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2人のカメラマンがコラボして紡ぐ日常の小さな幸せや想い。 当たり前のように感じる私達の…

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2人のカメラマンがコラボして紡ぐ日常の小さな幸せや想い。 当たり前のように感じる私達の1日は変化に富み、一期一会の出逢いが常にあります。残しておきたい私達の日常や想い、ありきたりないつもの光景はきっと未来の宝物になるはずです。

最近の記事

たわいもないこと

小学校に上がる前からひとり遊びが得意でした。得意と言うよりそれしかなかったような記憶があります。なんとなく季節が巡っていくことを覚えながら、家の中で工作をしたりしながらただひたすらに家族が揃う夜が来るのを楽しみにしていたように思います。 夜になると母の声が部屋に響き、温かな御飯作りの音が聞こえ始めて家の中がパッと明るくなるような気がしました。何していたの?と聴かれても毎日同じことの繰り返しで特に変化もないのですが、ひとりで作った工作を見てもらったりテレビで観たことを話してい

    • 特別なものを写せない

      カメラマンには色々なタイプの人がいるけれど、わたしは何かを狙ったり探して写すことがほとんどありません。相方がよく言うのは本当にプロなのだろうか、ということなのですが実に的を得た表現だと思っています。 してやったりという写真は生涯で一枚も撮れていない気がします。撮れていないというか、撮っていないのかも知れません。意図がないので撮れようもありません。相方と一緒に写真を写していても、ほとんどまともに撮影をしている私の姿を見た事がないんじゃないかなと思います。私は大丈夫なのでしょう

      • 春がきた

        今日は今年一番の暖かさだったとか。 私の住む地域では県内25℃前後あったらしい。 花粉症の自覚がないまま生きてきた私だが、去年の秋頃から、色々とアレルギー反応が出てしまい喘息まで発症してしまった。多岐に渡るアレルギー検査で、なんと花粉アレルギーまであった。 花粉症といえば、くしゃみ、鼻水、目の痒みのオンパレードという印象だが、そういった症状はなく、まさか喘息発作まで起きるとは思ってもなかった。 よってこの春からは吸入ステロイド薬必須の春となってしまった。 さて、こちら

        • お昼時間

          大抵の皆さんはお昼の12時ともなれば、昼休憩・お昼ご飯の時間となるでしょう。 Kさんも私も、仕事柄12時の昼休憩はほとんどとれず、撮影中だったり、わたしの場合は別仕事があったりで、ここ何年も私はあまりお昼ご飯を食べることはないです。 仕事がお休みでラッキーな場合は、よくランチに行ったり作ったりもしますが、まぁひと月に1~2回あるかないかです。 私は料理を作ることも食べることも好きで、特にここ数年は体調を崩しがちなため、身体になるべく良いものを取り入れるよう意識しています。

        たわいもないこと

          春の気配

          忙しさや体調不良が重なり、日々忙しなく過ごしているうちに気づけば春の訪れを感じるようになってきた。 Kさんの住む北国では未だ大雪に見舞われているが、私の住む地域ではいよいよ春の芽吹きを感じられるようになってきた。 白梅も咲きだし....菜の花も咲きだしてきた。 北国に住むKさんはいつも花が見たい、彩りを感じたいと言い、たまに私に花の写真を撮ってくれ、とせがむが同じく雪国出身の私からすれば、雪のない冬は冬じゃないという感覚なので、私は雪が見たい。 Kさんに雪が見たい、と

          春の気配

          雨と夏と

          ここ2週間は雨ばかりで、ほとんどお日様を見ていない。青空を見ていない。 今年の夏は、大雨による災害とコロナによる災害とがメインで、子供達の『楽しい夏休み』という思い出はなかなか出来ないであろう。 ここのところ忙しくて、空を仰ぐ時間もない。だけれど、こんなにも雨が続いていると、もはや青空は今日も見れないのであろうという事が念頭にあり、雨に慣れてしまい、正直、空を見ることさえなくなってしまう。『諦め』だ。 最近、青空を見れていないから、写真のデータを整理しながら、夏らしいも

          雨と夏と

          気まま

          趣味でやっていることは自由なはずなのに、しがらみができると楽しくなくなることがある。例えば絵画、例えば囲碁将棋、釣り、或いは写真もそのひとつ。 人からの評価を受けたり、人との関わり合いの中で自分だけの楽しみでは無くなってしまうからということも時にはあるのでしょう。SNSで悩む人が後をたたない、なんてのもそのうちの一つかもしれないし。もともとそこには何もなかったはず。もともとは個人の楽しみや興味だったはず。 あれやこれやと煩わしいことも人間臭くていいけれど、趣味なのだからも

          通ったことのない道を歩くのが好きだ。 そしてそこで通り過ぎてく人や、自分の前を歩く人を見るのも好き。 幾つもある道をそれぞれの人が、それぞれの目的で、それぞれのペースで歩いて行く。 道を歩けば色んな物や人や事柄に出会う。 目にした事物が時には自分の人生に影響を与えるくらい重要な出逢いだってある。 さて、どちらの道を行こうかな。 いつだって人生は選択の連続だ。 Tomorrow is a new day.

          生き方

          生きてることが辛いなら 悲しみをとくと見るがいい 悲しみはいつか一片の お花みたいに咲くという そっと伸ばした両の手で 摘み取るんじゃなく守るといい 生きてることが辛いなら / 森山直太朗 写真なんか見たくも撮りたくもない日もいっぱいあったけれど、数年前に恩人が写真の素晴らしさや撮るということの意義を教えてくれました。それでカメラを買いました。初めての自分のカメラ、嬉しかった、本当に。 それ以来、どんな日でも写真を撮らない日はないです。 私のコンディションと

          【コロナ】

          医療職でもあるが、コロナワクチンを病院運用の為に医療従事者から先行して打っていくという話だったが、結局最前線医療でもないから未だ打ててない。いや、最前線で働いてる医療従事者の友人でさえ接種されてない状況。 そんな中で高齢者接種が始まったが、医療従事者も接種が十分にされてないまま。確かに高齢者には必要だが、よりによってネット予約や電話が出来る自立高齢者向けのような接種方法に疑問すら感じる今日この頃。それすら出来ない支援や介護の必要な高齢者から接種させるべきではないのか?国の方

          【コロナ】

          無機質に宿るもの

          こんばんは。4月に入り暖かい日が増えてきました。街を歩いても、家の周りを散歩しても目にする物の輝度が高く見えてくる季節になってきました。 私は人の意図、思惑が見えることや物がなぜか好きです。それはデザインや文字、絵になって表れているものもあるし、機能として形取られた物もそうだし。 「それはどうしてそうだったのだろう」「こうしたかったのかな」などなど、造り手の気持ちが分かってくると嬉しくなります。 無意識に作られた物もあるのかもしれないけれど、個々の表現欲が、思いやりが、

          無機質に宿るもの

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          美しく儚いもの

          美しく儚いもの

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          地上にある太陽

          地上にある太陽

          刻々

          生涯であと1枚しか写真が写せないとしたら何を写そうか? 自分軸で考えたならそういう言葉になるけれど、もともと写真はその瞬間その瞬間の1枚しか撮れないのだと思います。 今日の雲は明日には撮れない。 草花は明日には咲き方も背丈も変わってる。 少しずつの変化だから気づかないこともあるかも知れないけれど、確実に変わってる。 なにより紡ぎ手の気持ちが人間力という幅の中で変わってる。 殺風景な世界にも、なんにもないってことはひとつも無くて、全ては1秒ごとに意味深く進んでいる。

          【手】

          ひとの手仕事を眺めるのが好きだ。 特に『手』を観るのが好きだ。 手は語らずとも時に雄弁であるかのように思う。 手はその人の人生をも語っているかのようで、私はつい人の手を見てしまう。 年老いた手をみていると、その人の今までの苦労や努力まで見たような気になる。 自分の手や指にもどんどん時が刻まれていくのだろう。 この小さな手でたくさんの幸せを掴んでいってほしい。純粋無垢な赤ちゃんの手を見る度にそんな事を思う。 物作りをする手。色々なものを作り出す『手』は誰のどんな手でも