見出し画像

山菜夜話10 ジョンナ

ジョンナとは、図鑑などでこれを見て、わかりやすそうな名称だったので、対外的にはこれを用いるようにしている。図鑑などに掲載される際の正式な名称は、ヤマブキショウマである。土地によっては、イワダラなんていう風情のある別名などを用いるところもあるようだ。秋田の山の奥の奥の生まれだった私の父は、これをアカハギと呼んでいたのだが、一般的な図鑑には、アカハギという名称は、別名としても掲載されていることはなかった。アカハギという名称で育ってきた私であったが、対外的にアカハギでは通じないということであれば、別の名称を用いるしか方法はなく、選択的に使用するようになったものがジョンナという名称である。そもそも、これをジョンナと呼ぶ地域に育ったというわけではないため、ジョンナという名称がどの地域で使われているのか確かめてみたいという思いに駆られることがある。そして、アカハギという名称についても、ほかにこの名称を用いている地域がないかなど、いつか調べることが出来たらなぁと思っていたりしている。

ジョンナ1

アカハギことジョンナは、私にとって、陽光に輝く早春の緑の象徴である。その緑色はあまりにも美しく、早春の風と光に愛されてそこにたたずむ、ジョンナの澄んだ緑に心を奪われ、それを摘み採ることをさえためらってしまうほどだ。ジョンナのことを、さして個性の見られない山菜のように紹介している山菜図鑑などを見るにつけ、何やら大切にしているものを否定されてしまったかのような気分なる。ヤマブキショウマとトリアシショウマとサラシナショウマの、三つのショウマをひとつの項目にまとめて取り上げている図鑑などもあって、ひとからげ感がどうにも切ない。山吹のショウマはバラ科、鳥足のショウマはユキノシタ科、更科のショウマはキンポウゲ科と、その芽出しの様子も分類群自体も異なっているのに、生育したあとの白い穂のような花が似ているという理由でひとまとめにされてしまっている。味覚だって調理法だって、それぞれに違うわけで、クラス担任の先生には、こんなことはして欲しくないという、代表的な行為じゃあないかと思ったりもしてしまう。主に味噌汁や天ぷらなどで味わうが、醤油で煮込み、一日置いたあとのダシなども、やさしくふくよかでそれなりに美味しいものだ。

ジョンナ3

春先、雪解けも終わらぬうちの、山笑うなんていう表現からもまだほど遠い沢のそばに、ジョンナはその姿を現わす。枯れ野にいち早く萌え出でて、緑のまばゆい輝きを振りまきながら、その繊細な葉の一枚一枚を広げていく。色のない世界に突然に現れる、そのあでやかな新緑の輝きが、私はたまらなく好きなのである。蕗の薹やアザミの芽出し、スカンポの姿もまだ小さいうちから、ジョンナがはりきって背を高くして、やわらかく風にそよぐ。灰色と茶色の布地に、ライムグリーンの絵の具を一滴落としたような、その萌え出しが見られさえすれば、早春に、ほかに出遭える山菜がなかったとしても、満足して帰路につけるくらいである。ウドやらコゴミやらの山菜界のスター候補たちが揃って土から顔を出して来れば、下生えの草の一種にまぎれ込み、あまり見向きもされない山菜ではあるが、人にはそれぞれに見せ場というものがあるはずで、山菜にも、それぞれの見せ場というものが確実にある。その見せ場を、見る者と見ない者とがいるだけで、輝ける一瞬は、どんなものにだってあるはずである。まわりに先駆けて輝きを放つジョンナの鮮やかな緑色は、そんな青臭い理想でさえも、無批判的に信じる気分にさせてくれる。

ジョンナ2

山菜採りのピークを迎える頃には、ジョンナはもうその季節を終え、自らの役割を終えている。ワラビやウドなどを目指して登ってくる山菜採りたちは、ジョンナの彩りのその鮮やかなことをきっと知らないであろう。私だけが、ジョンナの輝ける時を知っている。ほくそ笑んで、また来年、ジョンナの輝きに巡りあうために、雪解けも待たずに山に入る。私の入る山では、ジョンナの宝石のような輝きは、私がほとんど独り占めしている。それを知ってか知らずか、ジョンナは毎年、緑色に輝いて、けなげに精一杯に萌え出し始める。なんて素晴らしきこの世界。特に目立つ特徴があるわけでもなんでもない草花の存在が、尊い輝きに感じられるその瞬間こそ、この世界の素晴らしさを身に沁みて感じることの出来る一瞬間であると、青臭さのままに、私は信じている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?