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聖夜に…「成人した我が子との距離の取り方」

やっぱり子育てって子どもが小さいうちが花だなぁ。

あれほど苦しい子育て期だったのに、通り過ぎるとそんな風に思えてくる不思議。これが年をとるということか。

娘が7~8歳くらいのころの私はまだ30代前半で、がんばってもがんばっても思うようにならない子育てに、苦しくて苦しくて、毎日お風呂で声を殺しながら泣いていた。

どこにも出口が見えなかった。

どんなに障がいのことを勉強してがんばっても、今日も娘はパニックを起こす。帰り道では娘は近所の子にいじめられていた。気が付かなかった自分を死ぬほど責めた。

生活はいつもピリピリして、楽しみたいことも楽しめない。それは娘のせいだと思っていた。どこに行ってもパニックになり空気を悪くしてしまう娘を実は可愛いと思えていないのに、それを口に出して言うこともできなかった。

そんな中で私の癒しは5歳下の息子だった。当時の私にとって大人しくて愛らしい彼は、「愛」そのものだった。幼稚園バスから降りてくる息子を迎えて、かがんで目線を合わせて「おかえり」と言う。その瞬間が痛いほど幸せだった。自分は母親なのだと、細胞の隅々まで実感できる気がした。

誰かのことが愛おしくてたまらないと、人は、自分の手で相手を幸せにしてあげたいと強く思うものらしい。私も、息子をなんとかして幸せにしてやりたいと強く強く願っていた。

しかし息子も20歳を超え自分も50を超えた今、相手を幸せにするというのは、「自分が」何かをすることだけを意味するのではないと知っている。

正直言えば今だって、自分自身の手で子どもたち二人とも幸せにしてやりたい。できるものなら本当に、そうしてやりたい。

でも成長していく子どもに対し、それはできないことなのだ。

大人になった人に、たとえ親だろうと他者が「幸せにしてやる」なんて、思うこと自体がおこがましいことだ。人を本当に愛するということは、「自分がしたい」を抑えて相手の人生を優先するということなのだと、成人した子の親になって知った。

そしてその立場になってみて初めて、世の中の親たちは今までみんな、こんな心の修行を乗り越えていたのだろうかとむしろ驚いた。

私の母も?想像してみたが、何かしっくりこない。

私の母は子どもに対して割に冷淡な人だった。感情を表に出すのが苦手なんだろうかと考えてみたこともあるが、来年米寿を迎える母は、どうやら本当に子どもに興味がない人だったらしい。

それはでも、大人になった我が子との距離の取り方としては、結果幸いしたと思う。いつも子どものことを自分と切り離して考えられる人だったので、子どもと自分の境目がなくなるなどということは、うちの母にはあり得なかった。冷淡なようでもその距離感が、私が大人になるためには必要だったのだ。

そう考えると一方で、成人した障がい者の親たちの多くが子どもを囲い込み我がテリトリーから出さないようにするのは、親自身の未熟さなのだと思える。未熟ゆえに「我」が抑えられない。

普通の子であれば親の「我」に気づいた時、反発する。反抗して家を出て行ったりする。

でも障がいのある子は親の「我」に気づきにくい。蹴っ飛ばして巣立つための経験もエネルギーも不足している。

結果、親にやりたい放題やらせてしまい、その結果、彼らは人としてのエネルギーを奪われていく。

障がい者の親こそ、より一層自分の「我」を抑えなくてはいけない。いけないが相手が明確に反抗してこないので、自分が「我」を通してしまっていることすら気づかないでいる人が多い。

我が子が成人期を迎えたとき、親は自分自身の不安や欲を抑え、我が子が自分で考えて動けるように、子どもからかなり距離をとらないといけない。子どもは「そばにいて」というかもしれないが、それでも距離をとるのが親の役目。「そばにいて」という声に応えるほうがよほど楽だし自分も安心できるけれど、でもそれは成人期の親のやることでは、ない。

親の愛というのは結局忍耐なんだと、この年になって改めて感じている。

さてあなたは、どうですか。

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