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【統計小説】蓮の連関 英国ベトナム人コンテナ死亡事件

●アインの〈視点〉

「私、日本に行くの」

大学の学生食堂で先輩が、アイン(Ánh)に告げた。
その先輩は、アインの三つ上の女性で、小さい頃からよく一緒に遊んでもらっていた。

先輩は、アインと同じ大学で日本語を専攻し、今年で卒業予定だった。


「留学ですか?」


アインは、先輩が成績優秀であることを知っていたので、日本に行くなら留学だろうと考えた。
だが、先輩の家もアインと同様、裕福とはいえない。日本に留学に行くなら生活費と授業料を合わせて数百万円はかかる。

先輩が、そんなお金を用意できるとは思えなかった。


「違うよ。技能実習生として行くの」
「技能実習生・・・」


聞いたことがあった。

本来、先輩のような大卒者が選択する進路ではなかったが、ベトナムーー特に中部の経済状況から国内での就職が難しいことから、自らの「大卒」という学歴を隠して日本へ技能実習生として働きに行く人も珍しくなかった。


「60万円ぐらいの費用はかかるけど、真面目に三年間働けば、全ての費用を引いても150万円ぐらいの貯金ができるみたい」
「150万円!」


その金額に、アインは驚いた。

ベトナムで150万円は、大金である。

ベトナムの平均年収は、約30万円。

贅沢さえしなければ、家族で数年間生活ができるだろう。

また、それを元手にビジネスを立ち上げることもできるかもしれない。


「アイン、私は、三年間日本の食品工場で働くから、私がベトナムに戻ってきたら、一緒にフエ市内で日本料理のお店でもしない? 最近、フエにも日本人が増えてきたし、フエのお金持ちは、日本料理をよく食べるから上手く行くと思うよ」
「それ! とてもいい!」

先輩の提案にアインは、興奮気味で答えた。

三年後といえば、ちょうどアインが大学を卒業する頃だ。

実際、この大学で日本語を専攻しても、フエ市内には、あまり良い就職先はなかった。

もちろん、ハノイやホーチミンに行けば、日本語を必要とする企業は多くあったが、その場合は、ハノイやホーチミンの大学の学生達と競わなければならず、フエの学生にとって圧倒的に不利だった。また、生活費等の負担も大きいという現実もあった。

そのため、フエから離れて就職する人間は少ない。

ハノイやホーチミンまで行かなくても、フエと同じベトナム中部にはダナンがあるが、結局、フエの学生がダナンの不利である状況は変わらなかった。

アインは、この先輩の提案に心が踊っていた。

彼女は、これで、明るい未来が拓けたように感じたのだ。


「日本語を勉強して、先輩が帰ってくるのを待っていますね!」
「うん、二人でがんばろうね」


アインは、三年間、先輩との約束を楽しみに、大学で日本語の勉強を続けた。


でも・・・結局、この二人の約束が実現することはなかった。 


●彼の〈視点〉引用① 論文『ベトナム中部出身帰還技能実習生の実態』

蓮。


汚れた泥の中でも美しい花を咲かせる。他国から侵略を繰り返し受け、それに抗い勝利してきたベトナムを体現する国花である。

ベトナムの国土は、南北にS字型に細長く広がっており、面積は 329,600 平方キロメートルである。これは、日本が 377,700 平方キロメートルであることから、日本の国土面積から九州と秋田県を除いた広さとなる。

また、日本と同じく山が多く(国土の 4 分の3)、平野部には北の紅河デルタ、そして南のメコンデルタという二つの大きな穀倉地帯を持っている自然豊かな農業国でもある。

人口は、1億人に迫る9,467万人(ベトナム統計総局2018年)であり、日本と同様にほぼ“単一的民族”、そして、現在のところ激しい宗教的対立もない。


アジアにおいて、「人口 1億人」「単一的民族」「宗教的対立なし」というキーワードで結びつけることができるのは、日本とベトナムといえるだろう。


このようにまるで「兄弟」のような相似形の国が、日本とベトナムである。

さて、ベトナムの著名な都市といえばハノイとホーチミンであろう。

さらに、この両都市に加えて「サイゴン」の名を挙げる人もいるかもしれないが、「サイゴン」はホーチミンの旧称である。

かつて「サイゴン」は、1955年から1975年まで存在していた『ベトナム共和国』(南ベトナム)の首都だったが、『ベトナム民主共和国』(北ベトナム)に敗戦し、《ホーチミン》へと改称された。

ただ、今でも《サイゴン》の名を懐かしみ、また“特別な想い”を籠めてレストランやその他の名称に使い続けている者もいる。

現在のベトナムは、北部の首都ハノイと南部の商都ホーチミンが牽引し発展しているといえる。

一方、中部は、ようやく沿岸部のダナンに開発が入ってきたが、北部や南部に比べたら“貧しい”のが現状である。

さらに、台風による水害も多く、2020年後半にもフエ市を含めた周辺一体が床上浸水した。

このように社会経済及び自然環境が厳しいのがベトナム中部である。だからこそ、そこに住む人々は、非常に真面目で勤勉といえる。

ただ、真面目で勤勉だからこそ、”搾取”の対象となる傾向にあると言える。


日本に来る技能実習生の多くが、ベトナム中部出身者である。

●アインの〈視点〉

先輩が、技能実習生として日本へ行って半年が経った頃、アインは、”嫌なウワサ”を聞いた。


先輩が「技能実習先の会社から逃げ出した」というのだ。


確かに、最近、先輩とは、以前よりも連絡がつき難くなっていた。

それでも、アインは、一緒にフエで日本料理のお店をするという先輩との約束を信じていた。

必ず先輩は、アインとの約束を守ってくれるはずだと信じていたのだ。

だから、アインは、この”嫌なウワサ”を気にしないようにした。

また、この”嫌なウワサ”を聞いた後も、アインは先輩とSNSを通じて交流をしていたが、特に先輩からは、特に何も言われなかった。

もし、先輩が、技能実習先から逃げ出したなら、アインとの約束を守れなくなる。だから、先輩は、そのことを言ってくれるはずだとアインは考えていた。

ただ、アインも先輩が変わったことには気付いていた。

先輩は、髪を茶色に染め、化粧も派手になっていた。

ただ、中身は、いつもの優しき先輩だったので、アインは、特に気にしなかった。日本に行って、開放的な気分になっているのだろう、とぐらいしか思っていなかった。


だから・・・


あるSNSでシェアされた先輩の写真を見たとき、アインは、驚きのあまり「うそ・・・」と声を出し、ただスマートフォーンの画面を見つめていた・・・。

そこには、日本語のニュースサイトで「風俗店摘発。元技能実習生ら逮捕」との見出しが出ていた。

アインの日本能力では、すぐにそのニュースサイトの内容を理解することはできなかったが、翻訳ツール等を使って、だいたいの内容は理解できた。


「先輩・・・どうして・・・約束したのに」


アインの脳裏には、学生食堂で先輩と約束した日が、繰り返し“再生”されていた。


●彼の〈視点〉引用②  論文『ベトナム中部出身帰還技能実習生の実態』

448,053人。

2019年末時点と比べて+8.8%(+36,085人)増加し、過去最高を更新した。上位十ヵ国のうち前年末比で人数が増加したのはベトナムのみだった。

これは、法務省出入国在留管理庁が発表した2020年12月末時点における在留外国人統計による在留ベトナム人数である。

この数は、半年前の2019年末時点(411,968人)と比べて8.8%増であり、ベトナム以外の上位国は、全て減少していることからすれば、その勢いを理解できるだろう。

特に、韓国(426,908人)を抜いて中国(778,112人)に次ぐ第2位になったことは象徴的だとさえ言える。全体構成比からすれば、約3人に1人が中国人(構成比27.0%)であり、ベトナム人は、約6人に1人(構成比15.5%)にまでなっている。


在留外国人総数は2,887,116人。


これは、前年末より46,021人(1.6%)減少しており、前年末に比べて減少したのは、平成24年以来8年振りとなる。現在の増加率を維持すれば、近い将来“日本で最も多い外国人”は、ベトナム人となるかもしれない。


これは、単純に「ベトナム人が中国人のようになる」というものではない。


なぜなら、在留ベトナム人の半数を超える218,727人(旧)が、技能実習生であり、これは全技能実習生378,200人の半分以上に当たる。また、日本での就労が主たる目的であると疑われる傾向にある留学生も約7万人(後正確な数字追加)となっている。

つまり、在留ベトナム人の3分2以上が「出稼ぎ外国人労働者」であり、3年間から5年で日本から去らざるを得ない。

その為、最も法的にも経済的にも安定ているはずのベトナム人永住者は、約1.7万人に過ぎず、この点からも在留ベトナム人の不安定さ構造的歪みが理解できる。

これらは、在留外国人第二位という日本社会における重大なファクターとなっているはずのベトナム人が、リスクファクターとして内包されていることを意味している。

具体的には、「在留ベトナム人=技能実習生」という状況が顕在化していることから、技能実習制度から派生する様々な問題は、そのまま「在留ベトナム人の問題」として理解される。これが、ベトナム人犯罪の多発等の報道により、急激に日本におけるベトナム人のイメージが悪化している背景となっている。


「ベトナム人が増えたから犯罪が増えた」


“あなた”は、こんな主張を聞いたことがあるかもしれない。

これは、脊髄反射・思考停止的姿勢として批判されるものであるが、表面的・形式的には理解しやすいものとなっている。実際に、コロナ禍前にはほとんどみなかったベトナム人批判は、現在SNSを中心にあふれている。

しかしながら、実際は「技能実習制度の歪んだ構造によって追い込まれたベトナム人が犯罪に手を染めてしまう」と考える。

当然のことではあるが、罪を犯したベトナム人は、糾弾されるべきであり、その罪を償うべきである。そして、同時に、在留ベトナム人の背景を理解し、それを改善しなければ、”負の連関”が続いていくだけである。

この”負の連関”は、いずれ日本において決定的な”崩壊”を引き起こすだろう。


〈崩壊〉 


それを、現時点で具体的にイメージできる日本人の数は少ないだろう。

なぜなら、まだ多くの日本人が、「日本だけでやっていける」との幻想を抱いているからだ。

この幻想を抱いている限り、この〈崩壊〉から逃れることはできない。


〈崩壊〉は、盛大に足音を立てながら、堂々とすぐそこまで迫って来ている。

●アインの視点

結局、先輩は、フエには戻って来なかった。


噂では、ホーチミンで日本人男性向けのクラブで働いているらしい。

一度、先輩のSNSを見たが、そこにはかつての優しい先輩の姿はなく、ただ派手で爛れた雰囲気を身に纏った“女”がいるだけだった。


技能実習生として日本に行ってから、先輩の身に何が起きたかはわからない。


ただ、先輩の中で決定的な変化が起きたことだけは理解できた。

人は、お金によって変わる。

そんなありふれた言葉でも、実際に身近な人が当てはまると、ひどく落こんでしまう。これは“裏切られた”という単純な感情ではなく、むしろ“さびしい”もしくは“むなしい”という内向的なものに近かった。

アインは、地元フエで日本料理のお店を一緒にするという先輩との約束を信じて、これまで日本語等を一生懸命勉強してきた。だから、先輩との約束が潰えた4年生になって初めて、今後の自分の“進路”について悩むこととなった。


そんな時、アインは、大学の友人から「日本に行って働いてみない?」と誘われた。


「どうやって行くの?」
「技能実習生」


・・・技能実習生か。


確かに、大学で日本語を勉強してきたとはいっても、アインの日本語能力は、日本で働けるレベルになっていないことは本人も自覚していた。

そもそも、アインには日本人の知り合いもいなかった。

アインは、アニメ等のテレビ番組を通じてしか日本を知らなかったのだ。だから、日本で働いてみたいと思っても、現実的な選択肢としては、技能実習生しかなかった。

技能実習生として日本に行った先輩。

先輩は、技能実習生としては“失敗例”だった。

日本に技能実習生として行く場合、送出機関に約60万円手数料を支払うことになるが、それを除いても3年間で150万円程度の貯金ができることは確かな事実である、とアインは知っていた。

なぜなら、フエにも“成功例”として帰国した元技能実習生が多くいたからだ。

身近に“成功例”がいれば、送出機関に約60万円という“大金”を支払う決断もできる。

裕福ではないとはいえ、しっかりと”リターン”を考えることができるので、両親に言えば、これぐらいのお金は用意してくれるだろう。


「技能実習生か・・・」


アインは、今度は声に出してみた。

すると、なんだか“やれそう”な気がしてきた。


技能実習生として日本に行く。


それが、アインにとって大学卒業後の現実的な〈進路〉となり始めていた。

●或るBlogの〈視点〉
 日本も無関係ではない『ベトナム人英国コンテナ死亡事件』

皆さんは、イギリスで発生した『ベトナム人英国コンテナ死亡事件』を覚えているでしょうか。

日本でも報道されましたが、被害者に日本人はいなかったし、そもそも、遠く離れたイギリスでの事件だったので、はじめて耳にした方も多いかもしれません。

この事件は、ロンドン近郊においてトレーラーの冷凍コンテナから39人のベトナム人の遺体が見つかった、というものです。そして、この39人のベトナム人のほとんどが中部出身者でした。

以下が、事件の概要です。

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この冷凍コンテナは、ベルギーのゼーブルージュ(Zeebrugge)港から船に積み込まれ、午前零時半ごろ、英テムズ川沿いのパーフリート(Purtfleet)港に運び込まれた。

その後、コンテナは、密航ブローカーの男(25 歳・北アイルランド出身)が運転するトラックに積み込まれたが、男が運転するトラックは、出発してから 30 分ほどたった頃にエセック州ウォーターグレイド工業団地( Waterglade Industrial Park)付近で停車した。

これは、男が、コンテナ内にある書類を確認しようとしたからだった。

そして、コンテナのドアを開けた男は、自分が、「生」の冒涜者になったことを知る。

彼の目の前には、数多くの「生」が消え去った ベトナム人の身体が横たわっていたのだ(死因は、窒息死と言われている)。

慌てた男は、すぐに救急隊に連絡した。

その後、救急隊は、冷凍コンテナの中にある女性 8人と、男性 31人(15歳の少年2人を含む)のベトナム人は遺体を確認した。
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この 39人のベトナム人の中にAさん(女性・26歳・フエ出身)がいました。彼女は、亡くなる直前にベトナムにいる両親に向けて、携帯電話から次のメッセージを送りました。


“Con xin lỗi bố mẹ. Đường đi nước ngoài của con không thành. Con chết vì không thở được. Con thương bố mẹ rất nhiều”.(ごめんなさい、パパママ。私の海外渡航は失敗。息ができなくて死にそう。私は、パパママをとても愛しているよ。)


これが彼女の最後の「言葉」となりましたが、実は、彼女は、元技能実習生でした。Aさんは、三年間、日本のC県にある食品工場で技能実習生として活動していたのです。つまり、彼女は、日本から帰国した直後にイギリスに密航したことになります。


「私の夢は、化粧品の店を開くことです」 
「名前は「さくら」です」 
「壁はしろとピンクにぬります」 


これらの言葉は、Aさんが、実習先の会社に残した「将来の夢」についての言葉です。

彼女は、実習先の会社同僚には「また日本に戻ってきたい」と伝えていたようですが、それが実現する可能性はほとんどありませんでした。

なぜなら、技能実習は、制度上、原則三年間となっているからです。

これは、技能実習制度の目的が「人材育成を通じた開発途上地域等への技能、技術又は知識(以下「技能等」という。)の移転による国際協力を推進すること」(技能実習適正化法第 1条)となっていることにあります。そのため、Aさんは、日本で学んだ「技能等」をベトナムへ移転する役割を担っており、再度来日することはできませんでした。

しかしながら、この技能実習制度の目的は、”形式”的なものであり”実質”的には「使い捨てを前提とした単純労働の供給源(労働力需給調整手段)」となっているのは、もはや“周知の事実”でしょう。この“周知の事実”については、またあらためてお話しできればと思います。

●アインの〈視点〉

「アインちゃん、ベトナムに帰った後、どうするの?」

三年におよぶ技能実習生として活動も終わり、あとは、ベトナムに帰国するだけとなっていたアインに、日本人同僚の鈴川が、心配そうに聞いてきた。鈴川は、50代の女性で、近くに住むパートさんだったが、アインには、特に親切にしてくれていた。

まだアインが日本に慣れなていない頃、どうにか乗り切れたのは鈴川のおかげだったといえる。鈴川は、 アインが抱いていた「親切で真面目な日本人」のイメージ通りの人であり、このような人と出会えたことが、アインが技能実習生として“成功例”となれた大きな要因だったのだ。

やはり、実習先の人間関係が、技能実習生として“成功例”になるための最大要因である。


「すずかわさん、まだ決めてません。でも、できるなら、もう一度日本で働きたいと思います」


アインの日本語能力は、来日後、飛躍的に上がっていた。これは、アインが大学で日本語を専攻していたこともあったが、技能実習生として来日後も、自分で一生懸命勉強した結果だった。


「できるの?」


鈴川は、驚いた顔をした。


「たぶん・・・むずかしいです」
「でも、アインちゃんは、大学も出ているから、今度は、別のビザで日本で働けるんじゃない? 私の親戚にビザを専門としている行政書士がいて、この前会ったときに、軽くアインちゃんのことを相談してみたら、そんなことを言っていたよ」


この鈴川の善意を前に、アインは言葉を詰まらせた。

アインも、大卒者は、在留資格「技術・人文知識・国際業務」で日本で働くことができることは知っていた。
でも、アインは、技能実習生として来日するときに、自分が大卒者であることを隠していた。

理由は、送出機関の担当者から「大卒者であることを隠さなければ技能実習生として来日できない」と言われたからだ。アインとしては、嘘をつきたくなかったが、もう既に、送出機関に大金を支払っていたし逆らうことはできなかった。

入管へ虚偽申請することは、犯罪である。
それがバレたら、もう二度と日本には来ることはできないどころか刑務所に入れられる、言われていた。


「すずかわさん、ありがとうございます」


鈴川も、アインの様子から何か理由があるのだろうと気づき、それ以上は、この話題を続けなかった。

アインは、当初の予定通りこの三年間で150万円の貯金をすることができた。しかしながら、アインは、技能実習を経験して、学生の頃よりも“現実”を理解できるようになっていたので、フエであってもアインが考えている日本料理のお店を出すにはお金が足りないことを理解していた。


このままベトナムに帰っても、その不足分をお金を稼ぐことは難しい。本当なら、技能実習生であっても、このまま日本で働き続けたかった。

もちろん、大卒の学歴を使って在留資格「技術・人文知識・国際業務」で、通訳・翻訳担当者として日本企業で働きたかったが、それは、自らの虚偽申請によって不可能になったと理解していた。

それなら、別の国に行くしかない。

アインは,日本で知り合った友人を通じて、“期限がない形”で働ける国はないか聞いてもらっていた。

アインの携帯電話が鳴った。


「もしもし」
「アイン! 働ける国が見つかったよ!」
「本当!どこ?」


「ーーーー」


友人の声が途切れた。


「ん? 聞こえない。もう一度言って」


いつもなら電波が悪くなることはなにのに・・・友人の方の電波状況が悪いのかもしれない。


「だから・・・」
「どこ?」


「・・・リ・・・ス」


●学びを深める本

『外国人雇用の実務〈第3版〉』(中央経済社)

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