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子どもの成長は親自身の人生の岐路

年末ですね!

年末の数日間だけは私がしっかり休むというか、仕事じゃなく家のことに集中する時です。今日もほぼ1日中料理を作っていました。

すごく集中できます。食べ物を作るってやっぱりいい。

機械的にレンコンやにんじんの飾り切りをしながら考え事をしていました。没頭するように考え事ができるのが、いいです。

ここのところつらつらと考えているのが、子育て期を終えた親の在り方です。

ある保護者の方に、うちの運営しているカフェ形式の相談所ではなく、その方のお仕事の現場でお会いする機会がありました。

とても生き生きとされて、いつもとは違う人のようでした。

こういう方は障害のある子の子育てでいっとき深く悩んだとしても、割と時期がきたらスッと抜けていかれるなぁと思うんですね。

おそらく自分が打ち込めるものを持っているからだと思います。

人生の第一義が子育て・子ども…では無い人。

でも一方で子どもが巣立つ時期が来ているのに子どもからうまく手を離せない人たちがいます。

そういう方、2種類あるかなと見ていて。
1つには、子どもへの執着が強く、子育てが人生の目標そのものになっている。

2つ目は、単に自分というものを曖昧にしたまま歳を重ね子育てを終えてしまった人。

1つ目は前から私が注目していたパターンなのですが最近は2つ目のケースが気になっています。

空の巣症候群と言うやつでしょうか。

多分いつもあまり深く考えることなく、人生の目の前に現れたものについて都度都度なんとなくこなしてきた方。そこにトータル的な意味を見出してもいないし、自分の老後の姿とか人生の目標とかも考えていない。

2つ目に当てはまる人は案外多いのかもしれません。子育て中は目の前にやることが色々あるので、特に自分の人生について深く考えることなく過ごしがちなんだと思います。

でも子育て後に自分がどうするか、って、子育て中から意識していないと、その時が来たからって急に何か見つかるものではないんですよね。

適当な浅い趣味とか持っていたとしても、子育てに使った熱量に匹敵するようなものではなかったからこそ、子育てを終えた時に空虚になってしまう。

空虚だからやっぱりまだ子育てを無理やり続けようとするけれども、もともと子育て自体にもそこまで深い思い入れがないから、ただ中途半端な関わりになるだけ。

人は誰でも自分の立ち位置や居場所みたいなものを探しているのではないかと思うのですが、子育てという大きなお仕事に翻弄されている間は、自分には居場所あるのか?とか考えることもなくて。子育てを終える頃になって、立ち位置のない自分に気づく。で、そういう人が往々にして子どもの人生の邪魔になってしまったりする…。


やっぱり「お母さん」だけではない自分個人としての顔というものを持っていた方が良さそうです。

子どもの友達は母親の友達じゃない。自分に残されたものが何もないからと言って子どもの人生に被さって、オンブされようとするのはおかしいんですよね…。でもその、母子の境目を見失ってしまって自覚なく子どもに覆い被さってしまっている人たちは、案外多そうです。

みなさん、自分自身が何をしたいのかを子育て中から考えていけるといいですね。もっと自分を大切に扱っていい。もっと正直に自分の心の中の声を聞けるようになるといいなと思います。

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