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エッセイ「白髪と絆」

頭の白髪を一本抜けば十円。
小学生の頃、私は、叔母の家で夜な夜な謎のアルバイトをしていた事がある。

土曜日の夜は、大好きな叔母の家に泊まりに行くのが、当時の私の習慣であった。
その頃叔母は四十代前半であったが、苦労と若白髪が多かった。それを気にする彼女は、一本生えるごとに手鏡を見ながら毛抜きで抜いていたのである。

そこに目を付けたジリ貧の私。お菓子代を稼ぐチャンスだと思った。
叔母に、自分が代わりに白髪を抜くから、一本抜くごとに十円くれないか、と持ち掛けた。
甥っ子である私を溺愛する叔母が、その申し出を断る訳がなかった。私は子供ながらにそれを知りつつ提案した。卑怯者である。

私は一晩で最低三百円を稼ぐため、白髪三十本を抜く事をいつもの目標としていた。
一本抜くごとに十円が私のものになる。銀色に光る毛抜きが、財宝を生む道具のように思えた。叔母は私の企みを見抜いており、白髪の本数が三十本に満たなくても、いつも気前よく五百円玉をくれた。

私が毎週土曜の夜、白髪を沢山抜くものだから、叔母の頭が禿げるのではないかと心配していたが、叔母の髪の毛は減ることなく、安定して毎週数十本の白髪を生産していた。

あれから三十年以上が経った。叔母が亡くなり、先頃一周忌を迎えた。
私も白髪が目立つ年頃になった。白髪を見つけると、叔母との触れ合いを思い出す。
だから今でも、私は白髪が嫌いでない。白髪は、その人が歩んできた歴史を物語っているように思うのだ。

誰かの頭髪に白髪を見つけると、途端にその人に親しみを覚えてしまう。
これは、生涯変わることがなさそうだ。


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