラド殿、臭いの元はその臓物や体液。丁寧に洗い流して炉にくべたら何の問題もありません。それにヘップ殿にはもっと良い装備品を使っていただきたいですしな」
ホーゼはルカの肩の上で笑い、ホビットの装備を上から下まで眺める。
「え? オイラですか」
「ホッホ。毒塗りが効かぬ相手にノーマルなダガーでは心もとない。上半身ももう少し守備力を上げたいところですな。サヨカ殿は魔素の運用効率を上げるために腕輪をこしらえるといいでしょう。宝石のように加工して杖に埋め込むのも宜しいかと」
「助かります~」
「いやぁ、オイラは別に…… まった!」
ヘップの唐突な一言に全員の足が止まる。セラドはその意味をいち早く理解し、得物に手を伸ばす。
「前方、油の臭い。来る時には無かった」
4人は鼻をスンスンと鳴らしてみるが、何も感じ取れない。
「どれ」
ホーゼが鴉よりも小さな火の鳥を召喚し、前方に飛ばす。人が歩く程度の速さでゆったりと進む火の鳥から炎の雫がぽたぽたと落ち、地面にオレンジ色の点線を描いてゆく。一滴、一滴、一滴。20ヤードほど飛んだところで落ちた一滴が油に引火し、ごうっと燃え上がった。
「おいおい勘弁してくれよ」
炎はあっという間に狭い坑道の側面、天井へと広がり、炎の壁となって行く手を阻んだ。
「ホッホ。罠ですな。燃やすだけ燃やして、私が消せばよホッ!?」
突然ルカが動き、ホーゼの全身がグイ、と傾く。炎の壁の向こうから飛来した1本の矢。反応したのはヘップとルカ。ヘップは咄嗟にシルバーダガーを抜いて弾こうとしたが間に合わず、ルカが素手でシャフトを掴んで止めた。矢の軌道は、ホーゼの小さな頭部を正確に捉えていた。
ルカは片手でシャフトをへし折りながら三歩前にでる。その後ろにセラド、ヘップ。ホーゼは3人の陰で【共鳴の】杖に跨って浮遊し、詠唱をはじめていた。矢がもう1本。ルカがふたたび掴み取る。詠唱を終えたホーゼが人差し指と中指を立て、極太の氷柱を炎の中心に出現させた。みるみるうちに氷柱は溶け、地面の火の手は弱まり―― ひとりの男が姿を現した。
「テメェ、さっきの鉱夫」
「いやあ、丸焼きにするつもりだったんですけどねぇ。おチビちゃん、鼻がいい。それにスカーフの彼女! 私の矢を素手で掴むって、人間業じゃないですよそれ。あ、オーガでしたね。ハハッ! 笑えますね」
「アタイを知っているのか?」
「いえ。そのヘタクソな変装、もっと工夫したほうがいいですよ? あ、おチビちゃんとウッドエルフのお嬢さんは辺鄙な集落で会ってるんですけどね。あれ? 会ってる? いや、お見かけ? まあそんなところです。おチビちゃんは酒場の雑用クビになったんですか? ハハッ! ……ノームと酔っ払いは知りません」
入り口で話した時とはまるで別人、異様な調子で男はまくし立て、最後はスッと真顔に戻った。
「あぁ? 酔っ払いって、オレ? おいヘップ、誰だコイツ」
「さあ…… オイラ、一度見た客の顔は忘れないのに」
「私も知りません~」
「ああ気になさらず! あの時と顔が違いますから。それにどうせここで死ぬんです。あ、私じゃありませんよ? ハハ! 皆さんが。あ、でも一応名乗らないと失礼ですか? えー、シン。……シンと申します」
シンは狂気じみた三日月目を作り、仰々しくお辞儀する。
「セラドだ。テメー、狙いはミスリルか?」
「ええ、ええ。ま、私にもいろいろと事情が、ね? あの蜘蛛、ひとりでやるには相性が悪くって。噂を流してホイホイ釣られたハンターにお任せした方がラクかな、そいつら殺す方がラクかな、って。って、てって言い過ぎですね私。ホントお偉方やバカ王妃を相手にするのは疲れるんですよ。あ、ここだけの話しですよ?」
シンは人差し指を薄い唇にあて、ウィンクした。
「バカかテメー。5対1だぞ? しかもその蜘蛛をたった今ブチのめしてきた5人だ。泣きベソかいても許さねーから覚悟しろ」
「えー? 私、泣いたことないんですよね。ハハッ!」
「じゃあ今日が初めてだな。喜べ」

(……と言ったものの、ちぃと厄介だな。弓の腕前からしておそらくレンジャー。定石通りホーゼのスペルで? いや、強烈なやつは落盤が怖い。罠もまだあるかもしれねぇ。何より逃げられたら寝つきが悪りい。必ずここで仕留めるには接近戦だ。この狭さ。前衛は2人。オレとルカ。一気に行く。この距離ならせいぜい二の矢三の矢までが限界だろう…… クソ、ドラムを持ってくりゃ俊足が使えたんだが。最近のオレはこれ1本に頼りすぎてるな)

思考を終えたセラドは【エヨナのシンギング・ショートソード】を抜き、小声で指示を出す。
「絶対に逃がすわけにはいかねぇ。オレとルカでやる。3人は矢をどうにかできそうな距離を保て。ヘップは流れ矢の処理。ホーゼとサヨカはひとまず攻撃スペル禁止、あとは場の流れで適当にやってくれ。5人を相手にあのムカつく余裕ぶり…… まだ手の内をすべて見せてませんって顔だ。注意しろ」
「リーダー気取りか? ま、いいさ。やってやるヨ」
ルカが外套とスカーフを剥ぎ、左右に嵌めた【メイジフィスト】をガンガンと打ち鳴らす。
「さ! 作戦は決まりましたか?」
シンは薄気味悪い笑みを浮かべ、挑発するように左、右、左、と首を傾げた。
セラドとルカは同時に地を蹴り、20ヤードの距離を詰めにかかる。
「そう来ますよね」
シンは驚異的な速さで背中の矢筒から2本抜き、弓を水平に構えて同時に放った。ルカは速度を落とさず拳で払い除ける。セラドは半身になって辛くも回避し、走り続ける。シンは矢をリリースした瞬間に矢筒からもう3本抜き、1本を射る。
「っと!」
射線を読んだセラドはぎりぎりで回避するも、バランスを崩して前のめりになる。視線をシンに向けたまま体勢を立て直そうとするが、間髪入れず飛来した2本目を避けるためには転がるしかなかった。
「んのクソ!」
斜め前へと飛び込むように前転し、勢いに任せて膝立ちになる。3本目を射終えたシンと目が合った。シンの目は笑っていた。セラドは咄嗟に左手を顔の前にかざす。鋼鉄の義手が矢を弾く金属音。指の隙間から見えるシンは真顔に戻っていた。セラドはすぐさま立ち上がり、後れを取り戻すべく走る。並外れた脚力を持つルカは、すでに近接戦闘の間合いに入っていた。
「シッ!」
ルカの左ストレート。紙一重のバックステップで回避したシンのバンダナが風圧で吹き飛び、短く刈り揃えられた銀色の髪があらわになった。シンは矢羽根の形が異なる【捕縛の】矢を選び抜き、ルカの足元に放つ。矢が突き立った位置から蛸のように伸び出た木の根がルカの足を捕らえた。
「こ、の……!」
「ハハッ!」
シンは背中の留め具に弓を固定しながらもうツーステップ後退し、地面に手を伸ばした。拾い上げたのは、異様な形状のクロスボウ。矢をつがえる位置に長方形の鉄箱が乗っており、レバーがついている。
「これ重いから嫌いなんですけどね」
シンはそう呟きながら照準をルカに合わせ、レバーを前後させた。レバーが引かれるたびに短い矢が射出され、次々とルカに襲いかかる。
「シッ、シシシシッ!」
ルカは足を固定されたまま超高速で拳を繰り出し、矢を次々と叩き落としてゆく。ガントレットと矢尻が衝突し、金属音が坑道に響き渡る。シンは「すごいすごい」と狂ったように笑いながらレバーを前後させ、回避も迎撃もできぬように軌道を散らしてゆく。
「ぐぅ」
1本が太腿の肉を削り、1本が脇腹に突き刺さった。だがそこまでだった。追いついたセラドがルカの陰から飛び出し、シンに躍りかかる。
「イタッ!」
シンの悲鳴。駆け抜けざまに振ったショートソードがシンの胴体を捉えた。薄手の布服が裂け、ミスリルの胴着があらわになる。肉骨とは違う感触に気付いたセラドは振り向いてもう一撃を狙うが、シンは連続バック転を打ってルカの横を通り過ぎ、3人と2人のほぼ中間地点でうずくまった。
「イテテ…… 肋骨3本。困るなあ。ひとりふたり殺してる計算なんですけど。普通じゃないですね皆さん」
「チッ。まさかミスリルを着込んでるとはな…… ルカ、その根っこみてーの取れねぇのか? スペルかそれ」
セラドがクロスボウを叩き壊しながら、一瞬だけルカの足に目を向ける。
「レンジャーが矢に使う自然系統のスペルだね。サヨカやホーゼのディスペルじゃ無理」
ルカは忌々しそうに言って木の根を掴み、強引に引きちぎった。
「力技かよ」
セラドの突っ込みをスルーしたルカはスゥっと息を吸い、一思いに脇腹の矢を引き抜く。傷口が淡い光に包まれ、噴き出した血はすぐに止まった。
「距離が遠いのでこれくらいしか~。無理すると傷口が~」
ヒーリングスペルを唱えたサヨカに、ルカは片手を上げて応える。
「さーてシンちゃんよ。挟み撃ちだ。次は確実に殺す」
セラドがショートソードをくるりと回し、剣先をシンに向ける。シンは嘲笑うような目で睨み返し、立ち上がって弓を握る。
「酔っ払いにできますかね?」
「さー。オレとは限らねーぜ?」
セラドがニヤ、と笑った瞬間、超低姿勢のステルスで忍び寄っていたヘップがシンの足首を斬った。
――ように見えた。
一番混乱したのはヘップだった。ダガーは確実に足首を捉えた。しかし手応えが無い。無傷。咄嗟にシンを見上げる。シンは先ほどと同じ姿勢のまま、微動だにせずセラドの方を向いている。
「……ッ」
背後の殺気に気づいたヘップが逃げるように横へ転がると、元いた場所に矢が突き立った。ヘップはすかさず跳ね起きようとするが、顔面に強烈な蹴りを食らって仰向けに倒れる。
「ヘップ!」「ヘップさん!」
「残像……? 幻覚? レンジャーにそんな……」
鼻を折られたヘップが倒れたまま呻くと、シンは「はて」と言って首を傾げる。
「レンジャー? 誰がです?」
「え?」
「勝手に決めないでくださいね。ハハッ!」
シンは弓を引き絞ってヘップの顔を狙い、指を放した。瞬間、シンとヘップの間に氷柱が出現して矢を阻む。
「アー! んもう! 邪魔ばっかり!」
「シシッ!」「ォラァ!」
地団太を踏むシンに、急速接近したルカとセラドが連携攻撃を仕掛けた。シンは薄皮一枚を斬られながら全身を捻って躱し、回転の勢いを乗せた弓で2人を殴打。さらにバック宙で距離を稼ぎながら小さな玉を地面に投げつけた。玉はセラドたちの眼前で弾け、強烈な音と閃光を放つ。一瞬の耳鳴りと目の眩み。すぐに立ち直ったセラドたちがシンの姿を探すと、彼は坑道の出口方向へと全速力で走っていた。
「今日はこのへんで!」
「ふざけんなコラ!」

(速えぇ! こうなったら……!)

セラドはショートソードを鞘に納め、【カッコウの】フルートで『オレたちの鷲の歌』を奏でた。身体が地面から拳ひとつ分ほど離れ浮く。大地を駆ける動作そのままに宙を走り、前方のルカに声を投げる。
「ルカぁ! オレの背中を殴れ!」
同じく宙に浮いていたルカは意図を察し、傍らを駆け抜けるセラドの背中に強烈な一撃を見舞った。
「痛ってぇぇぇ!」
ルカの剛腕によって史上最速の男となったセラドがみるみるうちにシンに迫る。ルカも負けじと後を追う。
「えええ!?」
逃げ切れると踏んでいたシンは背後を二度見し、焦りの色を見せながら必死に走る。
「オラアァァァ!」
セラドがさらに迫る。シンは弓を手に取り、振り向きざまに【爆発の】矢を放った。セラドの頭上を通過した矢は正確に天井に命中し、轟音とともに枠木を破壊した。セラドはその罠の標的が ”ルカである” ことを一瞬で悟り、地面に剣を突き立て180度急旋回する。ルカも遅れてその罠に気づいたが、タイミングをピタリと合わされた落盤はすでに彼女の頭上で始まっていた。
「クッ!」
どっと降りかかる土と岩に視界と身動きを封じられながらも、ルカはがむしゃらに拳を上に繰り出す。しかしひとつ、またひとつと直撃する岩に押し負け、膝を突き、彼女の脳裏に生まれて初めて「己の死」という言葉が浮かび上がる。

(こんな無様な死に方を――)

「ヨイショォ!」
ルカの耳に、セラドの力強い声が届いた。同時に身体が突き飛ばされ、冷たい地面を転がる感覚。局地的な崩落から免れたルカはペッと土を吐き、目を擦って視界を取り戻す。
「な……」
土砂に呑み込まれるセラドの姿は、一瞬で見えなくなった。
「セラドさん!」「セラド殿!」
ルカは立ち上がろうともせず、後方から駆け寄る3人の声をボーっと聞いていた。

◇◇◇

「ハーッ、ハーッ、フゥー……」
誰も追って来ないことを確認したシンは鉱山を後にし、馬は一頭だけ頂こう、などと考えながら詰所の扉を開けた。室内の隅に隠しておいた道具類を回収し、粗末な椅子に腰を下ろす。アドレナリンの分泌がおさまるにつれ、脇腹が悲鳴を上げはじめた。

(前衛のどちらかは死んだでしょう。あの酔っ払い、まんまと仲間を助けに戻ってくれて助かりましたよホント……。ああやって悪ぶってるバカは分かりやすくていい。しかしここまで手こずるとは…… しかも収穫無し! ありえませんよね私。なんて愚かな私! しかしあの量のミスリルは惜しい。諦めきれません…… ここの材料と手持ちの道具で…… いやロクな罠は作れませんね。どのくらいで出てくるかも読めませんし…… ここは治療と追跡に専念して…… 油断したところをひとりひとり始末すればいい…… ええ、ええ…… 慎重に……。ハァ。ホント、最近までしつこく追ってきたニンジャ集団といい、あの田舎ダンジョンに関係する奴らは要注意ですね……)

「フゥー。さ! ヨッシ! 仕切り直し! がんばるぞー! ハハッ!」
シンは独り言ちながら両手で頬をパンパンと叩き、立ち上がる。装備と道具類をもう一度点検し、詰所の扉を勢いよく開けた。
「エッ?」
目の前に老婆が立っていた。薄汚れたグレーのローブ。浅く被ったフード。白髪まじりの前髪から覗く左眼は、琥珀色に輝いている。
「みぃーつけた」

後編に続く

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