いつも好かれているのは私じゃない
自己肯定感が極端に低い原因として、いつも自分はだれにとってもどうでもいいやつ、
たとえば、移動教室で待つ価値のない、なんとなく会話から、遊びから外される、みたいな扱いをされることだ
やんわり嫌われている場合、誘いを断られることも多い
明るいあの子も人裏ではキレられそうな人にガチ切れしてる部分があったり、マイケル・ジャクソンは猿や少年しか信じられなかったり、摂食障害をひっそり持っている人を見たりするにつけ、
プラス面の反動も大きく、つじつまが合っている?と思う場合もあるにはあるけど、
そんな裏のない天真爛漫で愛し愛されているみたいな人もいる
明るくても仲良い人は少ないよーと言われても、自分はその表面でのうまい振る舞いができない
うまく周りとあたりさわりのない関係も維持できない自分はなんで幼稚で自分がどう思われているかしか考えない自己中野郎だ、と思って来た
そこまで、強い思いや変えたいと思っていてもうまく変えられなかった自分と闇を抱えつつも普通に世間話をしようとする意欲や元気を持ちつつ働ける人との違いってなんだと思った
まず、会話のパターンが少ないことーー特に相手への質問や無難な過ごし方とか周りを見てこうじゃね?みたいに思ったことをはと話題にするのが苦手だったことかなーと
いつもひどく追い詰められていて、相手の反応や相手のことを見て知ろうという周りを見る余裕がなかったこと、そうしようという意欲が湧かない性格だったこと(自分のしたくないことに正直に従いすぎ が挙げられると思う
幼少期からなにか好かれなくなっていくなぁという恐れを体験し、親や家族、親戚から好かれるために必死に無理をしてきてでもそれは苦笑いされたり、相手を疲れさせているだけで、自分もその間違った方法でいつも疲弊していた
それでもはっきりこうしたらいい、聞き上手になれるスキルもよく分からなくて、なんとなく自分から好きなこととか家で、部活であったことを話してくれる人が楽でいい、くらいしか思わなかった
相手の反応を見て喜ぶ話題、見るものを変える、というやり方を変えていく、どう変えよう?と考えて試行錯誤する能力が圧倒的に乏しかった
どうすればいいんだろうー?周りを見て学ぼうと思いつつも、クラスは息が苦しくて、あまりうまくやっている人をじっと見つめても変だから観察しきれなかったのも敗因なのか
そして、興味のないアーティストや番組は、かるい情報すら観られなくて(人気のある曲、大体どんな内容か、新曲はこんなものが出るとか
疲弊と劣等感で気力も足りず、毎日学校で精一杯で、、もうどうしようもなかった
そのうち、どんどん数日間寝ていることしかできないダウン期間が発生することが月に1、2回起きるようになってしまった
夜眠れなくなり、何も食べたくなくなった
昼は寝て意識を飛ばすほかなかった
コミュニティで、社会的に承認されること、人並みに人と交われること、自分のしんどさや体力よりも、それらを追い求めて潰れてしまっているらしかった
これも2年フラフラ働いたり寝込んだりしてやっと気づけたことだった
嫌われるよりは、話さなくて気まずくなるよりはそうやって無理しているほうが楽だった
そんな積み重なったコンプレックスを気にならないで、自分のままでいてもいい場所をいくつか見つけることが今の目標だ
ある程度は”そのスキル”をやらなければならないが、結構そういう人はいて、堂々としていれば生きてはいけることを 学校 という枠から外れ、知った
それは部活の試合であったり、実習先であったり、クラスの中でも仲良くなろうとする姿勢は見せたけど、雑談をあまりしないのに堂々と座っているだけで好いてくれたり、話しかけてくれるグループ外の人がいた
そういった意味で、学外に出るということはとても大事なことと思うし、職場でもせめて堂々とした寡黙な人でいたいと思うようになった
聞きパターンを増やすことももちろんそうだがー
堂々たる沈黙ーー
これは話すのが苦手な人の1つのスキルなのではないか