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アグニェシュカ・ホランド『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』ギャレス・ジョーンズの人生より

"モラルの不安"時代から40年近く経った今でも、ザヌーシとホランドは元気に新作を取り続けている。その出来は取り敢えず置いとくにしても、毎回なんらかの映画祭で上映されているということは毎回期待されているということだろう。最近はドラマを単発で監督することの方が増えているホランドも2年に一度くらいの頻度で新作映画を撮っている。その最新作…と言いたいところだが、最新作は今年のベルリンに出品されている『Charlatan』だった。豚から始まる本作品はそのままジョージ・オーウェルを語り部としていて、『動物農場』を直接想起させる作りになっているが、それが効果的なのかは終ぞ分からない。タイプライターに向き合って物語る男がオーウェルと分かるのは登場から80分後だからだ。

題名にある"Mr.Jones"とは戦間期に活躍したイギリス人ジャーナリストのギャレス・ジョーンズを指している。1905年に学校長の父エドガーと家庭教師の母アニー・グウェンの間に生まれたギャレスは、1926にアベリストウィス大学フランス語学科を主席で卒業後、ソルボンヌ大学やケンブリッジ大学トリニティ・カレッジでも学び続け、フランス語のみならずドイツ語やロシア語でも優秀な成績を残したそうな。卒業後すぐに、前首相デビッド・ロイド・ジョージの外交アドバイザーとなって政界にパイプが出来る。その後ウエスタンメール紙の記者になったギャレスは、1933年の2月、当時急速に力を付け始めていたヒトラーとのインタビュー記事を書いた初めての外国人記者として有名になる。映画はその時のヒトラーやゲッベルス、乗っていた飛行機リヒトホーフェンなどの話をお偉方に報告する場面からスタートする。お偉方は"ドイツなんて取るに足りない"とジョーンズの言葉を信じない。トランプ時代直前を意識してしまうのは時代柄なのか。全ての始まりとも言えるこの短い失望に今の世界が転写されているようにすら見える。そして、映画はそんな調子で最後まで走り続ける。

本作品の中心にあるホロドモールとは、ソ連統治下のウクライナで起った人工飢饉による大量殺戮のこと。豊穣な土地を持つウクライナは外貨獲得のために全ての作物を搾り取られ、農民は土地に縛り付けられ、本末転倒ながら結果的に大勢のウクライナの農民たちは人工的な飢饉状態の中で亡くなっていった。しかし、特派員としてモスクワにいる外国人記者たちはソ連の見せたいものを見て、ソ連が伝えたいことを世界に発信しているだけだった。彼らはモスクワの高級クラブで遊び呆けており、その中にはニューヨーク・タイムズの記者でソビエトについての記事でピューリッツァー賞を受賞していたウォルター・デュランティも含まれていた。そもそもジョーンズはホロドモールを告発しようとしてたわけではないが、そんな状況では本当のソ連が見えてくるはずもなく、デュランティの秘書だったエイダを味方につけて、母が家庭教師だった頃に教えていた御曹司の村ドネツクへと潜入を開始する。

ミステリー映画のように殺された友人記者、ファムファタールのようなミステリアスさを纏って登場するヴァネッサ・カービーとのロマンス関係、スパイ映画のような短い逃走劇や逮捕劇、戦争映画のような列車の描写や分断された国々、ホラー映画のような生存者の子供たちなど、映画はよく分からないジャンル横断を繰り返してそれらをパッチワークのように貼り合わせたおかげで、雑多すぎて逆に印象に残らない作りになっている。映画の中心となるべきホロドモールも、その描写は残酷かつ実直なのにも関わらず、歴史の授業のように味気なく流されてしまったというかジョーンズの体験した事実の一つとして単に並べられていたというかそんな印象を受ける。

この映画の"人間として正しい自分を信じ続けろ"というメッセージはテレンス・マリック『名もなき生涯』に通づる部分がある。どちらもポピュリズムに傾く世界に向けた警鐘であると同時に、その構成員たる我々が雰囲気に流されるのではなく"本当の多様性"に向けて正しいことをしなければならないことのリマインダーのような役割を果たしていることは理解できる。しかし、両者ともにあまりにも主張が先行しすぎていて、愚痴を延々と聴かされているような感覚にすら陥ってしまう。

この映画で唯一良かったのは、色が抜け落ちたかのような電車のシーンでオレンジだけが色を主張しているシーンだろうか。あれくらいしか色を抜いた意味を理解できなかった。もう少しシンプルにしてその描写を掘り下げれば良かったんだろうけど、全部盛りは圧倒的に胃もたれしてしまうし印象薄めになってしまうのは否めない。伝記を後年に映画化する意味を与えることは重要だが、与えすぎるのも問題だ。残念。

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・作品データ

原題:Mr. Jones
上映時間:141分
監督:Agnieszka Holland
公開:2019年10月25日(ポーランド)

・ベルリン国際映画祭2019 コンペ選出作品

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