相談したことが数限りなくある当事者性が役に立っているかもしれない
私、この6月と7月、月1回の2daysでオープンダイアローグの研修を受けたんですね。ふだん忙しくてなかなか研修の類を受けられないのですが、これに関してはなんとかして受けてみたいなぁと思い…。
というか、研修受けてもガッカリすることが近年多くて、それで「どうしても」受けようとまで思えていなかったのかもしれませんが。
しかしこの研修については受けてよかったなぁというのが率直な感想です。昨日あった2日目の研修も、やはりとても興味深くて面白いものでした。色々と確認できたことがありました。
私がこれまでの活動(ピアの立場での障がい児者保護者支援)でやってきたことは、多分ちゃんと勉強したら裏付けの取れることが多い気がしています。有資格者ではないけど一つ一つ考えて実行して来たことの積み重ねは、けっこう良いところを押さえているように思えました。
障がい児の親のピアサポートの場として居場所カフェを作ってから、7年が経過しています。そこでの相談は、「同じ立場の人間として話を聞き、共感する」ということがベースになっています。スタッフ間で話し合いながら、年数をかけて相談のスタイルを作ってきました。
基本、「自分がされて嫌だったことをしない」「自分がしてもらって嬉しかったことを再現する」この2つに気をつけながら、これまで相談に乗ってきましたが、研修を終えた今、恐らくそのやり方で良かったのだろうという気がしています。
私たちは障がい児(者)の親なので、子育てをしてくる中で、これまで何度となく人に相談する機会がありました。
しかし、支援の専門職の人は、相談に乗ることはあっても、自分が相談した経験がほとんどないという人が結構多いのです。特に男性に多いです。
私は何年か前、周りの男性たちにそれを聞いて回ったことがあります。聞いたのは行政職員で相談窓口業務をしている人たちと、専門職の支援者の人たちでした。
「あなた自身は人に相談することある?」
ほとんどの人が無いと答えました。やっぱりねと思いつつ、私は更に聞きました。
「相談したこともない人間がどうやって人の相談に乗るの?」
いつも自分が相談される側であるなんて、そんな立場を固定することは、傲慢ではないのかと思ったんですね。たとえそれが職業であっても、です。
自分が相談してみたら、わかることはたくさんあります。
相談するというのは、かなり居心地の悪いことです。相手に対して時間を割いてもらったという負い目を感じ、そもそも言語化ができてもいないモヤモヤについて「時間をとってもらったんだから何か具体的なことを言わないと」と無理やり質問を考え出さないといけないと思ってしまうような、不自然な状況です。
相談に乗る側は、それだけ多くのプレッシャーを感じている相手を前にしているという自覚がないといけないのですが、これまでの経験上、そのことがわかっていない支援者の人たちが大勢いるなと思っています。
正直、どうしてこんなにわからないのかと困惑するほどです。やはり、自分自身が誰かに相談するという経験の不足が原因ではないかと思います。
自分の心の中の本当に痛い部分を相手に話すには、相手を信頼できなければ無理なのです。相手が何者かもわからない状況で、ちょっと触れたら血が噴き出るような柔らかい部分を、どうして相手に見せられるでしょうか?
相談したことがないと言う人たちに理由を尋ねたら「(悩んだ時相談するなんて)そんな発想なかった」「自分で解決するものと思っている」「人に弱みを見せたくない」等々の答えが返ってきました。自分は相手に何も弱いところを見せないのに、相手には弱いところを見せてと要求する。それは、虫のいい話です。なぜなら自分のことは守っているからです。それはフェアな状況とは言えない、と私は思います。
研修の中で、HOPEのお話がありました。未来についての願いや希望のことです。
この場合のHOPEは(まだ勉強不足なので間違っているのかもしれないですが)例えれば「将来経済的にも困らずに豊かに幸せな大人になってほしい」とわが子に願うことで、だからこそ「今、不登校になり勉強もせず家でゲームばかりしているのわが子の姿が心配」(WORRY)ということなのかな…と思うのですが(違っていたらごめんなさい)。
私は最初意味をとらえ違えていて、このHOPEは、相談するときのHOPEなのかと思ってしまいました。
つまり、私たちが相談の席に着くときの期待なのかと。
私たちは人に相談するとき、何言われるだろうとか、なんて言ったらいいんだろうとか、そもそも相談しようと思っている内容についての押しつぶされそうな不安とかを抱えて、席につきます。
しかし同時に、「なぜ」その席に着くかというとそれは①「相談することで解決策が見つかるのではないか」ということと、②「相談したら楽になれるのではないか」ということを期待していると思うんですね。
①+②で「解決策が見つかれば楽になるでしょ」と思うかもしれませんが、というか多くの支援者の人がここを勘違いしていると思うのですが、①と②は必ずしも同じでないんです。
例えばうちに相談に来られた人に対し、私たちは解決策を与えてあげることは多くの場合、できません。そんな明確な答えがあるような相談ってめったにないからです。「〇〇を探しているんですがどこにあるか教えてもらえますか」「それなら〇〇町に行けばありますよ」明確な答えをあげられるのはこんな内容くらいなもので、それは相談ではなく問い合わせですよね。
つまり①については必ずしも相談してきた方を満足させられません。でも②ならできる可能性はあるのです。そして多くの相談者は、実は②を期待しているのではないかと思うのです。つまり、「話してよかった」と思えること。
うちに来られた方が帰りがけによく言ってくださる言葉です。「話して良かったです、ちょっと気持ちが楽になりました」「また頑張ろうと思えました」
様々なプレッシャーを抱えながら、それでも、そこに何かの救いを求めているからこそ人は相談の席に着くのです。その期待にどうやって応えるか。期待を裏切らないで相手を帰らせることができるか。
昨日の研修中の休憩の時も、仲間で話し合いました。「来るんじゃなかった」って思う相談ってあるよね、と。「正直、向き合ったとたんに、しまった」と思うよね、と。「そうなると、早く帰りたくって、でも残りの時間が長い長い」とも(笑)
私たちは素人ですけれど、「来るんじゃなかった」と思わせないようにすることには、最初から心をくだいてきました。
もちろん、期待を裏切ってしまったことも何度もあると思いますが、私たちが目指すのは常に②であり、「ドキドキしたけれど話に来てよかった。解決策は見つけられなかったけれど、仲間が見つかった。これから来る場所ができた。ここにきていればそのうち何かが見いだせるかもしれない」と少しでも思ってもらえるようにということを大切にしているのです。その気持ちを、今までも今もこれからも忘れずに、お客さんたちをお出迎えしようと…
研修受講をきっかけに、改めてそう強く願ったのでした。オープンダイアローグの本質とはズレた話かもしれませんが、研修を終えて、そんなことを思ったので書き記してみました。
記事の最後は毎度ですが、寄付のお願いです。
私たちの障がい児者保護者支援活動は寄付で支えられています。常に資金が不足しており、ハンドメイド事業やカフェ、本の販売など自主事業もしていますが財政的にはいつも苦しくスタッフの気持ちで支えられている面が大きいです。そのスタッフたちも全員障がい者の親たちで、ない時間を工面しながら仕事に来てくれています。関わっている人たちの気持ちだけで支えるにはあまりに大きな取り組みです。多くの皆さんの応援を必要としています。特にマンスリーサポーターを必要としています。以下のホームページの右上のバナー「寄付で応援」から、寄付の種類を選んでいただくことができますので、ぜひ応援よろしくお願いいたします。
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