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【広島1人旅② 原爆ドームを見た】


はじめに


8月になると戦争について考えることも多くなるのではないでしょうか?
今回は、戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを後世へと伝える「原爆ドーム」を紹介していきたいと思います。

最初に僕の幼少期の記憶を紹介します。今回、原爆ドームに訪問したいと思ったのは「はだしのげん」(広島の原爆投下前後を描いた作品)というドラマが理由です。小学生の時にこのドラマを見て、子どもながらに今の平和な日常は当たり前ではないことに気づかされました。家族とたわいのない会話ができること、不自由なくご飯が食べられること、友達と公園で遊べること・・・。これらは平和な世の中だからできていることなんだと感じました。一発の爆弾で広島のいつもと変わらない風景が一瞬でなくなってしまったシーンは心が張り裂けそうな気持ちになったこと、今でも覚えています。



原爆ドームとは?


原爆ドームはもとは広島県物産陳列館という施設でした。広島県物産品の販売や展示を行っていたそうです。いまでいうと百貨店に近いですね。しかし、戦争の激化により1944年3月には産業奨励館としての業務が終わり、内務省中国四国土木出張所のオフィスになります。

原爆は原爆ドームから南東約160メートル、高度約600メートルの位置で炸裂、このときの爆風の風速は秒速440メートルという凄まじいものだったそうです。原爆ドームは激しい爆風と熱線を浴びて、火を噴きだして燃え上がったといわれています。建物内にいた人は全員即死、建物内部は熱線による火災で全焼したそうです。そして、鉄骨部がむき出しとなった様子から「原爆ドーム」と呼ばれるようになったといいます。


原爆ドームへ


緑色の路面電車で原爆ドームに向かいました。原爆ドーム前という駅を降りて1分ほど歩くと、森に囲まれた頂上の丸い傘のように残った屋根が見えました。原爆ドームです。恐る恐る建物に近づくと、わずかに焦げ臭い匂いがしました。また、丈夫なはずなコンクリートが粉々になっているのを見て原爆の破壊力を改めて感じました。

平和記念資料館へ


原爆ドームから5分ほど歩くと、白色のモダニズムな建物が見えました。平和記念資料館です。残念ながら、常設展示の閉館時間が過ぎてしまい、特別展のみの観覧となりました。特別展のテーマは「被爆75年企画展 広島平和記念資料館のあゆみ 第一部 礎を築く」。生涯をかけて被害の全容を明らかにしようとした初代館長長岡氏の足跡が紹介されていました。被爆の実態を世界の人々に伝えるとともに、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて寄与することを目的に、1955年に資料館は開館します。

私が展示で印象に残っているのは廣島護国神社の砂利をじっと見つめる長岡氏の姿。どんな思いで地面を見つめていたのでしょうか?

まとめ


コロナの影響もあり、今すぐ原爆ドームへ行きましょう、とはなかなか言いづらい状況です。ただ、おうちでもできることはあると思います。
5分だけ戦争について考えてみたり、戦争を扱ったの作品に触れたり、あまり興味がない安全保障のニュースを覗いてみたり・・・少しだけ行動を変えてみることをおすすめします。

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