共通言語を持たない者同士が表現し合うということ
私は保育園でアルバイトしているのだが、ウイルスの影響で3ヶ月間自粛していた。7月になってようやく出勤できたので、考えたことを書いておきたい。
一番びっくりしたこと
それはこの間までミルクを飲ませていた子が、歩いて登場してきたことだ。本気で笑ってしまった。歩いてたwww(失礼)
本当に嬉しかったので「〇〇ちゃん歩けるようになったんだね!すごいね!😘😘」と言うと、あり得ないくらい号泣された。
人の顔を見ただけでそんなに泣きわめくのはやめてくれ...。しかも担任に「悪いけど出てってもらえる?」と言われて私は絶望したよw
と思い出話はこの辺にして、本題に入ろう。
マスクを取ろうとしてくる乳児たち
気づいたことは、0,1歳が異様にマスクを取ろうとしてくること。(あ、保育中は常にマスクが義務付けられています。)
最初は、ああ、目の前にあるの何でも手に取りたくなっちゃうんだな〜と思っていたけど、冷静に考えてすごくないですか?
だって生まれて数ヶ月の子たちが、マスクなしバージョンの人間のデフォ顔を知っているってことですよ!!!じゃないとマスク取ろうと思わないですもんね???私はこれに気づいたとき感動しました。
だから、彼らは確かに目の前のマスクをつかもうとしているんだけど、それ以上に私の表情が見たいんじゃないかなと気がづいた。
思い返してみると、私は口角を上げることで笑ったことにしていた。お気づきの通り、マスクをしている私がいくら口角をあげたって、笑っていることは伝わらない。
声を出来るだけ出しながら目も笑うようにしてみたら、それだけで乳児も笑うようになった。明らかに、私たちは表情でコミュニケーションをとっている。
ハグから言葉に表現を変えた1歳たち
月齢の高い1歳児2人を、いつも通りトイレに連れて行き、「ズボン脱ぎましょ〜」と言うと、「は〜い」と言ってきた。
私はすごくすごくびっくりした。私の日本語に日本語で答えた!?!?と。今までは私が一方通行的にただ伝えて、私がズボンをおろしておむつ変えて、、、としていたからだ。
ズボン脱げないと今まで「あああああああ」と言っていたのに「脱げない」と日本語を話すようになった。
全部終わったらよくできたね!の意味を込めて、私とその子たちはぎゅ〜っとすることがお決まりだった。どっちが早く終えてぎゅ〜できるかを競っていたのは、あの子たちが日本語話さなくてもわかってた。
なのに今回は「できた!キャハハ!」と、日本語で喜びを表現してハグしてこなかった。
そっか、今までイライラは「あああああああ」で表してたし喜びはハグで表していたけど、日本語という表現方法があるからもう叫ぶ必要もハグする必要もないのか。
可愛い子たちがぎゅ〜ってしてこないのは悲しいけれど、この成長はとても喜ばしい。
共通言語を持たない者同士が表現し合うということ
私と乳児たちは、共通言語を持っているようで持っていない。お母さんのお腹の中にいる時から日本語を聞いているし生まれてからも日本語を聞いているのだから彼らは日本語を理解しているはずだと反論があるだろう。
もちろんその通りであり、彼らは日本語をかなり早い段階で理解している。しかし、彼らが日本語を自分の表現方法として取り入れるのは少し先だ。
だから私と乳児たちは表情や仕草で会話する。いわゆるノンバーバルコミュニケーションだ。そのためには顔を隠すマスクは邪魔な存在である。
とはいえ、私が彼らからの応答をないことにして一方的に語りかけていたことには少し反省している。きっと私が今まで語りかけていたことに、彼らは日本語以外の表現方法で返してきていたはずだ。
これからは、その日本語以外の微かな表現方法をキャッチして、共通言語を持たない者同士豊かなコミュニケーションをとっていきたいと思う。
色々勉強したいので、是非おすすめの本を併せて教えてください!🙏