吃音×不登校×ギャル×塾講師=???
noteを登録し始めて、数日が経ちました。
ありがたいことに様々な方の目に私の記事が
見ていただけた様で、
フォローやスキの通知がいっぱい来て、
とても嬉しく楽しい気持ちになりますし、
なにより興味をもってくださっているというのが私自身、感じられて…
もはや通知が待ち遠しいまでになってしまいました😿
これも記事を閲覧してくださっている、
皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
知っている方も居られるかもしれませんが
私はギャルです…
しかしそれは見た目だけで、
中身はごくごく普通の、なんなら物凄く心配性な女です笑
まぁ心配性なおかげで、忘れ物は少ないタイプでしたけど笑
タイトルの謎のクイズ笑
今回の記事は、
更に私の事を皆さんに知ってもらいたいので、タイトルをクイズ形式に、というか計算式にしてみました。
近頃の高学歴の人達が良く出るクイズ番組、多くなりましたよね。
おそらくその人達でも解けないクイズ笑を、
この記事を見ていただけた皆様に出題です!🤣
上のタイトル、何の計算で答えは何を表しているかわかりますでしょうか。
(シンキングタイムスタート)
…………
5
4
3
2
1
皆さんにわかりました?
答えは、ワタシです(吃音のチワワ)笑
もうむちゃくちゃな計算ですよね?すみません笑
実は、
吃音で、不登校で、ギャルで、
塾講師(最近まで)だったんですよ笑
しかもこのタイトル、計算の左から
事例通りに並べているだけです。
この流れで進化していったんですよね。
学校が辛い
吃音になったのは中学一年生の13歳の頃で、国語の授業中に、前にひとりひとり立ち
発表をしなければいけないという時に、それは突然おこりました。
喉が圧迫されたような違和感になり、
頭で考えた言葉が、
喉の、手を口に入れたら届きそうな距離にあるのに出てこなくなりました。
突然そうなったし、なんなら授業中の発表の時だったのでクラス全員の視線は黒板の前に立っている私ひとりに集中しているため、逃げることもできない。
先生は、ただ私が緊張しているから話しはじめないないだけだと思っているので、
穏やかに待っていてくれていて…笑
私もパニックになってしまって、でも話そうと無理やり言葉をだしたら、
……盛大にどもりました。
このどもりの経験が吃音の始まりになってしまったのです。
私はそのころ人間関係にも悩んでいたし、
同じ年の子よりも早めに、しかも多くできた顔中のニキビにも悩んでいたし、
更に話しにくくなってしまったこともあり、徐々に人の目が気になるようになっていき、
学校の朝の読書の時間の時に、クラスの男子から、静かな教室のなかで
「あいつ(私のこと)きもいよな!ニキビも多いし!」
とも言われ、
中学の二年の頃には、塾で仲良かった友人に
授業中のちょっかいを受け、泣きながら家に帰りその日に塾をやめ……
とにかく辛いことばかりが続き、
ある日、明日も学校へいかないといけない辛さから、
夜中に、自宅でこたつ用のコードで自分の首を締めしのと思いましたが首の圧迫の辛さでしにきれず、めまいと過呼吸になり、そこへ親がきて、「学校休もう」といってくれて、ほどなくして不登校になりました。
でも不登校になってからも、
普通に学校へ行っている同年代の子と同じ生活をした方が良いと母親が言ってくれたため、
家では朝8時頃に起きて、朝御飯のあとの午前中は勉強をし、学校の提出物はしっかりだしてテストは受けに行くという事を中学生活の残りの一年少しを頑張りました。
平日はその日自分がやると決めた分の勉強が終わったら、
母親が「家にずっと居るのも良くないよね」
と私を連れてお出かけにつれていってくれました。
そしてこのお出かけのおかげで
不登校でも人と話せるタイミングがいっぱいでき、
同年代の子は苦手でしたが、
大人の人相手には多少第一声がでなかったり、どもったりするにせよ、そこまで緊張することなく接する事ができるようになって、自分に少しをづつ自信がついていきました。
そしてギャルへ
中学三年になってからは、
ギャル系の雑誌を買うようになり、
少しだけメイクをするようになりました。
雑誌のかわいいと思うギャルの子のメイクを真似してみたりとそれはもう一所懸命に…
ただ、まだ子供だからと髪は染めさせてもらえなかったので大人になるのが待ち遠しいかった…笑
ギャルになってからも、吃音は直らず、
ただ吃音症なのに派手な見た目という謎のギャップの女子という、個性?といったら違うかもしれませんが、
他人からしたら「まさかこの人が吃音を持っている」と思われなかったギャル時代でもありました
。
ちなみに香水を買いに言った時に、店員さんにどもりちらかしたこともあって…
いまだに思い出したくない記憶です…。
元不登校で現吃音の塾講師
当時は辛い体験でも、大人になると不思議と
“その体験を生かしたい”思えるようになった私は、
近所に新設した塾が出来た事を機会に
大好きな派手なヘアカラーを染め直し、
塾講師匠へ応募しました。
塾長には面接時に吃音の事を伝えました。
中学生のころの不登校時代に、
母親が私を頻繁にお出かけに連れて行ってくれたおかげで、
自分より上の方には割りと話せるようになってきたのもあり、
落ち着いた空間での1対1の会話が得意になったので、
面接は難なく終えれましたし、
自分の意見や吃音の事もお話しをし、
後日、採用の通知がきて塾講師になりました
。
人の顔色や視線、話し方で相手の気持ちを汲み取るが不登校時代に得意笑になっていたため、
それを武器にして、
生徒ひとりひとりに寄り添った学習で、
勉強が嫌いな子供達のテストの点数を上げていくことができたので、
「私が担当が良い!」
といってくださる、生徒さんや保護者さんも居てくれたりと、やりがいがある仕事でした。
終わりに、
自分が今こうして記事を打っていても、
自分の半生は波乱万丈だなぁ笑
と思いますし、
それと同時に、このような体験は自分しか出来ないものだ…と大人になってやっと不登校だった自分を受け入れる事が出来て、年を取ったなぁとも感じながら、
不思議な気持ちで打っています。
自分を受け入れるのは、時間がかかるとは思いつつも、
最終的にはどんな自分も受け入れてあげないと、次の段階に進めないんだなと思いました。
改めてこの記事を書いてよかったと感じました!
まだまだ書いていない部分はたくさんあります!
これからもその部分を書いていこうと思っていますので、
今後もよろしくお願いしますね。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
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