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対話は自分を映す鏡

私は岡山県倉敷市で、年間延べ1,000人が来る障がい児の保護者のためのカフェ形式の相談所をやっている。コロナ禍では来所人数に制限をかけているのでさすがに1,000人もにはならないが、それでも昨年度は700人弱の来所者を受け入れた。このカフェでは個別相談もやっている。

さて、私がsnsなどを利用して何かを書く時は、なにかが頭に浮かんだことを忘れないように書き留めるためと、ごちゃごちゃした頭の中を整理するため、この2つのどちらかの理由によることが多い。

今日は先ほど思い浮かんだことを書き留めるためにnoteを開いた。…と、こうやっている間にも浮かんだ思考がふわふわふわっとどこかに広がって流れて行ってしまうので厄介だ。思い付きは手元から離れていきやすい。

そう、我が家に届いたトヨタ財団の広報誌JOINTを読んでいて思いついたことだった。

今回の特集が「ケアと語り」という内容だったので興味を持って読み始めたのだ。ちなみに前回の特集は「ケアと場」だったのだが

この特集は私のやっていることと重なりすぎて、なんだかかえって入ってきにくかった。場の考え方はあまり自分と完全にフィットする人とというのが見つからず、よって人の考えを読むとなんだかモヤモヤしてしまう。

その点、今回の特集は少し離れたテーマなので私にとって良かったんだろう。すすーと自分の中に入ってくるものがあった。

私がやっていることは大まかに言えば場づくりなのだが、でも実際に私が現場でやることは「語り」へのチャレンジだと思っている。私は素人なので相手の語りを引き出すことについては、いつもわりに慎重だ。試行錯誤するのだが「今日はまずかった」と思うことも多い。私にとって相手の語りを引き出すことは常に勉強だと思っている。

私が「今日は相手の方にたくさん語ってもらえた気がする」…そんな日は帰って行かれる相手の方の顔が明るい気がする。私がうまくやれなかった時は、なんだかしこりを抱えたまま帰してしまった感じが残る。まだまだ修行の日々だ。

トヨタ財団広報誌の特集の話に戻ると、私が保護者の相談に乗る上で考えていることが書かれていた。

良くなったり悪くなったりするけれど、どの状態のときもケアしていく、みたいにずっと続いているものという感覚があります。

司会の利根英夫さんの言葉だ。私もそう思っている。また横山泰三氏の言葉の中に、こうある。

キュア(治療)とは違って、ケアの奥には「関係性」というキーワードがあると思います。

また別のページでは、このようにも語られている。

西田はプラトンを引用しながら「思考というのは実は自分の中で行われている会話」ではないか、ということを述べています。自助グループの対話というと、異なる個人が会話するようなものを想像すると思うのですが、実はその場で行われているのは自分自身との対話であり、また対話を通じてともに思考するという関係性で対話がなされていく。

この特集は研究者の方ばかりでお話されているので内容が高尚で、もしかしたら私の様な俗な人間の考えとは違うことを言ってらっしゃるのかもしれないのだが、私は私が日ごろ、自分の作っている場の意味付けとして考えていることと同じことが書かれていると思った。

すなわち、相談というのは実はご本人が自分自身と対話しているのだということ。そして対話しながら自分の中の考えや気持ちを整理する作業になっているのだということ。私が「書く」ことで頭の整理をしているように。

実際、時に相手の方が私と話している途中で「あ、今わたしわかった気がします、そういうことだったんだ…」などと言われることがある。

だとすれば相手をしている自分は間違っても何かを相手に教えてやろうなどと思うべきではなく、あくまで自分は壁打ち役なのであるとわきまえること。

そして常により良い「壁打ち役」になれるよう、私たちは努力すべきなのだということ。

そして、より良い壁打ち役になるためにも、相手に信頼してもらえるような自分であること。

人は、信頼できない相手に本音を話せない。ではどうしたら初対面の相手に信頼してもらえるようになるのだろうか?

それは、その場で即やることと、前々からやることと両方あるかと思う。

うちはNPOとして常日頃様々な形で発信しているが、その中でも自身の思想をなるべく伝えるようにしている。すると、その思想に共鳴する人がうちに相談に来てくれる。ここがあらかじめ伝わっていないと、相手をがっかりさせてしまうことにつながりやすい。

しかし前から発信しているその情報(思考)に触れていないで来る人もいる。例えば友人に連れられてきた、とか。その場合は仲介役の友人の方への信頼でその人はその場に来てくれているわけだが私が信頼に足る相手かどうかは、未知数だろう。

この状況でこそ相談の手腕が問われるところで、短い時間で自分と相手との関係性をほぼゼロから作らねばならない。

先ほどから引用している横山泰三氏の言葉に、こうもあった。

まず声をかける話し手がなにかしんどい体験や弱音を話していくと、不思議と相手もちょっと心を開いて自分の弱っている部分を語り始めてくれるようなところがあり、まさしく鏡みたいな形で他人の話を聞いて自分を見るということがあります。

そう、私が短時間で相手との信頼関係を作る時にもまさにこれをやっている。自分の「できなさ」について語ることだ。私の今の立場ではいくら「できなかった自分」を語っても今一つ信じてもらえないところがあるのが厄介なのだが、それでも、相談に乗る時に間違っても「自信満々の自分」みたいな空気を出してはいけない。かつて毎日悩んで苦しんで一人で泣いていた自分とその時の記憶を最大限引っ張り出して相手に向き合う。自分もあなたと同じなのだと信じてもらうために。

そこを信じてもらえると、相談が先に進むようになり、相手は私に対して自分の弱い気持ち、本当の苦しさを語ってくれるようになる。

得々と経験を語ってはいけない。ともすれば知っていることを語る時にそうなりがちだけれど、話しの端々に「そうは言っても頭で考えるほど簡単じゃないよね」と相手に対する思いやりの気持ちをにじませるように努力している。

今、現在進行形で思い悩む保護者の人たちを元気づけるために、自分にどれほどのことができるだろう。思いつくことを思いつく限りやっているつもりだが、どんなに色々な活動を展開しようとも、結局常に基本には、1対1の対話がある。そこを大事にしていきたい。

忙しさに紛れて保護者の人と話す時間が取れなくなってきている私だが、やはり常に現場にいて、彼女らと話すことから離れたくないと心から思っている。そこには私自身の鏡があるのだから。私もまた、彼女たちと話しながら自分の今の姿をそこに映して見させてもらっているのだから。

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