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代表コラム4. 仕事における言語化

いつものロボットや物流から少し離れて、今日は「言葉」について思いを馳せたいと思う。

今回はやや哲学的な話に傾くことをお許し願いたい。

皆さんは、「言葉」についてどのように捉えていますか?

話すこと。書くこと。あるのが当たり前。あまり意識しない。

それぞれあると思う。僕も数年前まではただ発することしか考えなかった。

言葉よって我々は何を得ているのだろうか?

万人に言葉がない世界だったならばどうなるだろうか?

まず一つ言えるのは、言葉は他人へ情報を伝える手段であることだと思う。

当たり前のことだが、我々は言葉を介して相手とコミュニケーションをしている。

そしてこのコミュニケーションは、関係性が遠くなればなるほど言葉が必要となる。そう、共通言語だ。

有名な著書である「ホモ・サピエンス全史」では、これは非常に有名な話である。

物語を語りその存在を信じさせることで組織団結をうみ今の人間の元となる種族が生存し続けることができた。

生物として身体能力が決して高くないホモ・サピエンスが生き残れた大きな要因は「虚構」、すなわち架空の事物について語る能力を身につけたことで、人間は大規模な協力体制を築き、急速に変化する環境に対応できるようになった。

この「虚構」を語る能力において、自分以外の誰かとを共有するためには言語を通じて発していくことになる。

それも、言葉自体は万人が使えても、言葉の数は千差万別である。

つまりは、日本語や英語などの言語種類だけでなく、単語一つ一つの解釈までもが100%会う人などこの世にはいないはずである。

それは誰しもが自分の感性で物事に触れ、学習するためである。

これが全て統一されるのがロボットだ。ロボットには感性がなく数理処理にて行われるので、答えは「等しい」か「等しくない」である。

となると、そもそも人間同士100%理解し会えるなんて、理論的には破綻している。言葉は一つでも感性が全く同じなんてあり得ないのだから。

なので、言葉一つとっても「伝えたい」言葉と「伝わっている」言葉の差異についても都度検知していくことが必要である。

ここは関係値が近いほど検知の難易度は容易になり、遠ければ遠いほど難しくなる。契約書などの法整備が敷かれているのも言葉による解釈誤差をなくすためとも考えられる。

さらに加えると、自分自身の感性を「言語化」するという作業も必要となってくる。

思っていることを他人に伝えるのですら100%にいかないのに、自分の感じたことを言語化するのにさらに誤差が生じるようであれば自分と他人の間には更なるずれが生じる。

これは「言葉にできるは武器になる」でも有名ですが、自分のうちなる感情に注意を向けて、自分の言葉で正確に表現する、ということが書かれています。

そうなると、これは自分にも他人にもおき得るので、

●自分の内なる感情

●自分の言葉

●他人の言葉

●他人の内なる感情

ということになる。従って他人から出てきている言葉が全てか、というとそうでもないことになる。

この「他人の内なる感情」を正確に検知できた上で、「自分の言葉」を発することができた暁には人とのコミュニケーションにおいてアドバンテージを受け取れることができるのではないだろうか。

現に、これができている人は多くないと思う。私もまだまだ道半ばの未熟者であるが、これが意識、もしくは既に出来ている人と話している時はその人の背景に興味が湧く。

同じ言葉を話していても伝わり方が違うことも多々あるかと思います。

特に歌手の方については、言葉を音で放っているのではなく、言霊で語りかけているように聞こえます。

小泉進次郎さんの「言葉に体温と体重を乗せる」という動画でも語られていますが、温かくかつ言葉が響く人の共通項には、「言霊として語る」共通項があるように感じます。


共通認識を持つこと、内なる言葉(感性)と言語化された言葉があること、そして言葉を言霊で語ること。

ここがもしかしたら人間がどんな生物よりも、どんなロボットよりも優れている部分なのかもしれませんね。

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