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アレクサンドル・レクヴィアシュヴィリ『The Way Home』ジョージア、森を失うことは祖国を失うこと

大傑作。アレクサンドル・レクヴィアシュヴィリ長編二作目。19世紀末、ジョージア南部はオスマン帝国の支配下にあった。前作『19th Century Georgian Chronicle』と同じく枯れかけた木々に囲まれた村に暮らす青年アンティムは、森の外れにある教会近くで三人組の男たちに誘拐されるも、男たちの仲間割れによって見知らぬ地で解放される。アンティムはオスマン帝国と対峙しようとする農民集団に出会い、家に帰る道が別れるまで同行することになる。物語は17世紀後半のカフカス/ルーマニアで活動したイベリアの聖アンティムの生涯から再構築されている。彼はジョージアで生まれ育ったが、誘拐されてコンスタンティノープル→ワラキア(ルーマニア)へと渡った人物であり、ジョージア人としてのアイデンティティを失うことなく世に広めた人物として記憶されているらしい。本作品におけるジョージア人のアイデンティティは森と強固に結び付けられている。前作と同じく、空が映らないくらい生い茂った木々が画面を覆い尽くし、アンティムを守る。途中で登場する高台で暮らす男は、地面から離れてしまったことで、水を飲むことすら許されない(穴の空いたバケツの美しさたるや)。そして、ロバや本が強盗に奪われた瞬間に、彼らは空に開けた土地を踏み、草木も何もない荒野を放浪することになる。これも前作と同じく先祖やその知識、生活の糧は森と直結しているので、それが失われることは森を失うことと等しいことを示しているのだ。

前作と異なるのは大きくニ点。一点目、本作品には明白な時間軸が存在しない。白髪の老人に向かって"若くなったな!"と声を掛ける老人は狂人扱いされているが、その時間感覚はあながち間違いではないのかもしれない。舞台は19世紀末だが、イベリアの聖アンティムが活動したのはそれより200年も前のことだし、実際に本作品の主人公アンティムと聖アンティムが同一人物だとしても別に違和感はない。アンティムや強盗は森の中でロバに引かれる荷馬車とそこに座って赤ん坊を抱えた老女を何度か目撃するが、後に若い頃の彼女のような人が登場するため、森の中で時間が超自然的に切断/接合されている可能性すらある(『樹海村』かな?)。それによって、歴史も画面の中に閉じ込め、森/祖国と重ねられている。
ニ点目は、カメラが動くことだろう。勿論、前作でもカメラは動いていたが、人が静止している場面ではカメラも静止していた。だが本作品では、静止する人物に対してにじり寄るように、或いは後退るようにカメラが少しずつドリーで移動している。カメラと被写体でダンスをしているかのような繊細で流麗なカメラワークは、完全にタルコフスキーそのもの、或いは調子の良いときのフランチシェク・ヴラーチル。前作は全編が他人の記憶を覗き見ているかのような懐かしさのある作品だったが、本作品ではそこにダイナミズムまで組み込まれるのだ。鑑賞後も暫し呆然としていた。あまりにも凄すぎる。

・作品データ

原題:გზა შინისაკენ
上映時間:78分
監督:ალექსანდრე რეხვიაშვილი / Aleqsandre Rekhviashvili
製作:1981年(ジョージア)

・評価:90点

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