【一緒に勉強】文章力を高めよう・最終講④
文章力講座自体は今回で終わりです。
5月から4ヶ月、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
次回、最後のまとめと振り返りを行います。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
*参考文献はこちら
【論理と細部のチェック】
【論理チェック】
さて、思い返して欲しいのだが、ここまで読者に読んでもらうための文章を書くために、必要なことをいくつか挙げてきた。
読者の皆様は思い出せるだろうか?
まず、読みにくい文章を書かないためには?
文章はリズムが大切、そのリズムを作るためには「論理展開」が大切だった。
続けて、文章の説得力を高めるためには?
「説得力にはリアリティが必要」、そして「リアリティを得るためには、めんどくさい細部」の描写が必要だった。
当然、推敲段階において、この二つのチェックは欠かすことができない。
上記二つが整っている文章こそ、読者にとって「読みやすく」「関心を惹かれて」「最後まで読みたい」と思える文章だからである。
まず「論理性のチェック」から考えていこう。
さて、自分の文章を読んで、客観的にその論理性をチェックすることはできるだろうか?
それはとても難しいことである。(あなたの文章の)素人である「読者」に対し、書き手自身はいわばその道のプロである。
多少強引なロジック、説明不足な部分があっても、理解できてしまうし、納得できてしまうはずだ。
では、書き手はどのように論理性のチェックをすればよいのだろうか?
その方法は、自分の文章を読み返すとき「この文章を、図に描き起こすことはで考えてみる」ことである。
論理展開がしっかりした文章は、主張や論理展開をシンプルな図に描き起こすことができるはずだ。逆に論理展開がバラバラだったり、主張が結論とつながっていなかったりするような文章は、図式化した時どこかで破城することになる。
文章だから、といって文字だけで考えず、視覚化してしまうことが、論理展開のチェック方法となるのだ。
【細部の描写チェック】
次に「細部の描写チェック」。
これついても、ある問いで対応することができる。
その問いとは「この文章を読んで“映像”が思い浮かぶか?」というものだ。
ダメな文章を読んでいて、もっとも辛いことはなんだろうか?
それは「文字だけをひたすら追わされること」である。描写から情景が全く見えてこないまま、感情や抽象的な言葉がずらりと並んだ文章をイメージして欲しい。
逆に描写をしっかり行うことで、読者はあなたの体験を、あるいは世界を追体験することができる。
映像さえ浮かんでしまえば、わざわざ月並みな感想を伝えたり、説明することさえ必要なくなるのである。
【文章を書き終わったらするべきこと】
先のテーマで「ダメな文章」という言葉がでてきたが、そもそもダメな文章とはどんなものだろうか?
本当に文章に「正解/ダメ」なんてくくりはあるのだろうか?
読みやすい、読みにくい。有用である、有用ではない。
文章において様々な違いはあるだろうが、そこに「正解」というものはない。
それは書き手自身にとっても同じである。
推敲の中で文章を読み返した時、「書いた時の自分」と「読み返した時の自分」どちらが正しいと断言することはできるだろうか?もちろん、できないはずだ。
推敲はよほど慣れた人間が行っても、その日のコンディションや気分でかなり左右されるものである。そのため、本当は第三者の目を通じてチェックしてもらうことができるのであれば、それが一番良いだろう。
併せて率直な意見をもらえると、さらによい。
書いた文章を他者に批判、指摘されてムキになってしまうこともあるかもしれないが、その批判に言葉で反論しなければいけないとすれば、その文章は説明不足という証拠である。
他者からの意見は、それだけ多くの気づきを、書き手に与えてくれるものなのである。
【ぼっち・ざ・らいたー】
……そんな読者がいない場合は?
例えば、noteにあげる記事を毎回他者に確認してもうことはできないだろうし、メールの文面を毎回ダブルチェックしてもらっていては、自分も相手も仕事が進まないはずだ。
その時は「昨日の自分」でも「今の自分」でもない、もう一人の自分を読者にしてしまうこができる。この自分の名は「明日の自分」である。
人の考え方や思いは、時間や気持ち、環境、場面、様々な要素で変化するもの。
そういう意味では「今日の自分」と「明日の自分」は全く別人といっても差し支えないはずだ。
文章を推敲する時は、「書く自分」「読み返す自分」「もう一度読み返す自分」の3人がかりでチェックすることができるとよいだろう。
【振り返り用リスト】
第一講:リズム
第二講:構成
第三講:読者
最終講:推敲
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