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ポストコロニアル vs. コロニアルスタディーズ
便宜上、自己紹介するときなど、わかりやすさを重視して「ポストコロニアルスタディーズやってます」と言います。けれど、厳密には「ポストコロニアル」と言ってしまうとこの学術運動が関わっている問題をあやふやにしてしまうという不備があります。誤解を生む可能性はあるけれど、「コロニアルスタディーズ」(植民地研究、あるいは植民地主義研究)と呼んだほうが正確で、より現在の問題にコミットした運動として認識できます。
こういう発言自体、「ポストモダン」ではあるのだけれど、英語の「ポスト~」というのは「「~の後に」という意味です。モダニズム(近代主義)があっての、その後に来るものとしてポストモダニズムがあり、構造主義があって、その後に来るポスト構造主義が思想運動として生まれてきます。
では、「コロニアリズム、植民地主義」が終わっての、「ポストコロニアリズム、ポスト植民地主義」なのでしょうか。もっと直接的に言えば、植民地主義は終わっているのでしょうか。これは西洋諸国、米国とソビエト、いわゆる第三世界諸国の保守派と革新派が論争している歴史認識問題のひとつです。
民族が国家を持っているかどうかだけに着目する歴史家たち、政治家、一般の人達は、第二次大戦後から90年代までに旧植民地諸国が西洋諸国による植民地国家の支配を離れたという意味で、植民地主義はほぼ終わっていると考えます。欧米諸国や第三世界、日本の保守派の人たちも多くはこう考えているでしょう。
しかし、「植民地主義は終わっていない」という歴史認識は、第三世界の知識人たちの間で根強く生き残っています。彼らの言う「植民地主義」、「新植民地主義」というのは、「対外従属」や外国勢力との暴力的で不平等な関係によって生じた生傷(傷跡)のことなのです。(Ann Laura Stoler, Duress , Durham: Duke University Press, 2016)そしてこれは事実関係の問題というより、事実を見る上でのスタンスの問題です。
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