見出し画像

【中編小説】覚醒アニメーション

 某長編アニメーション映画が去年、社会現象的大ヒットをしたので、その監督の過去作品と大ヒットした映画が今年の正月から三日に渡って地上波放送されると、新聞のテレビ欄で知った。一日、二日の深夜が過去作品、三日のゴールデンタイムが大ヒット映画の放送だ。
 そのせいで、私は眠れなかった。アニメが楽しみで興奮して眠れなかったわけではない。私が眠れなかったのは、そのアニメ映画を観終わった後にだ。体がぐったりと疲れているのに、床に入っても落ち着かない。何度も寝返りを打って体勢を変え、目を閉じる。じっとしていたがすぐに、「違うよ、こんなんじゃ寝らんねぇよ」と、私の頭から檄が飛んで来て、私の体がしぶしぶ寝返る。頭の命令に従うというより、その命令を振り払うように身をよじるのだ。
 鼓膜が絶えず振動している感覚がある。だが、その振動が音楽にならない。ただの不愉快な刺激が執拗に私を揺さぶる。
 目を閉じると眼球が脈を打つような違和感がある。まるで、全力疾走した後の苦しい息切れのように、眼球が緊張と弛緩を速いペースで繰り返すのに合わせて、瞼に色彩が点滅する。さっきまで観ていたアニメのシーンを脳が処理しているのか。点滅に合わせて、鼓膜の振動の調子も変わった。連動している。私はBGMまで付けて、さっきのアニメを消化していた。
 私は今夜の安眠を諦めた。最近のごく一部のアニメは、とりわけ大ヒットや感動の名作と謳うものの地上波放送は、私の安眠を妨げた。
 アニメがかつて、私を支えていたものの一つであったはずだった。小学校の六年間が最もアニメに頼っていた時期だったと思う。そのころには、まだオタクという言葉は認知されていなかったし、第一、アニメは子供のものという常識が通っていたから、私はなんのこだわりもなく、アニメの恩恵をたっぷり受け取っていた。なぜ私はアニメを見るのか、なんてことに自覚的になる必要がまだ無かった。
 アニメのせいで眠れない夜は、覚悟を決めてとことん自省した。

 小学校のころ、私は学校に興味が無かった。学校には毎日行っていた。でも、学校に参加していなかった。先生の話は真面目に聞かずに窓の外を眺めていた。反抗心とかの意志があってそうしていたのではなく、今日はテレビ何がはいるかなと考えていたのだ。
 休み時間は教室にある児童書を読み漁る。青い鳥文庫とか、ポプラ文庫とか。中でも、怪談話をよく読んだ。特に好きだったからというわけではなく、そのシリーズしか本棚に無かったのだ。面白い話も面白くない話もあったが、だからといって投げ出すことはしなかった。面白いかどうかにそこまでこだわりがなく、ただ、読めるし、他に用事がなかったから読んでいた。
児童書を読むこと自体に飽きたら図書室で漫画を読んだ。偉人の伝記や『はだしのゲン』、『~のひみつ』という身近なもの(例えば、携帯電話やカレー、お米、お金とかそういうものだった)の仕組みをわかりやすく描いた漫画を読んだ。ちびまる子ちゃんとかドラえもんとかを使ったことわざ教室や慣用句教室などの漫画も頻繁に読んだ。
 それにも飽きたら、校舎を歩き回った。四階建ての校舎を下から上に上から下に、あちこちにある階段を見つけ出して登り降りした。またある日は校庭に行く。ダイアモンドジムに登る、地面に半分埋め込まれたタイヤが並んだ遊具をスキップで行き来した。中庭でサクランボの木を見上げたり、池のアメンボが作る波紋を眺めたり、花壇のチューリップが何色あるかを調査して遊んだ。
 意図的に仲間外れにされていたわけでもないし、私から仲間に入りたくないと避けていたわけでもないと思う。ただ、私は自分からどこかのグループに入ろうとしなかったので、周りのクラスメイトがその態度を汲んだんだと思う。学校のグループっていうのは、学校という市場の中で自分と相手をマッチングさせるために交渉を繰り返して作られていく。ただし、あからさまにではなく暗黙のうちに。私は人間関係がそんな能動的で巧妙なものだとは知らず、自然発生的なものだと思っていたのだ。好きなものや考え方が似ているか、仲良くなりたい人とは自然と寄り集まって仲良くなるのだと甘い見立てをしていた。そして、二二歳になった今、思い返してみても、小学校から周りの子たちは、マッチングだなんて社会人の基礎みたいな自覚的な行動をしていたのかと、にわかに信じられないでいる。
 一人でいることが多く、ぼーっとしがちな私を、教師たちは気に掛けてくれた。穏やかで丁寧な接し方だった。私もそれに応えるように、礼儀正しくした。見かけたら挨拶をし、教養向けの漫画で覚えた敬語で話した。私は小学校から敬語を正しく使えていた。運動は全くできなくて、成績がなかなか良くて、大人しくて読書家だった。多くの生徒のように、大人と話すことに抵抗も緊張もなく、暗い生徒のようにおどおどもせず、明るい生徒のように調子がくだけてもいなかったので、私の先生方に対する接し方をどう捉えたらいいのかを先生方は迷っていたのかもしれない。ある先生なんぞは、私には、ぼーっとする時間も必要だと、母に言ってくれたらしい。先生だけではなく、同級生の母親にも「早弓ちゃんは独特ね」と母は言われていたらしい。
 まあ、要するに薄ぼんやりと心配されていたのだ。人に酷い迷惑をかけるような問題児じゃないけど、平均的な成長のステップからは二つ三つ遅れている。そんな具合の子供だったのかなぁ。

 そんな子供時代に、アニメは私の支えになっていたのではないかと解したのは、つい最近だ。私は大学を卒業しても小学校の頃の私と大して変わらない、「人に酷い迷惑をかけるような問題児じゃないけど、平均的な成長のステップからは二つ三つ遅れている」女になった。ステップから二つ三つ遅れているので、新卒での就職も見送ることになった。今は、大学院の科目等履修生として指導教授の研究室でバイトをしながら、講義を受けている。来年の大学院進学を目指して勉強中だ。
 ある日のバイト中、指導教員のゼミ生が卒論執筆に使う参考文献の論文をコピーした時だった。コピーしたものをステイプラーで綴じる際、ページの順序を確認しながら、論文を走り読みした。平成に入ってからの小学校教育の問題を社会学的に研究するという内容だった。
 平成に入ってから、核家族化や少子化などで、住んでいる町の中で子供が孤立するようになった。「知らない人と話してはいけない」という家庭内での教育により町内の人間的な繋がりは希薄になり、広場や公園も無くなり、子供が同年代の子供や教師などの保護してくれる大人に出会えるのが小学校だけとなった。よって、子供は学校での居場所が見つからないと、自分が生きていける場所、安心できる場所はこの世には無いという絶望感に苛まれやすくなる。学校で居場所を確立しなければという危機感がいじめを発生させ、居場所を確立できなかったいじめ被害者が必要以上に追い詰められるのだという。要約すれば、そんな内容だった。
 私が作業する長机の奥のデスクでは、指導教授が作業をしていた。キーボードを打つ硬質で軽快な音をさせている。教授はパソコンの動画サイトを立ち上げ、ミュージックビデオを再生した音声を作業用のBGMにしている。ジャズのメドレーだったり、クラシックだったりと日によって違う。その日は、『くるり』だった。ジンジャーエール買って飲んだ、こんな味だったっけなぁ、という歌詞の曲だった。
 歌詞がついた曲をBGMにしている時は、あんまり忙しくない、余裕がある日だった。私は雑談の話題に、この論文の感想を持ち出した。私は、この論文で取り上げられている平成に入ってからの小学生だったが、ここ書かれている感覚を味わったことが無い。むしろ真逆の環境にいた。母方と父方の親戚は三親等まで町内に住んでいたし、近所に住む他人のおじいさんやおばあさんとも挨拶をしあう仲だった。学校で友達はほぼいなかったけれど、いじめられてはいなかった。部活動も委員会も入っておらず学校での確かな役割があるわけでもなかったから、同級生や先生方に積極的に相手にされなかったという意味では学校に居場所は無かったかもしれないが、切迫した感覚は持っていなかった。
 教授は、「その論文は少し誇張があるかもしれませんね」と呟き、こう続けた。
「大抵の小学生は真面目に先生の話を聞いてなくて、今日何して遊ぼうかなぁとか、早く帰れないかなぁ、部活行きたいなぁとか考えている子が多いんですね。つまり、学校以外にもちゃんと居場所があるんですよ。ちょっと、わかりにくい場所になっただけで」
「確かに」
 と、私は頷いた。
「私も、先生の話聞かないで、今日テレビ何はいるかなぁって、考えていました」
 そう答えると教授は「あ~」と感嘆のような声を出して、「そういう風に外の世界があるのは良いですね」と言って、直後にキーボードを打つ音を再開させた。
 そうか、私が小学校に行けていたのはアニメという外の世界のおかげだったからなんだ。へぇー、と半端に納得して、確認し終えた論文のコピーを揃えて左上の角をステイプラーに咥えさせて歯を打った。
 私が住んでいるのは東北の地方都市なので、地上波で放送されるアニメの種類は少なかった。ドラえもん、クレヨンしんちゃん、ちびまる子ちゃん、あたしンち、サザエさん、おジャ魔女ドレミ、とっとこハム太郎、ポケットモンスター、アンパンマンくらい。NHKを入れると、忍たま乱太郎やおじゃる丸がある。私はその上、図書館やレンタルビデオ屋でトムとジェリーやまんが日本昔ばなしを借りていた。高学年になると、従兄弟の影響で名探偵コナンと犬夜叉、金田一少年の事件簿、ルパン三世、銀魂を、母親の影響でスタジオジブリの映画などを見始めた。
 こう羅列すると、かなりのアニメを観ていたように思えるが、これぽっちはごく一部なのだとテレビで知った。夏休みや冬休みに放送されている、昭和・平成のアニメをランキングで紹介する特番があった。発表されるランキングはベスト100まであった。ランキングが発表されると、そのアニメの名場面やあらすじも紹介され、あぁ面白そうだなぁ、と画面を眺めた。自分が正座して前のめりになっていたのにも気がつかず、CMになってジュースを取りに行こうと立ち上がった時に足がしびれて転げたこともあった。レンタルビデオやケーブルテレビなどの媒体を駆使すれば、ここに届かないアニメも見られる。そう思うと、本当に日本では、こんなにたくさんのアニメが流されているのだなぁと、テレビの前で呆けた。

 アニメはどんどん流されていく。一つ一つアニメがいろんな訳で放送されなくなっていくたびに、当たり前だが私も成長し、アニメは自然と観なくなった。ちびまる子ちゃんとあたしンちは、一部地域では最終回になります、の一部地域に私が住んでいる町が入っていたので終わってしまった。ポケットモンスターとアンパンマンは、もうそれらを見なくなった高校生くらいの時に一部地域最終回を迎えた。大学を卒業した今でも、テレビをつけると、たまにドラえもんとかを見かけて、しばらく眺めることがあるが、すぐにチャンネルを、ドラマやバラエティー番組、映画、NHKのドキュメンタリーに変えてしまうようになった。何かが違う、と思ってがっかりしてしまうのだ。わざわざ見るほどのものじゃなくなっていると思った。自分が成長しているのではなく、向こうの何かが変わった。その何かはまだうまく言い表せない。無理やり言えば、合わなくなったと思っただけだ。
 小学校の頃は、アニメ映画が公開されると、父親によく映画館に連れて行ってもらった。ドラえもん、クレヨンしんちゃん、ポケットモンスター、とっとこハム太郎、ディズニー、ピクサーはパンフレットが山ほどある。ドラえもん、クレヨンしんちゃん、ポケットモンスターを上映する映画館は大型商業施設の建物の一部に入っていたので、映画が終わった後にゲームセンターで一緒に遊んでもらった。とっとこハム太郎は中心市街地にある東映系列の劇場だった。何故か劇場版ゴジラと同時上映になっていた。私は、ゴジラが恐かったので、上映中は耳をふさいで目を閉じていた。父親と映画館を出て空を見上げてゴジラが居たらどうしようと心配するような子供だった。その後、劇場の下の階にあるマクドナルドのチーズバーガーセットを父親に御馳走してもらって、ケロッとその心配を忘れてしまった。嫌いなピクルスを除けるために、箸代わりになるかりっかりのポテトフライを箱の中から探すのに忙しかった。我ながら、幸せで、かわいい子供であったものだと私はこめかみが痒くなった。

 私は寝返りを打った。部屋が微かに縦に揺れた。ピーピーという機械音と、ごろごろという重いものが転がる音が外からする。除雪作業を行う重機が家の近くを通ったのだ。その証拠に、ごろごろとタイヤが転がる音に重なって、チャラチャラとタイヤに巻き付けているチェーンが鳴る音が聞こえた。私は、もう一度、寝返った。体を丸めたり、反らしたり、足をばたつかせた。まるで、毛布の中で溺れているみたいだと、ため息をつき、毛布をきつく体に絡ませた。
 鼓膜は、まだ無意味な振動を続けていて、瞼の裏の点滅も収まらない。小学校の頃、あれほど私を支えていたアニメが、非正規の大学生となった今の私を、こんなに苦しめている。最近作られるアニメ映画は、やたらに気を立たせる。最新のアニメを楽しんでいる人々は、それが与える刺激を感動と呼び、ぐずぐずびょーびょーと泣いている。
 私は、それは感動ではないと思う。感動っていうのは涙が出ないと思う。心地いい重みがあって、落ち着いて味わえる深遠さや奥行きなのだと思う。見終わった夜、余韻に促されるように考えさせられ、心地良い疲れが掛け布団みたいな丁度良い重みになって体に覆い被さり、じんわりと安眠に降りていけるのが、私の感動だ。

 アニメから遠ざかって行った今の私でも、アニメ映画の地上波放送は、つい見てしまう。金曜ロードショーのジブリ映画や細田守作品、劇場版アニメ・デスノート、庵野秀明のエヴァンゲリオン三部作など、まあ年相応のものを嗜んでいた。子供時代のアニメ映画鑑賞のノスタルジーがそうさせたわけではなく、大学時代のサークルの環境が影響している。
 私は中学校で演劇にはまり、それから高校で演劇部、大学で演劇サークルに入っていた。地方国立大学の演劇サークルには、インテリアニオタが自然と集まって来ていた。えー、インテリアニオタとは、ぱっと見はヤクザに見えないのに、喧嘩を売ったらとんでもなかったというインテリヤクザから私が発想した造語でありまして。本格的なアニメオタクではないが、なまじ頭は良いから物事を批評する癖がついてしまっており、なんとなく楽しむだけでは物足りないので、マニアックな設定の知識や製作背景、裏話や監督の趣味嗜好まで情報を収集し、それを人に語る姿は講義をする大学教授さながら。文系の男子にインテリアニオタは多い。物語を分析し、解釈するのが好きだから、世界観が造り込まれた重厚で、複雑なメッセージを描くサブカルチャー寄りのアニメを好む。彼らは演劇の稽古の合間にアニメの解釈について激論を戦わせたり、突然、稽古場にあるホワイトボードでアニメの世界観や設定の解説を始めたりするので、同じ稽古場にいた私にも刷り込まれたのだ。
 インテリアニオタは器用だ。アニメ好きがそうではない人にどんな印象を与えるのかをシビアに判断できる。アニメ好きを普段は感じさせないように振る舞うか、反対に逆手にとってキャラクターに彩りを添える柔軟さと狡猾さを持つ。インテリアニオタの同期たちは、ちゃんと社会生活のステップにのっとって、新卒で就職していった。
 新卒で就職したインテリアニオタの同期に一人、熱心にSNSを更新している人がいた。千葉に就職した彼は、東京で観た演劇や最近観た映画の感想を書いて公開していた。その中に、例の某長編アニメーション映画の感想があった。感動、泣けた、とにかく観て。たった、それだけが書かれていた。面白くない呟きだな、と私はスマホの画面をタップした。そのアニメ映画は確かに大ヒットした。どのチャンネルのニュースでも取り上げられた。席巻とは、こういう状態をいうのだろうなと思った。私は劇場でそのアニメ映画を観なかった。観るもんか、と構えていた。最近のアニメが演出する感動的なシーンは、私にとっては気が立って眠れなくなる強い刺激だったからだ。きっと、その映画もそうなんだろうなと予測していた。そして、今夜、地上波放送されたものを実際に観てみて、案の定そうだった。

 また寝返った。仰向けになって掛け布団と毛布を引っ張り上げて中に潜った。点滅と振動はまだ続いていた。
 瞼の裏、肌色の闇の中で点滅は何の像も結ばない。鼓膜の振動は心地いい重みを持つ音楽に決して換わらない。いたずらに気を立たせ、眠れなくさせる。体と脳だけが、科学的な作用によって無理やり興奮させられているのだ。安眠を奪われた私の意識は過去に飛ぶ。小学校の頃から始まって、あまり愉快ではない出来事だけを経由して、この寒々しいベッドの中に戻ってくる。トリップ、というのだろうか。私は、いつかテレビで見た、覚醒剤常用者のドキュメンタリー番組を思い出した。頬がこけ、目がカッと見開かれ、尋常ならざる挙動と力無い佇まいをして、必死で生きている姿が思い浮かんだ。その姿が、ニュース番組のインタビューに答えている若者の姿に重なった。若者たちは大体、私と同世代だったと思う。アニメ映画の感想を聞き回るインタビューで、あ感動しました、え泣けますよマジで、わーキャーこれ好きぃー、と答える声が、意味のある言葉の音に似ているけれど本当は意味が無い翻訳不能な、ただの奇声のように聞こえた。なんだか、あれに似ていると思った。私は、次々映る若者たちの中に東京で就職した大学の同期生や先輩方がいたらどうしようと、心配になった。私はじーっと画面を見つめていた。インタビューのVTRが終わり、スタジオのキャスターのコメントが私の緊張をぷつんっと解いた。見知った顔は一つも映らなかった。
 激しい音楽と情感たっぷりに涙ぐんだ人物たち、クライマックスで音楽の調子が絶頂に達したぴったりのタイミングで主人公が今まさにこれから別れてしまう重要人物の名前を叫び、涙を溢れさせ、仲間たちもすすり泣く。 
最近のアニメ映画によくあるそんな場面は、騒音と泣き脅しで、動物として威嚇されているような気分になる。涙が出る時はあるが、それは決して感動ではなく、生体の反応で感情がついて行ってない。分析も解釈の余地も無い、最初から感動による多幸感と流涙によるストレス解消および忘却といった、まるで薬のような効果(、、)を目的にしているようだ。このアニメ映画を観れば、泣けるという効果があります、みたいな。奥行きが無い。必要ないとでも言いたげな。何も考えなくていい、現実の憂さを忘れられる、麻薬じゃん。
 私は、ほっとした。私に麻薬は効かない。麻薬を必要としない精神なのだ。良かった。嬉しい。安心した。私は考えることができるほど、今はまだ健康なんだ。

 私は、寝返りを打ち、すぐに不安になった。覚醒剤的なアニメ映画を欲している人がこんなにいるということは、どういうことだ。何も考えたくない人がたくさんいる。しかも、私と同世代に特に多くいる。これって、不健康なの、私の方じゃない? 
 社会に出た若者たちにとって、覚醒剤的なアニメ映画が社会で生活するための支えになっているのではないか? 小学校時代の私のように? 悲しいほどに奥行きが無くて、あんな強い刺激が無いと生きていけないほど社会は過酷なのだろうか。そりゃ、ニュースとか新聞とか充分すぎる情報は入ってくるけれど、それは私の中に取り込んでも、どんどん代謝されてしまう。にわかに私には実感できない。
 社会の中で生活はしている。だが、参加はしていない。小学校と同じだ。私は、いつまで経っても「人に酷い迷惑をかけるような問題児じゃないけど、平均的な成長のステップからは二つ三つ遅れている」女なのだ。二つ三つの遅れは取り戻せないのだ。
 余計に目が冴えてゆくにつれ、心細さが増していった。今の私を支えうるものは身近にあるのか。参加せずに生活する社会の中を必死で探せば私を支えうるものがあるのだろうか。あれ?
 これ、さっきのアニメ映画の中で主人公とヒロインが考えていたことに似ている。彼らは自分が何(、)か(、)を探している感覚に囚われている。探しているものが何処かにあるという確信があった。探しているものなんか何処を探したって無いんじゃないかという不安が全く無く、日々、淡々と暮らしていた。ふん、甘いな。虚無感のあるフリなんかしちゃって。予定調和を無意識のうちに心得ている。しかも、何かって何だ。何か、誰か、何処か、何時かで、そんな大事なもんを片づけるな。そんな言葉、無自覚に使っちゃうのは、あまりに非戦略的かつ依存的過ぎる。その何かが自分をどうしてくれるものなのか、誰かが自分とどう過ごしてくれるのか、何処かが自分をどう変えてくれるのか、何時かは自分がどうなった時なのか、そこまで考えて言葉を尽くすのが、何もできないと諦めていたとしても自由にできる努力じゃないの、楽しみじゃないの、慰めじゃないの。それが物語を作ることの価値じゃないの。主人公とヒロイン、遠い目をしてカメラに手を伸ばすな。クサい。カユい。
 私は失笑した。でも、ちょっとだけ楽しい気分だった。もう一回、寝返りを打ったら、仰向けになった。横たわったまま全身を伸ばした。素足の甲を裾がめくれてむき出しになったふくらはぎにすりつけた。
 考えるって楽しい。孤立は、ただの自由にしかならない。楽しみも自由も将来の担保になることはほとんどないのだろうな、と、へぇーっていうくらいの軽薄さで受け止めていた。考えられているのは幸せだけど、煩わしい。アニメーションじゃなくて、自分自身の考えごとに覚醒剤のように没入したい。私の支えは、私自身が集めた材料で私自身の組み合わせを溶け合わせて作りたい。
 掛け布団と毛布の、具合の良い重みや温かさに包容される。シーツの起毛を足の甲で柔く撫でる。お腹が気持ち良さそうに膨らんだりしぼんだりしている。私は、今日の点滅と振動を、とりあえず今日の分は、やっと忘れることができた。
                          (了)

頂いたサポートは、本代やフィールドワークの交通費にしたいと思います。よろしくお願いします🙇⤵️