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山菜夜話12 フジ その1

フジという植物は、公園や憩いの広場に藤棚が作られるなど、園芸植物としても有名であるが、山菜としても一級品の味覚を持っている。ワラビ採りに赴いたときなどに、藤の花に巡り合えれば、実に爽快な気分となれる。西行法師の「願わくは花の下にて春死なん」の歌にある花とは、無論、桜のこととは思いつつも、藤の花のシャワーを浴びていると、藤の花の春ということだっていいじゃないかと思えてきて、萱場の大地のぬくもりの上に大の字になって、降り注ぐ藤の花の輝きを仰ぎ見ている。ウグイスがしきりにさえずり、眼にも耳にも心地よい瞬間を作り上げる。花札の図案を、私に決めさせてもらえるならば、迷いようもなく「藤に鶯」、フジの花にはウグイスの声がよく似合う。

フジの花1

一口にフジとは言っても、日本列島の東と西で違う種類のフジが生息していて、一筋縄ではいかないようだ。東日本に住む人たちが目にする機会が多いのはノダフジという種類であるが、西日本にはそれとは少し違ったヤマフジという種類のフジが生育している。ノダフジの方が、花序の長さや花の大きさについて、ヤマフジよりも長く大きい。花の咲きだす様子も異なっていて、ヤマフジの花序は一斉に咲きだすものの、ノダフジは花序の根元の方からゆっくりと順番に花開いていくという。東北育ちの私はヤマフジの姿を目にしたことはないけれども、その花序の長く大きいノダフジの方が、藤棚から降り注ぐ様子もシャワーのようで美しいのではないかと推測している。ノダフジとヤマフジの、個人的に、最も興味深い相違点は、藤蔓の巻いていく方向である。藤蔓が、右に巻いて伸びあがっていくのが、東日本に多く見られるノダフジで、左に巻いて伸びあがっていくのが、西日本に多く見られるヤマフジである。どこでそのような巻き方の違いになったものか、考えを巡らしてみるのもまた面白く、馬鹿と阿保の分布境界のように関ヶ原あたりで入れ替わるものか、その分布域のせめぎあいには非常に興味が湧いてくる。ノダフジとヤマフジの分布の交わるところでは、互いの巻きの打ち消しあいが行われているものか。逆スピンの巻き方を持つ二種類のフジがあるとき同時に生まれ、あるときまた同時に枯れて消滅していたとしたなら、まったく面白いではないか。ノダフジとヤマフジの、遠く離れた場所で生まれたふたつのフジの個体数が、互いに影響しあって実は同数であったとしたら、どうだろう。今ここで私が、目の前に見えているフジ蔓の巻きの方向を、ノダフジの巻く方向なのだと観測すれば、遠く離れたどこかの山奥に生育するヤマフジの巻きの方向もまた一様に定まるとしたならば、宇宙の神髄が藤蔓の中に巻き込まれていることになるだろう。ノダフジとヤマフジのもつれあい、藤蔓のエンタングルメント。こんな山奥の深いところで、いい気になって、奇妙なEPRパラドックスのことなどを考えたりして、私はひとりの時間を満喫している。

フジ新芽1

フジ新芽2

フジ花穂2

フジ花穂1

山菜としてのフジの味わえる部位は、出はじめの新芽と、伸びた蔓の芽先、丸まって愛らしき花蕾と、垂れ初めの花穂、それに開き始めた花房である。基本は、柔らかい新芽や少し伸びた蔓先を、天ぷらとして戴く。フジの新芽や蔓先などには濃厚なコクがあって、私は、タラの芽の対抗馬とも言えるのではないかと思っている。フジの持つコクの旨味をじっくりと愉しみたいので、フジの芽の天ぷらは降り塩で味わう。豆科特有とでも言うのだろうか、とても濃厚なコクが感じられて、えぐみを愉しむ山菜が多い中にあって貴重な存在となっている。花蕾の集まった花穂や、少し開き始めた花序なども、天ぷらや酢の物などにして愉しめる。特別、味のするものでもないと思うが、春の香りと気分を存分に愉しむ目的で、少量いただくことにしている。フジの花や藤豆の中には、微量ながら毒成分が含まれているというから、多食は禁物である。「鬼滅の刃」の鬼たちも敬遠するというぐらいのフジの毒であるから、我々人間も節度を持って愉しむことにしたい。

フジの花2



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