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相手の内にある怒りを感じるとき

自分の子どもが小さかったころのことを、やはりついつい忘れてしまうものです。私は日ごろ、障がいのある子・発達に不安のある子の保護者の相談に乗っています。若い人たちのために、当時の気持ちをなるべく忘れないようにと思っているのに、それでもやっぱり忘れてしまうものですね。私の娘は今年28歳、忘れても無理ないのだけれど、でもやはり、相手の気持ちに立って考えるためにも、もう少し覚えておかないといけないというのに。

小さい子の保護者の方の相談に乗っていると、しばしば「怒ってる?」という反応に出会うことがあります。そういう時って大体において、私が子育ての結果としてわかったこと「だけ」をお伝えした時です。わかったこと「から」お伝えした時、とも言えます。ああ、またやっちゃったなぁと思うのです。

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子育て中私は、いったい何が正解なのかずっと考え続けてきました。みんながいろんなことを言います。例えば「自立とは?」自立という言葉が何を意味するかについても、人によっていうことがいろいろ違う。そして、自閉症の子にはどうしてやればいい?どんな道筋が正しいの?障がい者は早くから働く訓練をさせたほうがいいの?

みんながいろいろバラバラなことを言うので、親として以前に人として未熟な私はわからなくて、いつも右往左往しながら考え続けていました。人は、いろいろ言う。でも、どれを取るかは自分次第。その答えはどれだろう、どこにあるのだろう。ずっと何かを考えてはそれに伴う理屈を唱え、これでいいんだ…よね?と自分で自分に確認するような作業を繰り返していました。自分の考えに矛盾点はない?と。

考え続けた挙句、今はもう迷いはなくて。でもそれは結局、たくさんの道の中から自分が「これ」と思う道を見つけたということ。考えが固定化したと言われればそうかもしれません。
逆に言えば自分の答えにたどり着くまでには、人は迷い続けるのです。相談に来られる方は、まさにその渦中にいるということなのです。思い惑って苦しんでいる人への、思いやりが必要です。

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「どうしたらいいですか」と聞いてこられる保護者さんに、ハウツーでものを教えるのはNGですよと、私自身はよく支援者さんにお話しするときにいうんですね。聞かれたことにこたえる、それだけでは保護者は満足しませんよ、と。

そう言っている自分が、それでもやらかしてしまうことがあるってことなんですよね。だからこそ、相手の言葉に含まれた怒りを感じるんです。私がその方にお伝えしたのが「結果論」であり「正論」だからなんです。

子育ての初心者は、わからないなりに必死にあがいています。よかれと思って、すべてのことに先走りがちです。特に子どもに障がいがあるなんて宣告を受けていたら、余計に気持ちは焦ります。「今、できることはなんでもしておかないと、私の頑張りが足りないせいでこの子の将来の可能性が摘まれてしまったらどうしよう」「私ががんばれば『ふつう』に近づけられるかもしれないのに」

でも私は経験上、子どもがまだ小さいうちにあれこれ手を出しすぎて生活を忙しくさせてしまうことは、本人を混乱させ疲れさせるだけだと知っています。だからつい「もっと生活をシンプルに…」とか言ってしまう。でも、相談してきてくださった方が聞きたいのはそういうことじゃないんですよね。というか、聞ける状態ではないんです。

気持ちが焦って、がんばって、でもうまくいかない、悪循環の輪の中にいて、子どものことを可愛く思えなくて、でもわが子が可愛くないなんて自分は母性がないの?障がいがあるから可愛く思えないなんて人間としてどうなの?そんなことまで考えてしまう。

どうしてこんなにがんばってるのにうまくいかないのかもわからなくて、そして「うまくいっていないのは私だけなのだろうか」という恐怖を感じていて…その更に後ろには「私はダメな母親なのかもしれない」という怯えが隠れています。


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そんな想いを内に抱えている人に向かって「そうじゃなくて、こうして」なんて話、要するに今していることの否定ですから。「あなたのやり方はダメよ」と言っているのと同じです。必死な人にそんなことを言ったら「がんばった私を否定された!」…そう受け取られても仕方がありません。

どんな時でも原則は同じなんです。まずは、相手のがんばりをねぎらうこと。これに尽きるのです。そこをはずしては、言葉は相手に入っていきません。必死で生きているひとをリスペクトしていることを、言葉で伝える。まずはそこからです。

よく勘違いされるんですが、「そうなんですね」「そう思われたんですね」という定型文のような返しが共感だと思っている方。そんなのは、みんな見抜いているんですよ。それが古臭い定型文だということを。心の入っていない決まりきった言葉を並べるのではなくて、自分の言葉で語らなければ相手に伝わるわけはないのです。

…と言うと「どう話したらいいのかわかりません」と支援者の方たちに言われるのですが…

今、困っている相手に「うんうん、そうなんですね」「困ってるんですよね」「でもがんばってますよね」だけで帰してしまったら、不満が残ります。結局なんだったんだ、と。必要なのはやはり「今すぐできる何か」をひとつだけでもお伝えすることなんですが、そのたったひとつをお伝えするために、たとえばそれを伝える時間が1時間のうちの最後の10分だったとして、残りの50分を、相手との信頼関係づくりに割く必要があるのです。

その50分間は、いろいろとお話を聞かせていただきます。ただ聞くだけではダメで、あいづちを打ちながら、返す言葉の端々に、相手へのねぎらいと称賛の念、うまくいっていないからってあなたをバカになんてしていないということ、あなたのがんばりを心から尊敬しているんだということを、織り込んでいくのです。そもそも相談に来てくれた時点で、子どものことを思って必死なんだということはわかっているのですから。

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さて、相手の言葉に滲む怒りを感じた私はまたそこから挽回をはかるわけですが…
何回やっても完璧はない。うまくいく日もあれば行かない日もあるのが、相談です。とにかく来られた時よりも心の荷物を軽くして帰っていただけるように。そしてここに仲間が一人増えたと思っていただけるように。今日も全身全霊で向き合うのです。

かつての私が、自分のしんどさをわかってくれて、ねぎらってくれるひとを探し求めていた気持ちを思い出して。今日お会いする人に、「ああ、ここにわかってくれる人がいた」と思ってもらえるように。

一期一会の相談は続くのです。


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