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山菜夜話

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山菜について書いています。山菜耽美主義を目指します。
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山菜採りと「ピラ」という方言。

「ゼンマイ、そこのヒラさ、生えてるべ」と、現地の人に言われたとき、「ヒラ」という単語がどういう場所を示していると思いますか? A.たいらな場所 B.崖斜面 さぁ、どっち? 「ヒラ」という単語は、さらに訛って「ピラ」という単語になったりするけれども、北秋田の方言では、崖斜面のことを指している。 父がよく、「そこのピラのゼンマイ」なんて表現を使っていたものである。 わたしの父は、いわゆるマタギの里を擁する秋田の阿仁町の生まれだったから、言われていた当時は、「なんとも奇妙な秋田弁

山菜夜話13 フジ その2

フジの花の開いたものを採取しているときに、眼のなかに波紋のようなゆがみが広がっていくのを感じることがある。まるで油膜が溶け出してくるように、眼球表面で光の屈折が波紋状に変化することで、視界にゆがみを生じてしまっているようだ。一瞬、中心性網膜症とか黄斑変性症とか、こむずかしい眼の病気や異常を疑ってしまうが、しばらくすると、その波紋のようなゆがみの症状は何事もなかったように治まってしまう。原因はなんなのか、状況から考えてこれはフジの花しかないだろうと、いろいろ調べてみたところ、ど

山菜夜話12 フジ その1

フジという植物は、公園や憩いの広場に藤棚が作られるなど、園芸植物としても有名であるが、山菜としても一級品の味覚を持っている。ワラビ採りに赴いたときなどに、藤の花に巡り合えれば、実に爽快な気分となれる。西行法師の「願わくは花の下にて春死なん」の歌にある花とは、無論、桜のこととは思いつつも、藤の花のシャワーを浴びていると、藤の花の春ということだっていいじゃないかと思えてきて、萱場の大地のぬくもりの上に大の字になって、降り注ぐ藤の花の輝きを仰ぎ見ている。ウグイスがしきりにさえずり、

山菜夜話11 ウド

山菜と言えば、暗くじめじめした雪解けも終わりきらないような湿地の片隅に、恥ずかし気に顔を覗かせるような山菜が多いけれども、日当たり斜面に堂々とその姿を現すウドという奴は、その色彩や姿形も相まってどこか健康的な植物のように見える。太陽に愛されているかの山菜の趣きに満ちている。栽培品の東京ウドが有名な関東圏の人たちには、軟白ウドの方が目にする機会が多いのだろう。軟白ウドの方をウドと呼んで、山でとれた野生のウドをヤマウドと別名をつけて区別したりする向きがあるようだけれども、本来、太

山菜夜話10 ジョンナ

ジョンナとは、図鑑などでこれを見て、わかりやすそうな名称だったので、対外的にはこれを用いるようにしている。図鑑などに掲載される際の正式な名称は、ヤマブキショウマである。土地によっては、イワダラなんていう風情のある別名などを用いるところもあるようだ。秋田の山の奥の奥の生まれだった私の父は、これをアカハギと呼んでいたのだが、一般的な図鑑には、アカハギという名称は、別名としても掲載されていることはなかった。アカハギという名称で育ってきた私であったが、対外的にアカハギでは通じないとい

山菜夜話9 シドケ

シドケとの出逢いには、いつも何がしかのドラマがある。小滝のほとりの苔むした岩のかたわらに育つ、シドケの草姿を偶然に見つけたときは、思わず、はっと息を呑む。飛沫を浴びて、シドケの葉は濡れそぼり、茎はますますその透明感を増して、枝沢の風景を飾るかのように、しとやかにたたずんでいる。モミジの樹の萌え出しか、ひこばえのようにも見えなくもないその姿につけられた、シドケの正式な呼び名はモミジガサである。名前もまた風情のかたまりとなっていて、眼で見ている光景に対して、概念上からも興を添える

山菜夜話8 アイコ

アイコの正式な呼び名はミヤマイラクサである。略してイラなどと呼ぶところもあるそうであるが、雑草としてよく見かける一般的なイラクサなどとはまったく異なる種類である。イラクサのイラとは、イラ蛾などと語源は同じで、刺毛のことを指している。秋田を中心として、東北ではアイコの呼び名で呼ばれることが多いのであるが、この厄介な刺毛を持つ厄介な山菜のことを、何故、わざわざ女性の名前である愛子などと名付けて呼んでいるのか、由来のほどは不明である。秋田では、ボンナやシドケと並ぶ、山菜の御三家であ

山菜夜話7 ソデコ

ソデコは、本来はシオデという名称で一般には知られている。山アスパラガスという異名を授かっていて、見た目の雰囲気と味わいがよく似ているという。ソデコという名称もまた、シオデとタチシオデという、よく似たグループをひとまとめにした集合に対しての呼び名であるが、山アスパラガスという異名は、本物のシオデのみにこそふさわしく思われる。残念ながら、私は、山アスパラガスの異名を持った本物のシオデの姿を見たことはない。私がフィールドとしている山には、この本物のシオデという種類は自生せず、近縁の

山菜夜話6 ボンナ

ボンナとは、ヨブスマソウやイヌドウナ、カニコウモリなどのコウモリソウ属の仲間を、複数種類を寄せ集めた集合に対する総称であって、学名のように一対一の写像に与えられた名前というわけではない。ものすごく大雑把なくくりの呼び名である。だからなのか、その総称そのものにも土地ごとの揺らぎがあって、ボンナ、ホンナ、ドホナ、ドウナとかゆるやかな移り変わりを見せる。挙句の果てにはドッホイナなどという、しゃがみこんだ際に思わず出た掛け声を、隣で聞いていた人が植物の名前と勘違いして伝わったのではな

山菜夜話5 タラノキ

タラノキの新芽がタラノメである。タラの穂のようでもあるからタランボなどと呼んだりもする。タラノキには棘の出方によって呼ばれ方に違いがあって、飛び出す棘も荒々しい威厳ある姿の鬼たらと、棘の少ないしっとりとした幹肌のもちたらとがある。新芽のまわりに棘のないもちたらの方が、折り採りやすそうだから、きっともちたらとの出逢いを求めるだろうと思われるかもしれないが、せっかく山に趣いてタラノキに出逢うのならば、私は断然、鬼たらと出逢いたいと思う。何と言っても迫力が違う。カブトムシやクワガタ

山菜夜話4 コゴミ

ワラビ・ゼンマイと並ぶ、食用シダ植物第三の刺客。コゴミは、正式にはクサソテツと言って、草姿がソテツの雰囲気に似ているからこの名がついたということになっている。みちのくの北の大地に、ソテツなんぞという南方系の植物樹種は生息してはいないから、ほとんど競合することのない両者ではあるけれども、クサソテツと呼ばれてしまうとソテツとの対比からの二番手の存在という気分がして、コゴミという呼び名こそがふさわしく思える。 日差しのさほど強くなく、かと言ってまったくの日陰というわけでもなく、適

山菜夜話3 ワラビ

タニウツギの花が咲くと、ワラビ採りの盛りである。ワラビ野の入り口に踏み入れば、妙琴蝉が腹を震わせて鳴く声が、あたり一帯を支配するかのように響いている。妙琴蝉とは、エゾハルゼミのことである。「みょーきん、みょーきん」と鳴くので、妙琴蝉の字を当てられているのだが、幾百幾千の群れになって鳴かれてしまうと、のどかに「みょーきん」などとは聴こえて来ない。その声は、眼にしている風景の中に溶け込んでしまい、もはや音を見ているのか、森を聴いているのか、五感が混同してしまったような心持ちに

山菜夜話2 ゼンマイ その2

ワラビとゼンマイとは同じシダ植物の仲間ではあるものの、その性格は著しく対照的だ。ワラビは煌々と照りつける太陽を好み、日差しの降り注ぐ日当たりのよい草原にひょっこり現れては、勢いに任せてその拳を振り上げる。ゼンマイは太陽を厭うかのように日陰に育ち、危うげな泥土の斜面に身を寄せたぐらいではまだ気が済まぬらしく、その姿をさらに煤けた綿毛で覆い隠している。ゼンマイとワラビとは、まるで陰と陽。この両者は、地面の下の生息域の境界で、無と有のせめぎあう混沌の中、対生成・対消滅を繰り返してい

山菜夜話1 ゼンマイ その1

山菜の筆頭顔役は何であろう。レジャーとして愉しむ山菜採りならばワラビがその主役格であろうし、メジャーな山菜を答えとするならばフキなどでもよいのかもしれない。その存在感からウドを山菜の王者と挙げる方もいるであろうし、収穫量の多さと収穫時期の長さからミズの存在もまた捨てがたい。根強いファンのあるタラの芽や、姿のよさからシドケなどと答えるマニアな方もいるだろう。いずれも山菜を愛するがゆえのことと、自分なりの答えを持っている方には敬意を表するばかりであるが、私が今回の記事で取り上げる