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パトリシア・マズィ『Saturn Bowling』ネオン輝く狩人たちのボウリング場

大傑作。パトリシア・マズィ監督最新作。父親が死んだ。彼の遺した地下ボウリング場を相続した刑事のギョームは、その日暮らしで放浪中の異母弟アルマンに譲ることにした。地下ボウリング場は真っ赤なネオンライトで照らされた近未来的な、そして昼夜すら分からない底なし沼のような存在として、兄弟を絡め取る。放浪者として社会の片隅で行きてきたアルマンは、植民主義と男性優位主義をそのまま具現化したような父親のマンションも譲り受け、父親の服を着ることでその思想をも継承する。ボウリング場はハンターだった父親の仲間たちのたまり場となっていて、彼ら老人たちがバーで落としていく金が主な収入源だった。アルマンはそんな彼らの有害さを理解し毛嫌いしているにも関わらず、"一人前"として最終目的地は彼らであり、彼らと本質的に同化していく。彼はボウリング場の責任者という立場を悪用して、女性客を"狩って"いたのだ。最初の殺人については、出会いからセックス、そして突然の撲殺に至るまで詳細に描かれ、一見露悪的ともとれるほど執拗に犠牲者の血まみれの顔を映し続ける。それは犠牲者への鎮魂のようでも、彼女たちを記憶するための決意のようでも、これまでの作品が暴力の描写や死体そのものの存在をある種漂白してきたことへのアンチテーゼのようでもあり、少なくとも露悪的な目的だけで映しているわけではないことが分かる。一方で、ギョームは老人ハンターたちのことを理解しながら、同時に排除しようともする、良く言えば中立的な立場、悪く言えばズルい立場にあり、アルマンとは徹底的に対比されている。

老人ハンターたちは、ネット上で彼らを批判する環境活動家の若い女性スアンを毛嫌いしており、その中の一人が猟銃を持って彼女のオフィスに立て籠もる事件も起こしている。現場に急行したギョームはスアンと知り合って互いを思い合う仲になる。彼女のプロットから浮かび上がるのは、老人ハンターたちの意地の悪い有害性とストーリーのわざとらしい陳腐さだ。前者は言うまでもないが、後者に関しては批判も多い(というか受け入れがたい物語の批判の矛先をそこに向けているという印象)。問題のある弟、刑事とは相容れなさそうな仕事をしている意中の女性、やたら厳しい上司、わざとらしいくらい突然やって来る未来の被害者など刑事もののクリシェが様々登場する。しかしそれは、最後になってクリシェやマズィが本作品の中で作ったリズムを敢えて外すための布石に過ぎない。"過去は反論と修正によって破壊されなければならない"というニコラス・ベル評に深く同意したのはこれが理由だろう。

ボウリング場は駐車場や入り口も含めて地下にあるため、赤いネオンライトも相まって閉塞感が凄まじい。そこにその有害さを隠しもしない老人たちや動物のようなアルマンが解き放たれる緊張感が全編を覆っている。

・作品データ

原題:Bowling Saturne
上映時間:114分
監督:Patricia Mazuy
製作:2022年(フランス)

・評価:90点

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