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生誕120年 没後60年 小津安二郎展:2 /神奈川近代文学館

承前

 小津安二郎は、劇中で用いる小道具にも “ホンモノ” を求めた。
 黒澤明に、同種の逸話がある。時代劇の小道具に、映画で扱う年代に見合った古美術品を起用したのだ。黒澤作品を観ていると、「おっ!?」と気づいて一時停止することが多い。
 小津の場合は、主に同時代の調度品や絵画、飲食器から、お眼鏡にかなったものを厳選し、用いた。小津の自宅から私物を持ち込むこともあったという。
 どちらの監督作品でも、さりげない道具ひとつとっても気が抜けない。

 戦後の小津作品のクレジットには「美術」とは別に「美術工芸品考撰」(※作品によって名称は若干異なる)といった役職が設けられており、美術商の貴多川や京焼の澤村陶哉・東哉、額装の岡村多聞堂が起用されている。
 このあたりに焦点を当てるらしい展覧会が今秋に控えており、非常に楽しみにしている。9月3日から茅ケ崎市美術館で開かれる「生誕120年 没後60年 小津安二郎の審美眼-OZU ART-」である。

 茅ケ崎には「紀子三部作」などの脚本を執筆した旅館「茅ケ崎館」があり、その近くの砂浜は『長屋紳士録』で飯田蝶子と坊やが追いかけっこをし、『麥秋』で原節子が三宅邦子に振り向いて手招きをし、並んで海を眺めた場所……
 そんな茅ケ崎にある美術館で「OZU ART」とは、期待しかないのである。


 ——このあたりを話しはじめるときりがないが、今回は、横浜の小津展の感想であった。
 気を取り直して……本展(横浜の展示)でも、劇中に登場する美しい小道具がいくつか展示されていた。
 なかでもいちばん著名といえそうなのは、『彼岸花』などに登場する湯呑であろう。上を鉄釉、下を染付とした目を引くデザインで、銀座の東哉で現在も販売されている。小津の母の葬儀では、香典返しとして配られたとも。

 片身替(かたみがわり)のすきっとした意匠で、磁器の鋭さも相まって、どこか都会的。

 小津みずからがデザインしたという愛用の湯呑(下の写真右)は、寸胴に近いフォルムの表面を緑釉とし、一部を花のかたちに抜いて白い花弁と黄色い蕊を描き足し、椿の花を表したもの。『彼岸花』『秋日和』にも登場する。

 「小津みずからがデザイン」といったあたりに気をとられてしまいがちだが、これはもともと尾形乾山が用いた意匠。つまりは、本歌取りである。東哉もそうであるように、小津は京焼がお好みだったらしい。

 本歌は乾山窯の人気商品であったようで、輪花状の口をもつもの、蓋つきのもの、細長い筒型のものなど、各種が残っている。どれも湯呑ではなく、懐石で用いる向付である。

 ——さて。本展には出品されていないけれど……小津作品に登場するやきものといえば、『晩春』の “あの壺” を忘れてはならない。
 原節子と笠智衆が、旅館の部屋で語り合う。その背後にみえる、みんなだいすき “あの壺”。映像上の意図をめぐって、これまでにさまざまな解釈が提示されてきた。

 その意味するところはともかく、造形的に、これはどんな壺か。
 フォルムからして中国・清朝あたりのやきものか、それに影響を受けた近代日本のやきものであろうか。古代中国の青銅器「尊」に行き着くかたちである。
 表面の文様は密に描かれている。胴部にめぐるのは、龍だろうか。色絵か染付か、陶器か磁器かまではわからない。京薩摩あたりかもしれないが、磁器の質感に近いようにも思われる(やきものでなく七宝の可能性もある)。
 旅館の調度品として違和感はないいっぽう、大きくて目立つし、なにより長回しになるなど、そこになんらかの意味を求めたくなるのはむしろ自然か。

 この壺、松竹の倉庫あたりに、いまも眠っていやしないだろうか。
 壺に問うたとて、あの演出の意図を教えてくれるわけではないのだが……実物がどんなものか、わたしはずっと気になっている。(つづく


ギリシャ建築でおなじみ、アカンサス。港の見える丘公園にて

 ※「東哉」店主のインタビュー

 ※「小津映画と「美術工芸品考撰」  井手恵治氏インタヴュー


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