縄文時代と火焔型土器のクニ:1 /十日町市博物館
長岡市内を出て、日本で最も長い川・信濃川に沿って南下、十日町市を目指す。雪深い里山の車窓風景が1時間ほど続いた。
縄文土器といえば誰もが思い描く「火焔型土器」。その大半は、ちょうどこのあたり——長岡市、十日町市、さらに南の津南町といった信濃川の中流域から出土したものだ。
最初に見出された長岡の馬高遺跡には「馬高縄文館」が立っており、徒歩圏内の新潟県立歴史博物館でも多数の火焔型土器が公開されていると聞く。
長岡駅前や駅ナカでも、縄文プッシュ。
もとは馬高遺跡出土の土器が「火焔土器」と呼ばれ、転じて、それと同様のタイプを「火焔型土器」と称するようになった経緯がある。火焔型土器は、長岡が発祥の地ということになろう。
ところが、1999年、新潟県下で初の国宝に指定されたのは、十日町の笹山遺跡から出土した火焔型土器のほうだった。
十日町としては鼻高々で、収蔵する博物館を2020年にきれいにリニューアル。街のいたるところに「国宝」の2字が躍る。
その貴重さ・美しさに優劣は感じられないし、文化財指定の区分ですべてが決まるものではもちろんないけれど、国宝と重文とでは、観光アピールの面でどうしても大きな差がついてしまう。長岡としては、忸怩たる思いがきっとあるのだろう……
火焔型土器をいつでも、それもたくさん観られるのは、長岡の2館と十日町市博物館くらい。時間的に、どちらもというわけにはいかない。
少し迷ったが、グッドデザイン賞に輝いた十日町市博の建築や、すぐ近くの越後妻有里山現代美術館を併せて観たいと考えて、今回は十日町まで足を伸ばすことにしたのであった。
十日町駅から、翌日に控えた雪まつりの準備が進む街を10分ほど歩いていくと、現れた……積もった雪と曇天の空に融けていくかのような、白いレースカーテンにも似た建物が。
館の3大テーマは「縄文時代と火焔型土器のクニ」「雪と信濃川」「織物の歴史」。この3つの専用エリアが、中央のホールから放射状に分岐しているいっぽう、歴史・民俗系の博物館には定番の通史的な展示はほとんどなかった。
十日町ならではといえる3つの要素に注力・特化した展示内容。この割り切り方はたいへん気持ちがよく、興味深いなと思った。
わたしは迷わず、縄文の展示室へ。
国宝の笹山遺跡出土品をはじめとする火焔型土器たちに四方を取り囲まれる、稀有な空間へと飛び込んでいくのであった。(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?