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ダンジョンバァバ:第8話(後編)

目次
中編

(ここは……)

目を覚ましたセラドは視界一面に広がる木製の天井を見つめ、自分が横になっていることに気づく。

(生きてる、か。前にもこんなことがあったっけなぁ)

どこがどう痛いのかも分からぬ全身の痛みに加え、右半身に妙な重みを感じた。顎を引いて視線を向けると、窓から差し込む眩しい光。その光を浴びて輝く純白の短い髪。ルカだった。どうやら自分はベッドの上で、彼女はその傍らの椅子に座ったまま、右腕のあたりに突っ伏して眠っているのだと理解する。

(こっちも、生きてる)

セラドは鼻からそっと息を漏らし、自分の方に顔を向けて寝ているルカをボンヤリと眺めた。髪の色と同じ、白い睫毛。下顎から伸びる短い2本の牙。頭の下敷きになっている灰白色の腕はセラドよりもはるかに逞しく、しなやかな鋼のようだった。

(美人だ。が…… やっぱり牙が…… それに性格も……)

上から目線でセラドが考えていると、不意にルカの目が開いた。視線がぶつかり、ルカは慌てて跳ね起きる。
「イテテテ!」
「あ、すまない……」
ルカは申し訳なさそうに目を伏せ、背筋を伸ばして椅子に座り直す。
「そっちは怪我してねーのか? 全力で突き飛ばしちまったよな、オレ」
「ん? ……ああ。何ともない。それより自分の心配をしろヨ。瀕死のままずっと意識が無かったんだ。丸2日」
「2日。……ま、こうして生きているんだ。大丈夫だろ」
「サヨカが頑張ってくれた」
「そうか。礼を言わねーとな」
セラドはハァ、と安堵の溜息を吐き、何を考えるわけでもなく天井を見つめた。しばしの無言。外から喧騒が聞こえ、自分はプラチナムに戻ってきたのだろうと推し測る。
「……なんで、」
ルカが小さな声で何かを言いかけ、口ごもる。
「あ?」
「いや、」
「なんだよ」
「ああ」
「どうしたモゴモゴして。らしくねーぜ」
セラドはさらに冷やかそうとするが、ルカの真剣な眼差しを受けて口を噤み、じっと待つ。
「……なんでアタイを助けた? あの男を追わず…… そんな大怪我までして」
「あー? あー…… なんで……ってか。そう言われてもな。んー、まあ、お前に死なれたらオレたちが困るしな。またメンツ探しであーだこーだ時間をかけるのは勘弁だ」
「それはセラドが死んでも同じだろ?」
ルカの真っすぐな視線に気圧され、セラドはふたたび天井に視線を移す。
「……フロンの大将が悲しむだろ? お前んとこのお家事情は知らねーけどよ。耳にするのは爺ちゃんと孫娘のことばかりだ。大将がショックで寝込んだらジジババグループだって困るしな」
「セラドにはいないのか? 悲しむ人が」
「オレ?」
セラドは「んー」と短く唸り、天井を見つめたまま自嘲的に笑った。
「いねーなぁ。オヤジもオフクロもとうにこの世を去っちまってるし」
「肉親以外は? 思われ人……とかヨ」
「ヘッ。ダンジョンに通い詰めてる男にイイ女がいるかって? 笑えるぜ」
ルカは「そうか」と呟き、少しだけ悲しそうな表情を見せた。コケにするわけでも、要らぬ憐れみを押しつけるわけでもない純粋な反応。セラドはなんだか気まずくなり、話題を変える。
「で? あのクソ弓野郎は」
「わからない。だがバァバが言うには ”もう心配ない” と」
「バァバ?」
「そう。あのババア、昨晩フラっとここに来て。ミスリルを担いでさっさと出て行きやがった。ドゥナイ・デンの鍛冶屋に任せるそうだ」
「へぇ……。ま、あの婆さんが言うんだから心配ねぇだろ。鍛冶仕事もバテマルなら願ったりだ」
「フン。アイツが蜘蛛退治なんて持ち掛けなけりゃ――」
「お嬢! 他人のせいにするのは感心しませんぞ!」
「おわっ?」
ルカとは反対側、ベッドの左下から一喝したホーゼが大跳躍で姿を現した。くるりと前宙をきめ、セラドの腹の上に着地する。
「ウッ!」「おいホーゼ! 怪我人に何してんだヨ!」
「ホッ!? セ、セラド殿、申し訳ない…… お嬢の態度につい我慢できず」
「いいからどいてくれ、テテテ……。盗み聞きとは爺さんも隅に置けねーな」
セラドが腰をずらしてスペースを作ってやると、ホーゼがちょこんと正座した。
「どっから聞いてたんだヨ」
ルカに睨まれたホーゼは目を泳がせ、しきりに灰色の口髭を撫でる。
「い、いえ、盗み聞きなど、決してわざとでは…… それよりお嬢! セラド殿にまず言うべきは、お礼の言葉。……違いますかな?」
ホーゼにジロリと睨み返され、ルカは言葉に詰まる。
「さ! お礼を!」
「いや礼なんていらねーから」
「セラド殿は口出し無用!」
ピシャリと言われ、呆れたセラドは白目を剥く。

(口出しって。オレ当事者なんですけど……)

「ささ! お嬢。お礼を。命の恩人に礼のひとつも述べられないようではこのホーゼ、指南番としてフロン王になんと詫びればよいのか……」
オイオイと泣くそぶりを見せるホーゼに促され、しぶしぶ居住まいを正したルカが俯きながら口を開く。
「……あ、ありがとヨ」
「カーッ。やり直しッ! 目を見て! 助けてくれてありがとうございます! ハイッ!」

(爺さん豹変しすぎだろ…… それだけ可愛い教え子ってことかね。ルカもルカだぜ。ノームに叱られるオーガって)

「た、助けてくれて…… ありがとう、ございます」
目の前で繰り広げられる2人のやり取りが可笑しすぎて、セラドはつい自然な笑顔で答える。
「はいよ。どういたしまして」

―― ここは、カナラ=ロー大陸中心部からやや南西に位置する強国、プラチナム。休息を終えたセラド、ヘップ、サヨカ、ルカ、ホーゼの5人はプラチナムを後にし、フェルパー族のドーラに会うべく港町ビスマを目指す。

◇◇◇

第8話『旅』(後編)


早朝にプラチナムを発ってから半日と少し。4頭の馬は速歩で街道を北東へと進み、ストローム王国領の首都ストロームを目指している。ストロームから遥か北にゆけばエルフの故郷タリュー、東にゆけば目的の港町ビスマに辿り着く。
「セラドさーん、大丈夫ですか?」
ヘップが声をかけると、前をゆくセラドは相変わらず片手を上げて無言で「オーケー」の合図を返す。
ヘップが釈然としない顔で鼻を鳴らすと、サヨカが馬を寄せて囁いた。
「心配ですね~」
「ええ。ああやって強がってますけどね」
セラドの姿勢、呼吸、こぼれる声などから、ヘップは彼が本調子と程遠いことを見抜いている。
「もうしばらく治療と安静の時間が欲しいんですけどね~。外傷は癒えても中身がまだ……」
サヨカの耳打ちに頷くヘップは、セラドから目を離さない。
「やせ我慢するなヨ? 野宿したっていいんだ。食糧もたっぷり買ってある心配するな」
先頭を走るルカも振り向き、セラドの様子を窺う。自責の念を引きずる彼女の顔にいつもの鋭さは無い。
「うるせーなお前ら。だーいじょうぶだって言ってんだろ? ったく心配しすぎなんだよ…… もうちょっと行きゃあ小さな村がある。いや、まだあればの話だが」
「ホッホ。川の近くに村が見えますな。村人や旅人の姿も。道中に障害は見当たりません。日が落ちる頃には着くでしょう」
フクロウの目を借りたホーゼが報告すると、セラドは満足そうに頷いた。
「ホラ、急ぐぜ! コイツがオレを待っている」
セラドはそう言って駄載鞍に積んだ酒瓶を袋の上から撫で、駈歩でルカを抜き去っていった。

◇◇◇

一行は道中の村や自設テントで最低限の寝食をとりながら北東へと進み、ストロームまで馬の脚で半日という距離の山村で寝床を借りた。首都にほど近いとはいえ本道から外れた村に人気は少なく、家屋の手入れはどこも滞っており、たまに見かける住民は老人ばかり。年老いた村長が自ら一行を相手し、空き家になって久しい屋敷を貸し与えてくれた。
「サヨカさんたち、大丈夫ですかね」
馬の世話を済ませたヘップが屋内に戻ると、即席の寝床に座わるセラドが葡萄酒の瓶を振りながら答える。
「グールなんてプリーストのスペルで楽勝だろ。ルカとホーゼもいるし心配いらねーよ」
「だといいですけど……。珍しいですよね。こんな場所にグールって」
「まあなあ。おおかた死霊術をかじったバカが実験でもしたんだろ。辺鄙な村なら足もつかねーってな。で、さっさとトンズラこいたか、自分も食われたか。どちらにしろ爺さんたちにしてみりゃいい迷惑さ」
セラドはグビ、と喉を鳴らして葡萄酒を流し込み、不愉快そうに言い捨てる。

サヨカ、ルカ、ホーゼの3人は村長の依頼を受け、村外れの墓地を荒らすグールの退治に向かっていた。腕まくりして赴こうとしたセラドは4人に強く止められ、こうしてしぶしぶ身体を休めている。ヘップも炊事と馬の世話を引き受け居残っているが、目的の半分はセラドの見張り番である。明日ストロームに到着予定とあって、ヘップは残りの材料で少しだけ贅沢な食事の用意にかかる。

「ったく。国が聖職者のひとりやふたり寄越せば済む話なんだ。なのにクソ大臣もクソ武官も知らん顔。そもそも聖職者ですら本業を忘れちまってる。これが金や物資をたっぷり納めてる村ならどうだ? 馬車馬が死んでも鞭打って駆けつけるぜアイツらは。素寒貧の書状なんて読みもしません、そんな些細な事には構っていられません。じゃあ何に忙しいんだ? 答えは決まってる。王族の機嫌取り。派閥争い。テメーの地位を守るためだけに繰り返される姑息な足の引っ張り合い。肥溜めみてぇな社交界。もはや裏とも呼べねぇ裏取引。そうやって私腹を肥やしてブクブク、ブクブク。アイツらきっとクソも金色だぜ」
「……セラドさん飲み過ぎました?」
「酔ってねーよ、ィック」
ヘップは「ほどほどに」と釘を刺し、窯に向かったまま喋りはじめる。
「オイラもナモンの団にいた時に思いましたよ。人間族の統治って独特ですよね。いや全部を知っているワケじゃないですけど…… なんていうか、もっとちゃんとやっていれば領土全体が豊かになるし、兵も強くなるような……」
「無駄無駄。詠い継がれてこの何百年、ずーっと同じことを繰り返しているんだ。今さら変わりゃしねーよ…… そういやヘップ。盗賊団って、どのあたでやってたんだ?」
「メンデレー領が大半ですね。酷い貴族や商人がゴロゴロいたので」
「ああ、あのクソ強欲な国ね……。その頃からお前はそういう性格なのか?」
「そういう?」
「心配性で、遠慮がち。そして自己評価が低い」
セラドの射貫くような視線を背中に感じ、ヘップは支度の手を止める。
「どうですかね……」
「ホラ、あの理髪師の、えーと何だっけ。お前のライバル的な」
「プヌー」
「そうそう、プヌーくんとモメたろ? あの時のお前はよ、もうちょっとこう、口調が違ってよ、鋭さがあったよな。我も出ていた」
「そうでしたっけ」
ヘップは素っ気なく答え、また手を動かしはじめる。
「そう。……訓練所で酷ぇ目に遭ったって話しだけどよ、お前と2人で潜ってみてオレは分かってるつもりだぜ? 抜群の観察力。そこからの洞察と冷静で的確な判断。時々見せるカンの鋭さも信じられねぇレベルだ。お前らシーフが言う『センス』ってヤツだ。それにいざって時の度胸もある。ナイフの腕も相当なもんだ。あの酒場で四六時中ハンターたちの話を聞いていただけあって知識も豊富」
「珍しいですね。人をそんなに褒めるなんて」
「おう、それだけお前はできる奴ってことさ。……だからもっと自信を持て。オレみてーにな」
「セラドさんは自信過剰ですよ。それにちょっと捨て鉢なところが心配です。酒も飲み過ぎは体に毒です」
「おっ、言うじゃねーか」
「あ…… すみません」
思わず振り向いたヘップを、セラドは言い聞かせるような眼差しで縛り付ける。
「ヘップ。謝るな。お前はもっと自分を出せ。いいか? グループにはよ、全体を把握して臨機応変に場をコントロールする役が欠かせねぇ。サヨカはヒーラーとしての対応力はピカイチだが天然。ホーゼは頼れるジジイだが指揮を執るタイプじゃねぇ。ルカがやれりゃ文句無しだが、まだじゃじゃ馬で一本鎗だ」
「セラドさんがいるじゃないですか」
「あ? オレがいるから何だ? お前はやるべきことをやらなくていいってか?」
「そういうわけじゃ……」
セラドはヘップを見据えたまま顎を上げ、ひと口酒を呷る。
「ゲップ。……ま、オレはよ、観察力には自信がある。だから賭け事で負ける気はしねー。剣の腕も一流。美声。そしてお前よりハンサム。……だがそれだけだ。鉱山で死にかけて懲りたしな。ドゥナイ・デンで2人失った時もオレが……。今考えればどちらも最善手を尽くしたとは言えねぇ」
「それ結果論ですよ。オイラは鉱山の一件、判断ミスがあったとは思ってない。そんな後悔まみれの泣き言はセラドさんから聞きたくない」
「おっ、いいね。叱ってくれた方が頼もしいってもんだ」
「ふざけないでください」
ヘップが語気を強める。セラドは表情を変えずにヘップの目を見ている。
「オレは真面目に言っている。ヒジョーに珍しくな。……全員生きてお役目を終えるための適材適所と考えろ。6人目がキレ者ならソイツに任せてもいいが、今はお前がやるんだ。最初のうちは戸惑ったっていい。肩ひじ張らずにお試しでいこうや」
「……」
「返事」
「……オッス」
「よし。ああ、戦闘中はデスマス口調禁止な。さんづけも駄目だ。一瞬が生死を分けるって時の指示はもっと端的にいこうぜ」
「……オッス」
「よし! じゃあメシの準備、再開。オレも手伝ってやろうか?」
「い、いや、飲んでてください」
「遠慮すんなって。ちゃっちゃとやって先に食べちまおうぜ」
「いやセラドさんの料理はちょっと…… あ、帰ってきたみたいです」

◇◇◇

翌朝、腰と首が折れるのではと不安になるくらいペコペコと礼を繰り返す村長たちに見送られた一行は、ストロームへと続く曲がりくねった上り坂をひたすらに進む。
ストロームの要は大山の地形を活かした難攻不落の城塞であり、犬鳴山と呼ばれるその円錐の頂点には王族の居城、側面には上から順に貴族の屋敷、宗教施設、軍事施設、工業施設、一等国民向け住居、城壁というように、石造りの建造物がぐるりとひしめいている。さらに城壁の外側、山の東側の麓には王国兵と二等以下の国民が暮らす巨大な街が形成されており、城塞と街が一体となって首都の役目を果たしている。街には領土内外の村の農産物、東の港町ビスマから届く海産物、その他交易品、貿易品などが集まり、カナラ=ロー大陸でも有数の商業地として知られている。
大陸南西のドゥナイ・デンからやって来た一行は最短ルート、つまり大山を迂回せず、ストローム城塞を突き抜けて東側の街へと降りるルートを選択していた。

「三大国のひとつを名乗るクセに…… あこぎな真似をする」
夕暮れに照らされた大きな門と衛兵を視界に捉え、ルカが不満を口にする。ストローム城塞を通る山越えルートは種族を問わず利用できるが、それなりの ”通行料” を要求される。北の迂回ルートには馬を拒む奇岩群、南には多くの危険が潜む深い森が待ち受けており、それらをさらに迂回するとなれば数倍の日数を要する。
「だから三大国のひとつなのさ。先に話をつけてくる」
セラドがそう言って一足先に門へと馬を走らせる。
衛兵と何やら会話するセラドを見守りながら4人が追いつくと、門が鈍い音を立てて動きはじめた。左右の衛兵は斜めに構えていた長槍を垂直に突き立て、正面を向いたまま「お通りください」とだけ言って黙る。しかし門をくぐる途中、ヘップだけは衛兵の小さな呟きを聞き逃さなかった。
「どのツラ下げて――」
と。

◇◇◇

敢えて狭く作られた城塞内の路面。騎乗したまま縦一列になって歩いていると、井戸端に集まる女たちがセラドを見て何かを囁き合い、すれ違う男が目を丸くして振り返る。セラドはそんな様子を気にも留めず、先頭に立って一行を誘導する。さらにしばらく進み、小さな広場に出たところでいよいよ声が掛かった。
「おいお前」
セラドを除いた3人が声の方に目をやると、5ヤード先のガーデンテーブルに男女が座っていた。ふんぞり返った中年の男はセラドの横顔をしげしげと見つめ、両脇に座る女2人は間抜けた表情で男とセラドを交互に見ている。まだ宵の口だというのに全員の顔がゆで蛸のように赤く、テーブルの上には酒瓶がいくつか並んでいた。
「お前だよ、先頭の。オラ、無視すんな!」
「ねぇ、どうしたの?」「大きな声だしちゃって」
身なりとは真逆の汚い口調で男が声を荒げ、女たちの甘ったるい声と混じり合う。セラドが素知らぬ顔で横切ろうとすると男は前のめりになり、確信したように頷いた。
「お前、セラドだろ? 宮廷詩人の。いや、だった、か」
「昔の話だ。さ、行くぞ」
セラドは男を尻目に、前進を促す。
「まーてーよ! そう急がなくてもいいだろぉ?」
「男前じゃない」「ねぇ知り合いなの?」
「よく戻って来れたなぁ? なあオイ!」
男は血色の悪い唇を意地悪そうに歪め、両脇の女はもちろん、ルカやヘップ、サヨカにも聞かせるように喋り続ける。
「コイツの親父はセコイ音楽師でなぁ! 痩せこけたナントカって村の出のクセに先王にゴマすりしていきなり一級国民だ、宮廷詩人だってなぁ? ふざけやがって。それだけでも気に入らねぇのに王族の女とよろしくやってガキまでこしらえやがってよぉ! 信じられるか? 俺たち貴族を差し置いて。なぁ信じられるか? で、そのガキの名がセラドって言うんだよなぁ。なあ!?」
今にも飛び掛かりそうなルカをセラドが制し、「相手にするな」と小さく言って男の前を通り過ぎる。酔いが回りきった男はさらに調子づいて早口になり、往来のまばらな人々は見て見ぬフリをして通り過ぎる。
「でよ、これがジョークにもならないんだが! なんとセラドくんも宮廷詩人に大抜擢! 死んだパパの席を狙っていた候補はごまんといたのにな。若くして詩歌の才がどうとか褒められていたけどよ、俺たちの間じゃアッチの才で夜な夜な城の老人どもを楽しませてるんじゃねぇかって評判だったぜ? ママの入れ知恵だったんだろ? なあ? パパの代わりに稼いで来いってか!?」
手綱を握るセラドの指がピクリと動き、背中と肩から殺気が立ち昇る。
「ねぇ、じゃあなんであんな薄汚い傭兵みたいな恰好してるの?」
問いかける女の肩に手を回し、男は下卑た笑いを浮かべる。
「そこよ。そこ! コイツはな、どんどん人気者になりやがって、調子こきやがって、しまいにゃどうやったかは知らねぇがなんと! あのメリカ王女から求婚されたのさ! ……なーのーに! なのに、だ! ……断りやがったんだよ。街外れのボロ教会に出入りしてたビチグソと一緒になりてーとか言って宮仕えをやめちまってな。それっきりさ。ありえねーだろ!? バカじゃねーのか? あの女はどうしたよ? 飽きテ、テッ、カッ、ア……」
ついと男が黙る。左の女が己のドレスに染みをつくる血に気づく。右の女は男に肩を鷲掴みにされ、痛みに顔を歪める。女たちは同時に男の顔を見て、その舌先が無いことに気づく。絶叫の二重奏。
「うるさいよ。おまえ」
いつの間にか3人の背後に立っていたヘップが、男の耳元で囁いた。ヘップは左手で摘まんでいた肉片を男の胸ポケットに入れ、トントンとその胸を叩く。仰天したセラドたちが口々に何かを言うが、ヘップはそれを聞き流しながらもう一度、そっと息を吹きかけるように囁きかける。
「しばらくここで反省しなよ。何を悔い改めるべきか、そこからよく考えて」
「ア、ア……」
男は消え入りそうな声で呻き、涎と血と涙を垂らす。座ったまま頷きも喚きも暴れもせず、まるで指の先まで石化したように微動だにしない。両脇の女はヘップの右手に握られたダガーを見てふたたび絶叫し、転がるように逃げ去った。
「ヘップ! おいヘップ! お前……!」
「すみません、セラドさんが首を刎ねちゃいそうで」
駆け戻ったヘップはひらりと騎乗し、クセの強いモジャモジャ頭をポリポリと掻いた。
「……謝るな。行くぞ! モタモタしてると門を閉められちまう」
「オッス」
騒ぎとは無関係を装い、薄闇に紛れた一行は常歩のまま東門へと向かう。道中、ルカが上体を捻り、後方のヘップに話しかけた。
「おい」
「はい?」
「……やるじゃん、ヘップ」
「へへ」

◇◇◇

ヘップの麻痺毒は半日ほど時間を稼げるはずだったが、衛兵たちは予想以上に早く城塞と街を駆けまわり始めた。
偵察に出ていたホーゼが街外れの教会に戻ると、食欲をそそる香りがノームの小さな胃袋を刺激する。
「ホッホ。これは美味しそうな匂い……」
「もうすぐできますよ~」
サヨカが食卓と調理場を往復しながらニコリと笑う。窓際に立ち外の様子を伺っていたルカが振り向いて尋ねた。
「ホーゼ、どうだった」
「ホッホ。衛兵が探しているのはハンターらしき人間の男が1、ホビットの男が1、背の高いフード姿の女が2。情報は正確に行き渡っているようですな。しかしヘップ殿のお仕置きを見逃したのは残念、残念……」
「アタイの背嚢で呑気に寝てるから」
「ホッホ……。して、ヘップ殿は?」
「買い出しだ。ホーゼに頼んだら何往復かかるかわからねーからな」
食卓で葡萄酒を飲むセラドがからかうと、ホーゼはニヤリと笑って胸を張る。
「ホッ! メイジのスペルでどうにでもなりますぞ……?」
「あいあい。ま、アイツには食糧の計算と選別をしてもらわにゃならんしな。もうじき戻るだろうよ。ステルスでささっと。いやチビッ子だから普通に歩いてても気づかれねーかも」
セラドはいつものように呑気な口調で言う。3人の目からは努めてそうしているように見えるが、先ほどの一件について詳細を尋ねる者はいない。
「さ、食事の支度が出来ました。……とは言っても客人をもてなす側の私が用意できたのはパンと葡萄酒、芋くらいのものですが」
杖を突いてパンを運ぶ老人が調理場から姿を現すと、全員の視線がそちらに向く。セラドが素早く立ち上がり、パンが入ったカゴを受け取りながら椅子を引いて老人を座らせる。サヨカがスープの入った大きな鉄鍋をヨタヨタ運んでくると、「任せな」と言ってルカが軽々とそれを受け取る。
「すまねぇ。またアンタに迷惑かけちまってよ」
セラドが心のこもった語調で述べると、老人は穏やかな表情で頷く。
「よいのです。散歩に出ていた私があなた達を見つけ、私がここに招き入れた。これは私の意志。何よりセラドさん、貴方にまた会えて嬉しいのです。7年ぶりでしょうか」
「ああ。元気そうで何よりだ。この教会もしぶとく残っていて安心したぜ」
「はは。色々な人に助けられて、何とか」
「人を助けてるのはアンタの方だ。この地区の民はみんなそう思ってる。オレ達だってこうして助けられた。アンタみてぇな聖職者がもっと沢山いりゃあ村がいくつも救われるってのにな……」
「相変わらず口が達者な御方だ。この年になって人に励まされるとは」
老人は嬉しそうに顔を綻ばせ、垂れ下がった目をヘップに向ける。
「全員揃ったようですね。食事にしましょう。頂いた食材とサヨカさんのおかげで、美味しいスープに仕上がりましたよ」
場の空気を察してステルス状態のまま帰宅したヘップが目を丸くする。

食卓を囲んでいる間、老人はよく喋った。セラドも普段は見せない顔で聞き入り、自らも旅の途中で立ち寄った村について話し、旅の仲間に話題を振ったりもした。同じ聖職者として興味を持ったサヨカや、老人の実力を見抜いたヘップが積極的に質問し、逆に老人は滅多にお目にかかれないオーガとノームに質問する。一行の食事はいつになく盛り上がり、会話を通じてこれまで以上に互いを知ることとなった。
教会周辺の住人たちが密告する心配は無かったが、セラドと教会の関係を知る衛兵が調べに来るかもしれず、一行はそれぞれ手の届くところに己の得物を置いて食卓を囲んでいた。しかし暗闇に塗れた貧民街にわざわざ足を運ぶほどの人望が舌切り貴族には無かったのか、教会のドアを叩く者はひとりもいなかった。

◇◇◇

夜が更け、全員が寝静まった後もセラドは食卓に座り、窓から差し込む月明かりを眺めていた。
「少し眠ったらどうですか」
2階の寝室から降りてきた老人は手燭の灯りを食卓に移し、セラドの正面にゆっくりと座る。
「明日は早いのでしょう」
「まあな。衛兵がウロつく前に街を出る」
セラドは言いながらもうひとつゴブレットを用意し、注いだ葡萄酒を老人の前に置く。
「……痛みますか」
「ヘッ。相変わらず何でもお見通しだな。……合間に少しずつ治療してもらっているんだが、まだ少し」
「どれ」
そう言って立ち上がろうとする老人をセラドは制止する。
「いいって。もうほとんど治ってるからよ。その力はこの国でアンタを必要としている奴らに使ってやってくれ」
「……貴方も相変わらずの意地っ張りですね」
老人が微笑みながら座る。セラドはしばらく迷うような表情を浮かべたあと、意を決したように老人を見つめて口を――
「彼女は…… サンシャは、亡くなったのですね? おそらくキスポも」
――開いたまま言葉を失った。
「色々あったのでしょう。貴方も大変でしたね」
老人は視線を鋼鉄の左手に向け、労わるように呟く。セラドは顔を伏せ、歯を食いしばって言葉を絞り出す。
「……すまねぇ。オレが、不甲斐ねぇばっかりに」
「セラドさん。私に謝る必要などありません。彼女たちが自ら望み、覚悟の上で進んだ道。共に過ごせた時間は短くとも、貴方たちの心は満たされていた」
「アンタは知らねぇんだ。アイツらがどうなっちまって、どう死んでいったか」
「ええ。知りません。ですが…… いかなる経緯があろうと、貴方を恨んだり、責めたりしているなどとは、私には思えないのです。どうかセラドさん。今の仲間を大切にしてあげてください。彼女たちと同じように。そして貴方自身も大切にしてあげてください」
老人は言い終えて、じっと待つ。セラドが顔を上げるまで。そして目を合わせ、「サンシャとキスポに。そして貴方たちの旅の無事に」と静かに杯を傾けた。

◇◇◇

一番鶏が鳴く前に旅支度を整えた一行は、ヘップがこのために調達した保存食と支度金の一部、それに一通の手紙を事務室に残し、静かに教会を後にする。まだ眠りから覚めぬ貧民街を抜け、衛兵の常駐施設や王国兵の居住区画を避けて進む。
「セラドさん、本当によかったんですか? 直接挨拶しなくて」
ヘップが教会の方向を見ながら言う。
「ああ。向こうも分かってるさ。それに手渡そうもんなら突き返されるに決まってる。だから勝手に置いていく」
「ホッホ。旧知のセラド殿が言うのですから、それで良いのでしょう。ささ! 街道が見えて来ましたぞ」
「よし。ここまで来りゃぁ大丈夫だ。突っ走ればビスマまで2日とかからん。ケツの痛みともいよいよお別れだな!」
セラドはヘップの背中を勢いよく叩き、我先にと馬のペースを上げていった。

【第8話・完】

第9話に続く

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