kiyotos_1029

一見すると成功に見えつつも内心は虚勢と失敗に満ちたエンジニアの本音を残す場所

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最近の記事

大学2年生

大学の最初に関わっていた友人はすっかり変わり、この2年生に関わりだした人たちと今も関係が続いております。 正直な所、2年生の記憶はあまりなく ボンヤリと「友達と格ゲーをやりだしたなぁ」という記憶があったような感じです。 バイト先であったお好み焼き屋さんにいて、可愛い後輩ができ始めたのもこの頃だったかな? 今はみんなアラフォー以上である事実に時の流れの残酷さを感じます。 あの頃は可愛い女子高生1年もタバコを吸っており、私は「ふーん」という程度に感じていましたが、すごい時

    • 大学1年生

      晴れて名工大に合格し、大学1年生をスタートしました。 当時19歳の自分は満たされない承認欲求が満たされた気分でスタートしたことを少しだけ覚えています。 いかんせん、中学受験~高校3年まで受験というものに失敗をし続けたので、はじめて目標と結果が一致した時でした。 大学1年はあらゆるものが目新しく刺激的だったことを覚えています。 ・家庭教師 ・免許取得 ・新しい環境と新しい友人 やっている事/関わる人/責任 は今の方が圧倒的に大きいですが、あの頃は私自身の器的に一杯一杯だっ

      • 浪人時代(2/2)

        浪人時代の後半になります。 親との約束で「私大はうけない」縛りで進めました。 結局志望校は現役中に受けた名工大になりました。 名工大以外で受けたのは防衛大(親の勧め)と、後期で滑り止めとして用意した大分大になります。 正直なところ、志望校に普通に合格できたので余り当時の事を覚えていません。 強烈な失敗は強く心に残りますが、上手く行った思い出はなかなか心に残らないものですね(笑) ただ、浪人時代は高校時代の友人とも遊ばず孤独だった事は覚えています。 ただ、若くて未来が

        • 浪人時代(1/2)

          今の会社で基幹職としての仕事を始めて丸2週間になりますが、なかなかヘビーですね。 表向きには見栄で「いや、なりたくなかったですよー」「辛いっすわ💦」と言っていますが、虚勢と承認欲求の多い私は内心凄く喜んでおります。 (まさか、転職して10ヶ月でなるとは思わなかったので尚更) さて、浪人時代ですが二部作になります。 実は予備校に行かなかったです。 Z会という通信教育+名工大の赤本のみで一年勉強しました。 あと人との交流会が必要という観点でアルバイトをやりました。 人生初の

          高校3年

          いよいよ、受験の年になりました。 部活の方は本当にチームの仲間になりきれずに終わった感があります。 この年はかなり学力を伸ばした記憶があります。 最終的にクラスで1位(といっても理系2クラスの中で下の方のクラス)まで上げて、志望校である名工大も二次はたしか C判定までいったかな?D判定だったかな?…にはなったと思います。 クラスメイトがこの理系の普通クラスで上位の成績を持っており、切磋琢磨できた思い出があり、それが私の成績も伸ばしてくれたかな、と思っています。 大学受験

          高校2年

          この頃は特に大きな思い出はなかったです。 部活(剣道部)が本格的に嫌になって行かなくなりだした事と、学業は理系の上位半分に入るようになった程度ですね。 剣道自体は好きでしたが、イジられる事に耐性の無い(なかった)私は、高校でイジられるという経験をして一気にに行く気が失せた思い出があります、、、あの頃は青かったなぁ。 学業の方も成績は確かに伸びましたが、目標となる大学には程遠い状況でした。 とはいえ中学の頃より進歩したと感じる点は「目標を下げず自分の位置を上げる」という一歩

          高校1年

          めでたく高校1年。。。当初思い描いたレベルの高校から偏差値にして20以上下げた高校に入る事となりました。 https://tokoname-h.aichi-c.ed.jp/cms/wp-content/uploads/2023/04/811c0f88b64ee842cbcff8a3a0667ab6.pdf 一応「自称」進学校なのですが、↑のリンクにある通り、旧帝大に年に1人カスる程度で、東大京大早慶なんて夢のまた夢のレベルの学校です。 そんな学校の中において、私が目指し

          ちょっと小休止に本の紹介

          こんばんは、今年も残すところあと2日です。 今日はたまたまイオンの本屋さんで目に留まった本を紹介いたします。 私自身もまだ読んでいる最中なので内容の紹介や感想は書けませんが、 タイトルやカバーがすごく刺さる文面であったので衝動買いしました。 「40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか」という本です。 このカバーに並ぶ文字・・・まさに今の私の心情を表しているかのようで 思わず手に取ってしまいました(正確にいうと役職はありますが、、、それはまた別のお話で)!

          ちょっと小休止に本の紹介

          中学3年

          中学シリーズもこの記事で終わりですね。 今日は会社が最終日でした。転職1年目の年末・・・かかわって下さった皆様に感謝の思いでいっぱいです。 さて、中学3年ですがいうまでもなく受験です。 私にとっては中学受験で失敗して以来の受験になりますがね^^; 私が中学1年に目指したのは旭丘高校(https://www.minkou.jp/hischool/school/12/)で、 挫折して中学2年に目指したのは横須賀高校(https://www.minkou.jp/hischool

          中学2年

          ダイハツの認証不正とデンソーの燃料ポンプの話題であふれていますね。 グループ会社で不祥事が起こると悲しくなると同時に、私の会社は誠実に仕事をしているか心配になります。 さて、中学2年ですが正直なところ「挫折」も「成功」もあまり記憶にありません。しいて言えば夏頃から部活の先輩が引退するというイベントに伴い、我々の学年が最上級生になった時に「レギュラーや補欠にすらなれなかった」ということでしょうか。 ※正確に言えば補欠になったり選手として試合に出たりしたことはありましたが、ほと

          中学1年

          中学1年は大きく言うと二つ出来事がありました。 ・勉強で積み重ねの不足を思い知る ・同級生にイビられる(そいつとは3年は修学旅行同じ班になる程、後々仲良くなるので割愛) 一つ目は小学6年の失敗を繰り返したといってもいいと思います。 中学受験は失敗だったものの、田舎の公立小学生では圧倒的に成績が良かった(と勝手に思っていた)ため、その延長で行けば公立中で圧倒的に良い成績を取れると思い込んでいました。 加えて父親が中学受験経験→2浪したものの地元の旧帝大を出ており、親の期待&

          小学6年

          今はすこしマシになりましたが、私は周りの影響に流されやすい子供だったと思います。 熱中するゲーム、アニメ、遊び…あらゆる事で自分ならでは/または自分で発見した遊びはなかった気がしています。 部活動も友人の影響ではじめ、スポーツ少年団も親の指示で始めた記憶があります。 もしかすると多くの子供は何かしら/誰かしらの影響で"何か"を始める生き物なのかもしれません。 そんな小学生生活最後の年に私は中学受験をしました。 理由は中が良い友人が受けるから…というとるに足りない理由でし

          はじめに

          私は1980年生まれの43歳になる(2023年末時点)既婚男性です。日本最大規模の自動車メーカでソフトエンジニアとして管理職/基幹職になります。 大学も国立工業大学を卒業し、東証プライムの企業から管理職を経て今の会社に主任職として転職し、この度、二度目の昇進となります。 自身の今の立ち位置、学歴/職歴だけを見ると中々悪くない人生に思えますが、私の心の中は「焦り、嫉妬、不安、虚勢」と「根拠の無い自信、なりたい自分の妄想?想像?」が青年時代〜今の中年時代を占めてきたと自覚をし