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山菜夜話13 フジ その2

フジの花の開いたものを採取しているときに、眼のなかに波紋のようなゆがみが広がっていくのを感じることがある。まるで油膜が溶け出してくるように、眼球表面で光の屈折が波紋状に変化することで、視界にゆがみを生じてしまっているようだ。一瞬、中心性網膜症とか黄斑変性症とか、こむずかしい眼の病気や異常を疑ってしまうが、しばらくすると、その波紋のようなゆがみの症状は何事もなかったように治まってしまう。原因はなんなのか、状況から考えてこれはフジの花しかないだろうと、いろいろ調べてみたところ、どうやらその原因とは、花粉というもののメカニズムにあるらしいという情報に辿り着いた。おしべから散布された花粉は、めしべ柱頭に辿り着いた際に、その粘膜上の浸透圧差を感知して、花粉管の伸長を始める。方向を間違うこともなく胚珠に到達する高性能なメカニズムではあるものの、状況にうっかり騙されてしまうことも多いようで、めしべとは異なる溶液中で飛び出してしまう粗忽者でもあるようだ。この場合、眼球表面の涙液の上に付着することで浸透圧差が生じたことを、めしべ柱頭の粘膜上に辿り着けた、受粉できたと早合点の勘違いをして、うっかり飛び出てしまったものである。浸透圧差が変われば反応してしまうのは、抑えようもない条件反射であろうか。花粉管の伸びていく範囲に比例して、ゆがみの波紋は徐々に広がっていくから、花粉管を突き出されたこちらとしては、不安になることこの上ない。そのことに気づいてからは、よく開いたフジの花房を採集するときには、自分の眼球に注意を払って集めるようにしている。自分の眼を保護することも勿論ながら、なんの罪もない無邪気な花粉たちに、受粉できたとぬか喜びさせてしまうのも申し訳ない気分になってしまうからである。

ノダフジ

フジの蔓先に止まっていて、わりと見かけることの多い豆甲虫は、フジハムシという奴だ。貴石のように照りのある色彩と、愛嬌のある体形のせいか、見かけた際にはなぜだかほっこりさせられてしまう。フジの蔓にがんばってしがみついているようにも見え、支えてあげたくなってしまうが、フジハムシに余計な手出しは禁物だ。必要以上に近づいたり、うっかり手を伸ばしたりすると、その気配を彼らは敏感に感じ取って、ぽとりと下に落ちてしまう。天敵から逃れるための、彼らハムシたち特有の必死の擬死行動である。自分の脚でのろのろと歩くよりも、はるかに早く危機を脱することが出来る行動であり、無理に飛び立って追い食いされてしまうよりも、地球の重力に身をゆだねて自然落下してしまった方が、はるかに鳥の目からは逃れやすい。可愛いと思って手を伸ばしていくと、指が触れる前にぽとりと落ちて、あっという間にいなくなってしまうのだ。おお、これがハムシの擬死行動というものかと、瞬間、新鮮な気持ちになるが、あまりに早く訪れた別れに残念な気持ちにもなる。春の日差しを照り返して、のんびり生きているように見えているフジハムシではあるものの、常に生き残ることを考えているサバイバリストでもあるようだ。その行動は、投げやりな死んだふりとはまったく異なり、生きるための擬死によって、死中に活を求めている。指でつまむだけで潰れてしまうようなこんな小さな虫たちが、何千万年もの長きに渡って命を繋いできたのかと思うと、まったく頭が下がる思いである。

フジハムシ1

フジハムシ2

藤という植物は、天使であろうか、はたまた、悪魔であろうか。紫のワラビを求めて薮の中をくぐり抜け、ひらけた空一面に藤の花が広がっているとき、その景色はまったく神々しいものに思われる。大木に、その蔓を巻きしめてのぼりつめ、天のいと高きところから、太陽の光とともに、瀑布のごとく落ちかかる藤の花。天使だとか悪魔だとか、そんなものは通り越した神聖さに、樹冠は包まれているようだ。さらにワラビ野を歩けば、朽ち果ててしまった倒木に、ゆるやかに絡みつき、花を垂らす藤の姿もある。まるで、倒木の過去をなぐさめるかのように、そっと寄り添い、やさしく降りかかる花の雨。なんてやさしき世界。朽ちて久しき倒木は、藤の花の香りに包まれて、命のぬくもりの中に眠っている。そんな倒木をあとにして、ワラビの姿を追いかける。紫の薮ワラビを求めて、いつもの薮をくぐり抜けると、毎春、藤の花を垂らしていた大木が、幹の途中から裂けて砕けて倒れ込んでいた。藤の蔓の太いものが、ニシキヘビのようにその大木に絡みつき、地面に組み伏せるかのように、力感を持ってのしかかっている。大木は、藤の強靭な力に締め付けられて、苦しく息絶えたのだと悟った。何食わぬ面持ちで、藤は、その花穂を大木のまわりに垂れている。木の幹の砕けた部分には、藤の太い蔓がいまだ力を緩めることなく、巻き絞めている。その大木の姿を称えるかのように樹冠を飾っていた藤の花は、今や墓前に捧げた献花のようでもあり、愛する者にすがるかのように巻き付いていた細くかよわい藤の蔓は、ついに新しき世界の支配者となった。あまりにも、あさましい藤の姿に唖然とさせられると同時に、その悪魔的な力と美しさに魅了されもするのである。そんな光景を目の当たりにして、心が、奇妙な逆転現象に捕らわれる。つい今しがた見た、朽ちた倒木に注ぐ花の雨は、はたしてやさしさだったのだろうか。やさしさを装って寄り添う、藤の花は、元来、罪人だったのではなかろうか。愛するあまり、その手にかけてしまった男に寄り添う女のように、その亡骸に語りかけるような、そんなやさしさ。あの朽ちた倒木も、かつては愛された藤の花に、締め上げられてとうとう音をあげた大木だったのではあるまいか。自らが、組み伏せるように締め付けて、倒しおおせた枯れ木から降らせる、無機質めいた花の雨。運命を愛せよ、生態系に殉じよ、と、冷ややかに降り注ぐ藤の花。そんな無機質な、死神のほほえみのような、花だったのではあるまいか。北欧神話の中の運命を預かる三女神、淡々と運命を紡ぐノルン三姉妹のほほえみのような美しき花。なるほど、藤という植物は、魔性である。魔性の蔓に抱きしめられて、恍惚となってその大木は破滅した。美しき花びらのシャワーを降り注がせて、陶酔にいざないながら、じわじわと藤の蔓は、樹木の幹を締め上げる。苦しみにあえぎながらも、目の前に垂れ下がる藤の花の色どりと花の香りにくらまされて、藤に巻き付かれた樹々はいつしか恍惚となるというのか。藤の花を愛する幹は、美しさで麻痺させられて振りほどくことも出来やしない。美しき藤の花に突きつけれらた罪と罰に酔いしれて、いつしか後戻りは出来ないくらいに締め上げられる。今は、大木の恍惚の象徴であるかのように、藤の花が咲き誇って見えている。藤という植物は、はたして天使であろうか、悪魔であろうか。悪魔がかつては天使であったように、堕天使が悪魔であるように、この世界は表裏一体であるということにしておこう。

締め付け


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