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【一緒に勉強】文章力を高めよう・最終講①

原稿にはさみをいれる


*参考文献載せ忘れてました。申し訳ありません。



最終講の本題は「推敲」についてである。

この推敲という言葉、学生時代の読書感想文を書くときに、聞いたことがあるくらいで、久しぶりに耳にした方も多いのでは?

文章においてのこの作業は「映画の編集」によく似ている。

推敲とは「切る、貼る、足す」作業であり、書きあがった文章を少しだけいじってみたり、削ってみたりといった小手先のものではない。

切るべきところはざっくり落とす、文章の順番を入れ替える、足りない部
は大幅に追加する、といった大掛かりな作業なのである。

ということで、著者は推敲についてこのように述べている。

ハサミを使った”編集“こそが、推敲の基本なのである

古賀史健(著)20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社 e-SHINSHO)2012 p170

ということで、今回のテーマは「推敲」ならぬ「編集」である。

ここでは「書き終えた後の編集」と「書き始める前の編集」の二つについて、見ていこう。

【書き始める前の編集】

ここでポイントとなるのは、「何を書くか?」ではなく「何を書かないか?」という視点だ。

具体例を引用してみていこう。

たとえばあるビジネスマンが、こんな1日を過ごしたとする。

寝坊ギリギリの時間に目が覚めて、通勤電車で文庫本を読み、営業先で顧客の苦情を聞き、ランチに親子丼を食べ、会議のあとに上司からほめられる。恋人からメールが届き、喫茶店で週刊誌を読んで、夜の8時まで残業をこなし、家に帰ってバラエティ番組を見ながらビールを飲み、風呂に入ってパソコンの前に座る。

古賀史健(著)20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社 e-SHINSHO)2012 p171

日常文として日記を書くとして、このように箇条書きで羅列する、あるいはそれぞれの出来事について詳しく書いていくことは、あまりないはずだ。特に印象に残ったこと、イベント、あるいはその場で思いついたことなどを、ピックアップしてつなぎ合わせながら書いていくはずだ。

つまり、文章を書く前には「何を書くのか」という元ネタの編集作業が挟まるのである。

【ネタがない、はずがない】

文章を書く人にとって「話のタネ」は死活問題かもしれない。

そもそも文章を書くための「元ネタ」がなければ、何について書けばいいのかわからなくなってしまう。

しかし、本当に「書くことがない」から文章が書けないのだろうか?

実は、書くべきことは日常の中にたくさん転がっているし、頭の中にもうんざりするほど溢れ返っているはずだ。それでもネタがないというのであれば、ネットサーフィンをすれば、いくらでも魅力的なトピックスが見つかるのではないだろうか。

そう、逆なのである。

我々は「書くべきこと」「元ネタ」が多すぎるあまり、「本当に書きたいこと」が見つからなくなっていて、「書くべきネタがない」とぼやき始めることとなる。

SNSによる情報過多や疲れが近年問題として取り上げられているが、書き手においても同じく「情報過多」が「書けない」を引き起こしているのである。

これについて著者はこうまとめている。

素材も題材も、探す必要はないのだ。
問題は「なにを書くか?」ではなく、「なにを書かないか?」なのだ。

古賀史健(著)20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社 e-SHINSHO)2012 p172

必要なのは「何を書かないか?」という視点である。

【野菜ジュースではなくオレンジジュースを】

皆さんは野菜ジュースとオレンジジュースを飲んだことがあるだろうか?

野菜ジュースは十数種類の野菜や果物がミックスされた飲みものである。栄養価は高いかもしれないが、自分がどんな野菜の味を感じているか、わかりづらいの「足し算」の飲みモノである。

一方オレンジジュースは「引き算」の飲みモノである。

濃縮還元100%オレンジのジュースもあれば、あえて果汁を減らして「おいしさ」や「飲みやすさ」を実現したものもある。とはいえ、オレンジを減らしたとしても「オレンジジュース」としての味や香り、特徴的なオレンジ色は消えていないはずだ。

むしろ要素を減らすことで「オレンジ」の本質を、際立たせていることすらあるかもしれない。

オレンジジュースの本質は ①色 ②甘み ③香り ④酸味 とすれば、この4要素を外さなければ、それはオレンジジュースとして認識されるはずだし、この本質を見抜くためには、「足し算」ではなく「引き算」で物事を捉えていく必要がある。

日常文で求められることは、濃縮還元された野菜ジュースではなく、ゴクゴク飲めるオレンジジュースである。長々と枝葉を網羅するような文章ではなく、書き手が「本当に伝えたいこと」がすっきり伝わるような文章こそ、日常文に求められることであろう。

そのためには「消去法」ではなく、「自分にとって大切なものはなにか?」をあぶり出していく、書き始める前の推敲が必要となるのである。

それでは、次回はその具体的な方法について見ていこう。


ついに最終講です!
文章力の記事を書けば書くほど、自分の至らなさや能力の過信っぷりを突きつけられて、すでにHPは赤ゲージです。

「ひんし」にならずに最後までたどり着けるかは、皆様の応援次第となっております。いつもスキ、コメントありがとうございます!

なにはともあれ、この数ヶ月で文章に対する意識や書き方が、少しではありますが変化してきた感じはします。少なくとも、句読点の打ち方や音読して読み返す習慣がついたのはよかったかな、と。

起承転結やカメラの捉え方など、まだまだ取り組み切れていないテクニックも多くありますが、一つ一つ身につけていきたいところですね。

ということで、最終講もぜひ最後までお付き合いください。それでは。

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