怒りは二次感情
怒りという感情がある。
自分の思い通りに行かない時…
欲しい物が手に入らなかった時など…
怒りという感情が発生するものだ。
だけど、怒りの感情の根底には
悲しいという気持ちが常に存在していると思っている。
怒りは二次感情と言われる。
二次感情の前には、その原因となる一次感情があるので、
怒りという感情が生じる前には、
必ず怒りとは別の感情が生じているということだ。
誰もが怒りたいから怒る
というわけではない。
怒りという感情を用いて、
その根底にある一次感情を伝えたいというのが
怒ることの本来の目的であると思う。
だから、怒りたくなったときは、
「自分は何故怒っているのか?」
と、その元となっている感情を探ることで
自分のことを少し客観的に見ることができると思っている。
そうすると、
大抵は怒りという感情の根底には
悲しいという気持ちが存在しているものである。
「~してもらいたかったのに、してもらえなくて悲しかった。」
「~なつもりはないのに、そんなふうに言われてとても悲しかった」
…というパターンが多いのではないだろうか。
怒りは目的を達成するための手段である。
このことは「嫌われる勇気」でも紹介されている。
怒りという感情を使わないで済む方法を学びましょう。
怒りとは、しょせん目的をかなえるための手段であり、道具なのですから。
ただ、悲しかったという気持ちをわかってほしい…。
そのための手段として、怒りという道具を使用する。
「自分の気持ちを伝えたい」
「わかってほしい」
という欲求を叶える手段として
怒りという感情を用いるのだと思う。
俺はいつも自分が怒りを感じている時、
「腹が立つことをされたから怒っている」
「許せないことをされたから怒っている…」
と考えるのではなく、
「自分が望んだ状態にならなかったことを悲しいと思っている」
「自分の気持ちをわかってもらえていないと思って悲しいと感じている」
というように考えるようにしている。
怒りという感情にフォーカスすると、
火に油を注ぐようにますます怒りの感情は大きくなってしまうが、
怒りの根底にある
悲しいという気持ちに寄り添ってあげることで、
自分のことを大切にしてあげようと思えて、
優しい気持ちになることができるからだ。
誰だって怒りたいと思って怒っているわけではないと思う。
悲しんでいる自分を慰めてあげたくて
辛いと感じている自らの心を守るために、
怒りという道具を使用しているだけなのだと思う…。
だけど、怒りという道具を使うことは
自分も相手も傷つけることになりやすいものだ。
俺自身、
他人に怒りを感じて攻撃的になってしまっていると思うだけでも
自己嫌悪を感じてしまうものだし、
それを他者に言動で伝えてしまった場合には、
より一層自己嫌悪が加速することになる。
怒りとは、最も安直な解決手段であるからこそ、
ついつい使ってしまいたくなるものだが…
その道具を使った後は、
後悔しないでいられる方が難しいものであり、
他人に向けたのと同じ分だけの刃を自分に向けるくらい
その代償も大きいものであると思っている。
だからこそ、
できる限り怒りという感情に囚われることなく
自分の気持ちと向き合っていきたい…
そう思っている。
最近、自分自身がついついイライラしがちであると感じているし、
今日も怒りに囚われてしまっている自分がいたので…
そうならないようになりたい…と思い
怒りの感情についての考えをまとめてみた。
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