あんどう・きよこ/NPO法人代表

岡山県倉敷市で障がい児の保護者の支援をするNPO法人「ペアレント・サポートすてっぷ」の…

あんどう・きよこ/NPO法人代表

岡山県倉敷市で障がい児の保護者の支援をするNPO法人「ペアレント・サポートすてっぷ」の理事長をしています。団体は2012年設立、2014年に法人化。ここでは個人としての投稿をしますので、法人活動については、法人ホームページやFacebookページをご覧ください。

最近の記事

相談したことが数限りなくある当事者性が役に立っているかもしれない

私、この6月と7月、月1回の2daysでオープンダイアローグの研修を受けたんですね。ふだん忙しくてなかなか研修の類を受けられないのですが、これに関してはなんとかして受けてみたいなぁと思い…。 というか、研修受けてもガッカリすることが近年多くて、それで「どうしても」受けようとまで思えていなかったのかもしれませんが。 しかしこの研修については受けてよかったなぁというのが率直な感想です。昨日あった2日目の研修も、やはりとても興味深くて面白いものでした。色々と確認できたことがありま

    • 名もなき人たちの善意を笑う資格は誰にもない

      時々、本当におかしいと思うのですが…。 長いことNPO活動をしていると、しばしば、いや、かなりちょくちょく、「儲からない活動をするなんて気が知れない」という目線で見られるのです。 社会的地位のヒエラルキーが 営利企業>公費による制度事業>非営利活動団体>ボランティア という図式になっていることを感じます。 営利活動をやっている人たちに「福祉のしくみってアレさ、続かないでしょ、あんなことやっても」と、したり顔で言われたことは1度や2度じゃありません。「いやそりゃ、大事なこと

      • 障がい児の親の人たちで支援者になる人は過去にも今現在も大勢います。多くは障がいそのものへの理解を深めることを推進する人が多い。多いからうちはあえてそこは特にしません。足りないのは「障がい児の親になった自分をどう思っているのか」自分への向き合い無くして子どもに向き合えないからです。

        • 一人ひとり、来られた人がみんな同じランチを食べ、ちょい多くて内心(キツぅ)と思いながらも(笑)食べ、そして静かに語り合い、言葉をかけあい、解決方法が出るわけでもないのに互いに癒された。最後の一人は夫との関係に苦しむ人。声は落ち着いて優しい。紫陽花の花束を手に帰る後姿が美しかった。

        相談したことが数限りなくある当事者性が役に立っているかもしれない

        • 名もなき人たちの善意を笑う資格は誰にもない

        • 障がい児の親の人たちで支援者になる人は過去にも今現在も大勢います。多くは障がいそのものへの理解を深めることを推進する人が多い。多いからうちはあえてそこは特にしません。足りないのは「障がい児の親になった自分をどう思っているのか」自分への向き合い無くして子どもに向き合えないからです。

        • 一人ひとり、来られた人がみんな同じランチを食べ、ちょい多くて内心(キツぅ)と思いながらも(笑)食べ、そして静かに語り合い、言葉をかけあい、解決方法が出るわけでもないのに互いに癒された。最後の一人は夫との関係に苦しむ人。声は落ち着いて優しい。紫陽花の花束を手に帰る後姿が美しかった。

          相手の内にある怒りを感じるとき

          自分の子どもが小さかったころのことを、やはりついつい忘れてしまうものです。私は日ごろ、障がいのある子・発達に不安のある子の保護者の相談に乗っています。若い人たちのために、当時の気持ちをなるべく忘れないようにと思っているのに、それでもやっぱり忘れてしまうものですね。私の娘は今年28歳、忘れても無理ないのだけれど、でもやはり、相手の気持ちに立って考えるためにも、もう少し覚えておかないといけないというのに。 小さい子の保護者の方の相談に乗っていると、しばしば「怒ってる?」という反

          相手の内にある怒りを感じるとき

          障がい児を育てるhandmade作家ミーティング

          1ヶ月近く前の事です。うさぎカフェで、うちのハンドメイド事業「オンラインショップhandmadeウサギ」の作家ミーティングがありました。内容は、今年度のイベント予定の共有や決まりごとの確認、そして今年の新しいチャレンジについての提案など。この事業は、ハンドメイドが得意な障がい児ママたちの応援をすることで、「障がい児を育てていても自分自身を忘れないでほしい、自分を大切にしてほしい」というメッセージを全ての障がい児ママたちに伝えるための事業です。 今年は倉敷美観地区の中の店で売

          障がい児を育てるhandmade作家ミーティング

          高校生の親が多い日。

          障がい児者の保護者の居場所「うさぎカフェ」。今日は高校生の親が多い日でした。日ごろは未就学児や小学生の親が多い印象ですが、こんな日もありますね。 高校生の親の悩みって「夜更かししている」「朝起きない」「学校に遅刻する」「注意するとうぜえ、ババア」と言う。そんな感じ。 でも小さい子の親と違うのは、ある程度みなさん、腹をくくっておられるところです。「もう、成績なんていい」「学校行ってるだけマシ」「母親があんまり口出しし過ぎてもね」 そしてお話するうちに「でも勉強は嫌いじゃない

          障がい児者の保護者の居場所うさぎカフェの備忘録

          ここは週に2回開く「保護者の居場所うさぎカフェ」。うさぎはいませんが(笑)カフェと団体のシンボルがうさぎなので「うさぎカフェ」です。 運営は、障がい児者の親の支援をする認定NPO法人ペアレント・サポートすてっぷ。岡山県倉敷市にあり、私はそこの理事長です。 知られているようで知られていない、このカフェでの日常や保護者の支援についての私の考え方、大切にしていることを雑記的に綴っていこうと思います。 今日は雨ですが朝から赤ちゃん連れのお客さんが来られています。昼からは福祉大学の学

          障がい児者の保護者の居場所うさぎカフェの備忘録

          対話は自分を映す鏡

          私は岡山県倉敷市で、年間延べ1,000人が来る障がい児の保護者のためのカフェ形式の相談所をやっている。コロナ禍では来所人数に制限をかけているのでさすがに1,000人もにはならないが、それでも昨年度は700人弱の来所者を受け入れた。このカフェでは個別相談もやっている。 さて、私がsnsなどを利用して何かを書く時は、なにかが頭に浮かんだことを忘れないように書き留めるためと、ごちゃごちゃした頭の中を整理するため、この2つのどちらかの理由によることが多い。 今日は先ほど思い浮かん

          身近なものの価値を軽んじるとしっぺ返しがくる。親しい人の助言が聞けなくなると足元をすくわれる。社会を良くすることでなく自分の名を上げることを優先させると必ず失敗する。

          身近なものの価値を軽んじるとしっぺ返しがくる。親しい人の助言が聞けなくなると足元をすくわれる。社会を良くすることでなく自分の名を上げることを優先させると必ず失敗する。

          大晦日、寄付型NPOの記事を読んで

          今井さんのやってることは本気度が違うなあと今朝も感心。 伝え方も本当にうまい。 「一緒になって支援できると嬉しい。寄付はするだけではなく、一緒になって事業をつくり、課題解決に動くもの。 寄付を集める人は仲間集めの人でもある。同じ船に乗って、目標に向かって動く船頭。一緒にできたら、うれしい。」 寄付についての説明もうまい。 寄付集めについて、NPOのことを知らない人は「人に金をせびってる」「カネカネやたら言ってる」「人に金をくれと頼んで情けない、みじめとは思わないのか

          大晦日、寄付型NPOの記事を読んで

          子どもの成長は親自身の人生の岐路

          年末ですね! 年末の数日間だけは私がしっかり休むというか、仕事じゃなく家のことに集中する時です。今日もほぼ1日中料理を作っていました。 すごく集中できます。食べ物を作るってやっぱりいい。 機械的にレンコンやにんじんの飾り切りをしながら考え事をしていました。没頭するように考え事ができるのが、いいです。 ここのところつらつらと考えているのが、子育て期を終えた親の在り方です。 ある保護者の方に、うちの運営しているカフェ形式の相談所ではなく、その方のお仕事の現場でお会いする

          子どもの成長は親自身の人生の岐路

          聖夜に…「成人した我が子との距離の取り方」

          やっぱり子育てって子どもが小さいうちが花だなぁ。 あれほど苦しい子育て期だったのに、通り過ぎるとそんな風に思えてくる不思議。これが年をとるということか。 娘が7~8歳くらいのころの私はまだ30代前半で、がんばってもがんばっても思うようにならない子育てに、苦しくて苦しくて、毎日お風呂で声を殺しながら泣いていた。 どこにも出口が見えなかった。 どんなに障がいのことを勉強してがんばっても、今日も娘はパニックを起こす。帰り道では娘は近所の子にいじめられていた。気が付かなかった

          聖夜に…「成人した我が子との距離の取り方」

          他の子のように我が子にも振る舞って欲しい… けれどそうならない。なぜなら「それは支援の仕方が悪いから」となりがち。確かにそのような場合も大いにあるものの。 しかし子供の頃ならいざ知らずいい大人になっている場合、「それがこの人だ」という納得も必要だろう。

          他の子のように我が子にも振る舞って欲しい… けれどそうならない。なぜなら「それは支援の仕方が悪いから」となりがち。確かにそのような場合も大いにあるものの。 しかし子供の頃ならいざ知らずいい大人になっている場合、「それがこの人だ」という納得も必要だろう。

          障がい特性に合わせた手立てさえしたら親の願う姿になるはず… なわけはない。 本人を助ける手立て(障がい特性への配慮)をするのは基本。でも親の思う通りにしたいから手立てするというのは「特性への配慮はしてるんだから言うこと聞きなさいよ」という意味。結局は本人を尊重していないのです。

          障がい特性に合わせた手立てさえしたら親の願う姿になるはず… なわけはない。 本人を助ける手立て(障がい特性への配慮)をするのは基本。でも親の思う通りにしたいから手立てするというのは「特性への配慮はしてるんだから言うこと聞きなさいよ」という意味。結局は本人を尊重していないのです。

          いつまでも「見通しさえつけてくれればうちの子はできたのに」的な幻想から抜けられないのが親というものなんでしょう。見通しがついたからって本人が選択しない可能性はいつだってある。他の人みたいにできてほしいというのは子ども本人でなく親自身の願いなんだけど、なかなか自分では気づけない。

          いつまでも「見通しさえつけてくれればうちの子はできたのに」的な幻想から抜けられないのが親というものなんでしょう。見通しがついたからって本人が選択しない可能性はいつだってある。他の人みたいにできてほしいというのは子ども本人でなく親自身の願いなんだけど、なかなか自分では気づけない。