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エッセイ「 出前の皿 」


納豆ご飯の支度をする気力すら無い、そういう時は出前を頼むのが、
妻との暗黙の了解になっている。

近所にある、馴染みの蕎麦屋に出前を頼んだ時の事だった。
注文した山菜おろし蕎麦を汁まで平らげて、食器を洗っていた。
出前とはいえ借り物の食器である。
出来るだけ綺麗に洗って返却しようとした。
と、力みすぎたのか、私は、蕎麦屋の食器を落として割ってしまった。
見事な大皿が、取り返しがつかない程に真っ二つになった。
何やら大胆な模様が入っている。
なんだか高価な物のようにも思えてきた。

蕎麦屋の女将の優しい声が、脳裏をよぎった。
言いにくい。しかし謝るより他に選択肢はない。

電話を手に持ち、どう話を切り出そうかと台所を少々ウロウロし、
思い切って電話を掛けた。
「はい、〇〇屋です」
私は割れた皿を見つめながら事情を話し、謝罪した。
「あら、お皿増やしちゃったの」
蕎麦屋の女将は、にこやかな声で確かにそう言った。
皿を割った事を「増やしちゃった」と、そう表現したのだ。
「そんなのはお気になさらずに、またご注文くださいな」
女将は、私の失態を責める事どころか、こちらの心まで気遣ってくれた。
電話を切り、人の温もりに浸った。

一枚の皿が割れて二枚になった。確かに物は捉えようである。
思いやりのこもった知恵というのは、温かいものだ。
皿を一枚割ってしまったが、思いがけない幸せを感じた。


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