【星蒔き乙女と灰色天使:最終話】ささやかな祈り
【9日目】審判を待つ世界を君と
ここから先は全てが終わった後書き足したものだ。結末は「8日目」の終わりに書いた通り。それ以上でも、それ以下でもない。
全ての出来事に答えは出せないし、その意味が明かされないものだってある。
何度も書いているけど、これは日記でもあり、小説でもある。どこまでが本当で、どこからが嘘なのか、それすらも曖昧な私小説。
だから、この話の結末がどうあっても、怒らないで欲しい。
だってそれが真実なのか、作者の望みで描いた「美しい希望」の偽物なのかも、あなたにはわからないのだから。
○
「遅かったですね」
ドアを開けると前回と同じように普通の喫茶店の光景が広がっていて、コーヒーの香りが鼻をくすぐる。ホロさんはちょうどコーヒーを淹れているところだったようで、ハンドドリップでお湯を注いでいた。他に客がいないところを見ると、自分用らしい。なんというか、本当に自由な喫茶店だ。
なんと切り出せばいいのか迷いながら席に着くと、彼はそう言ってコーヒーを差し出す。どうやら作っていたのは私のための一杯だったらしい。
なぜ私が来るタイミングがわかったのか、については考えないことにする。全てに答えを出そうとすると、頭がパンクしてしまいそう。
「・・・・・・それは、まあ・・・・・・」
決断した、とはいえ本当にその答えでいいのか悩みに悩んで数時間、気がつけばすっかり日は昇って、午後のティータイムに突入しそうな時間。この時間、カフェはアイドルタイムだと思うけれど、こんなにガラガラで大丈夫なのかしら。
「・・・・・・簡単には決められないです」
「ええ、もちろん」
どうぞ、とコーヒーを勧められる。そんな気分でもないけど、一口啜ると芳醇な豆の香りが鼻をついた。
「・・・・・・おいしい」
「当店のスペシャルブレンドです」
わざとらしいくらいに恭しく、胸に手を当てホロさんは一礼し、「隠れてないで出てきたらどうですか?」と、視線を私の隣に向ける。
「・・・・・・なんでバラすんですかぁ」
さっきまで何もなかったはずの空間に、急に見慣れた天使の姿。相変わらずミルクティブラウンの髪は午後の日差しを受けて煌めいており、背中には虹色の翼。色素が薄いせいか灰色の瞳は太陽光の中では少し、色が見え辛い。
「どこから」
「秘密です」
イタズラっぽく「えへへ」と笑って、すぐに真剣な表情に切り替えてカグラちゃんが私を問い詰めるように身を乗り出し、言う。
「来ちゃったんですね」
「・・・・・・うん、決着をつけにね」
そうですか、と残念そうな顔をして、カグラちゃんは俯く。彼女の感情にリンクしているのか、背中の翼の色が暗く濁っていた。
「どんな結末であれ、それがアキネさんの選んだ選択なら」
口ではそう言いながらも「考え直せ」とでも言うかのように口をへの字に結んで、私をじっと見つめてくるカグラちゃん。意思の強いその瞳からはミギの瞳と同じ引力を感じて、人ならざるものというのはみんなそうなのか、と不思議に思う。ちらりとホロさんの方を見ても、彼の薄紫の瞳からはそれほど力を感じなかったので、そうでもないのかとわからなくなる。
「私は応援しますけどぉ・・・・・・」
カグラちゃんはホロさんを前にすると少し甘えが混ざるな、と思う。言葉が少し舌っ足らずになるし、かわいさをアピールするみたいに言葉の方向が半分ホロさんを向いている。なんというか、相変わらずいじらしい努力。
そんな少女のささやかな愛情表現も鉄仮面のホロさんの前には無意味なのか、我関せずといった様子でホロさんはもう一杯のコーヒーを淹れている。すっきりとした香りが辺り一面に広がっていく。
「とにかく、コーヒーを飲んで考え直してみませんか?」
必死なセールスマンのように、どうかして彼女は私を決断から遠ざけたいらしい。ただ、確かにもう答えは決まっているのだ、一杯分のコーヒーブレイクをとってもバチは当たらないだろう。
「・・・・・・そうね」
カップを手に取って、もう一度口に運ぶ。深い苦みとコクが舌を突き抜け、脳を覚醒させる。
やや時間が空いて、カグラちゃんの前にもカフェオレが置かれる。彼女特製なのか、砂糖を3つとたっぷりミルクをホロさんが注いでいたのを視界の端で捉えていて、なんだかんだいって愛されているのね、と暖かい気持ちになった。
熱いカフェオレを冷まそうと格闘するカグラちゃんを横目に、少し考えてみる。コーヒーを飲みながら、なんてこともないことを考えるのはとてもリラックスできて、職場にもコーヒーブレイクの時間を取り入れたらいいのに、と思う。
気持ちを落ち着かせるために、少し目の前の情報を整理してみようか。
まずはカグラちゃんについて。彼女の髪は綺麗な金髪で、少しミルクを溶かしたようなミルクティブラウン。人工的には出せないようなその髪色につい目を奪われてしまう。逆に光を失ったような薄い灰色の瞳は天使というには少し機械的で、本当の天使なんて彼女しか知らないけれど、どこか特異な感じを覚えた。
ホロさんは見れば見るほど彫刻的な美しさで、白い肌と濃い紫の瞳が対照的なコントラストを描いている。髪も白銀と言っていいほどに白く、人ではない彼らの特徴は髪と目にでるのかな、とそんなことを考えた。
とすればミギの特徴は、星空を映したような漆黒と点在する星のような輝きだろうか。元々の濡れ烏の羽のような黒髪は一時期茶髪に染めていて、人ならざるものでも染めれば髪色が変わるのね、と今更可笑しく思える。
コーヒーは残り半分くらい。もう少しだけ、思い出を語ろうか。
あの日の言葉を思い出す。
「貴女とミギさんを救いたいんです」
もう、救われてるよ。そう、伝えたら、彼女はどんな顔をするだろうか。
嬉しそうに微笑むのか、嬉しくて泣き出すのか。それとも驚いて固まってしまうかも。
どんな反応であれ、それを彼女が否定することは考えられなくて「そんなつもりはなかったんですけどね」なんて照れ隠しに文句を言い始めるかもしれない。
きっと、ミギがここに居れば同意してくれるはず。
「アキを助けてくれて、ありがとう」って。
絶望の淵にいた、全てを諦めて、屍のように生きていた私を、こんな日の当たる場所にすくい上げてくれたのは貴女だから。ミギがいなくても、彼女の思い出に縋らなくても、生きていけるってそう思わせてくれたから。
「ありがとね、カグラちゃん」
軽く頬杖をついて、隣でカフェオレを飲む彼女に声をかける。すごく自然に、お礼が言えた気がする。もうこれで、思い残すことはない。
急にお礼を言われて数秒固まった後「そんな最後のお別れみたいに」と涙目になって私を見るカグラちゃん。想いが抑えきれなくなったのか、飛びつくように腕を私に回して、ぎゅっと抱きついてくる。
胸元で泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でながら、ホロさんにアイコンタクト。
全てを見通しているかのように彼は小さく頷いて、神楽の気が済むまでそのままで、と私に頼むかのように口の端を緩めて薄く微笑んだ。
○
カグラちゃんが落ち着くのを待って、改めてホロさんに向き合う。彼女も覚悟が出来たのか、目を閉じて深呼吸を繰り返していた。
私が口火を切る前に、もう一言だけとカグラちゃんが言葉を発する。
「貴女が正しい選択をすることを祈っています」と彼女らしからぬ冷めた口調。天使らしく慈悲深い表情で、どこか冷たい灰色の雪のような瞳のまま。
初めて天使らしい傲慢さで、彼女はそう言って再び目を閉じる。まるで、最後の審判を待っているかのように。
肝心のホロさんは私たちの挙動に興味なさそうに――視線だけはしっかり私たちを捉え続けながら、3杯目のコーヒーを淹れている。今度は誰のためのものだろうか。
三度コーヒーの香りがふわりと広がって、はやる心を落ち着かせてくれた。
「ホロさん」
私が呼びかけると、お湯を注ぐ手を止めて、顔をこちらに向けてくる。彼の表情から読心術の使えない私にもわかる、「この一杯を淹れ終わるまで待っていてください」だ。
少しの間、ポットからお湯が注がれる音だけが響いて、私とカグラちゃんの呼吸音だけがそれに重なる。
世界は静かなままだ、この後何が起こるかも知らないままに。
「お待たせしました」
ホロさんは小さく頭を下げて、私をじっと見つめてくる。薄紫色だったはずの瞳は深く、濃く、藍で染め上げたように暗く輝いていて、その光景がカグラちゃんの灰色の瞳と重なり合う。
きっと、何かが彼らの瞳の色を濃く、強く染めていて、その理由を私たちが知ることはない。それでもとても重大な場面に直面していることは嫌と言うほどわかっていて、その目から発せられるプレッシャーに押しつぶされそうになる。
「記憶は・・・・・・ミギとの、カグラちゃんとの、あなたとの思い出は」
言葉を切って、大きく息を吸う。
「あげられません。大切な、私だけの、なくしちゃいけないものです」
別に彼から頼まれて食べさせるわけではないのだから、今考えるとその言い方はおかしくて。でもその時はそんなこと考える暇もなく。
ホロさんは私の言葉を聞いて、一度だけ頷き、「わかりました」と自然な笑顔を浮かべる。初めて見た、私に向けられた笑顔の美しさと優しさに、ただただ目を奪われた。
少しだけ、本当に少しだけ、彼に恋してしまいそうになった。
そして、後でカグラちゃんにしっかり釘をさされた。
○
【 】この物語は終わるけれども
あれから、あのカフェは跡形もなく消え去り、ホロさんとカグラちゃん、二人と会ったのはあの日が最後になった・・・・・・なんて事もなく、今でも仲良く――少しだけカグラちゃんが私を見る目に敵意が混ざるようになってしまったけれど、過ごしている。
カグラちゃんは時々ベランダに引っかかっているし、うちに来たら来たで、まるで我が家のように、砂糖をたっぷり入れたコーヒーをおいしそうに飲みながら、おいなり・・・・・・じゃなくてフォークを抱いて、楽しそうにテレビを見ている。ベランダについては確信犯だし、他人のうちでくつろぎ過ぎだし、学生も大変なのか時々居眠りするし、どこか天使よ、と思わず言いたくなる。
それでも彼女が私を救ってくれたことに間違いはなくて、レースカーテンから零れた日差しを浴びて、すやすや眠る彼女の頭を撫でながら、娘・・・・・・いや、妹がいたらこんな感じなのかしら、と改めて思う。
「ねえ、ミギ」
「んー?」
みたらしをカグラちゃんのお腹の上に載っけて、いたずらしているミギに声をかけ、さっきの考えを伝えてみる。
「本当の妹はこんなに可愛くないけどね」
「あれ、ミギ妹さんいるんだっけ?」
「さあね、アキには教えてないから」
映像にノイズが入り、世界が拡散するように崩れていく。どうやら今日はここまでらしい。
目が覚めると夢の中のように暖かな日差しがカーテン越しに漏れていて、時計を見ればもうすぐ8時をまわるところ。今日は休みでゆっくりできるわね、とカレンダーを見れば小さく天使の絵が描かれていて、彼女は灰色の瞳で私を見つめてきた。
少しだけ考えた後、慌ててベットを飛び出して人を迎える準備を始める。とりあえず朝ご飯はパスして。顔を洗って、軽く化粧をして――
なんとか一息ついた頃にピンポンとインターホンが鳴って、画面を覗き込むようにカグラちゃんの顔が映る。
うちは防犯のためにカメラ付きインターホンで、一応天使もカメラには写るらしい。あれ、映らないのは吸血鬼だっけ?
「アキネさーん?」
間延びした声で私を呼ぶカグラちゃんに「今行くからまって」と声をかけて、玄関へと向かう。春が来て暖かくなってきたとはいえ、寒暖差の揺り戻しの激しい天候が続いており、まだまだ部屋用スリッパが欠かせない。ファーのついたふわふわのやつ。
カグラちゃん用のスリッパを玄関において、ドアを開けると、ピンク色のスプリングコートを着たカグラちゃんが立っている。アクセントの白ウサギが可愛らしい。
「おはようございます、アキネさん」
ぺこり、と頭を下げて礼儀正しく挨拶をしてくれるので、こちらもつられて一礼して「どうぞ」と部屋に招く。
「お邪魔します」と彼女は家に入ってきて、「可愛いスリッパですね」と私のものを褒めてくれた。
「それ、カグラちゃんに」
「あっ、私の分もあるんですね!嬉しいです!」
子供みたくわいわいと騒ぐ彼女を背中に「洗面所はそっち」と指示を出し、リビングへと戻る。あの日を境に抱えていた重荷が下ろせたのか、彼女は年相応にはしゃぐようになり、少し年の差を感じながらもそんな彼女の明るさに救われてはいる。
思い出は思い出のままで。言葉にしてしまえばたった一文だけど、ここまでこの物語・・・・・・日記、まあどちらでもいいのだけれど、を読んできてくれた読者さんなら、この一文の重さも意味も知ってくれているはずで、そこに秘められた想いが少しでも届くといいな、と思う。
でも、思い出して欲しい。最初に私が決めていたことを。
手を洗って、パタパタと足音を響かせながらカグラちゃんがリビングへとやってくる。
彼女は一人になった私を心配してか、時々こうして遊びに来てくれていて、何でもないような学校での話やホロさんとの恋愛模様(見立て通りまだ彼女の片思いらしい)を話してくれる。
片思いは現在進行形で難航しているみたいで、端から見ればそんなことないのにな、とそんなことを思いながらホロさんとの話を聞いている。
「コーヒーでいい?」
最近、新しい趣味をとコーヒーミルを買って、豆からコーヒーを淹れている。ただ、豆を挽く作業を言うのは中々に労力が必要で、一人分を毎回作るには私のやる気が至らずに、彼女が来ている時くらいは、と言い訳をしながら挽いたり挽かなかったり。
「砂糖とミルクたっぷりで!」
どうやら最近はホロさんの前ではかっこ付けて、毎回ミルクと砂糖少なめでコーヒーにチャレンジしているみたいだけれど、うちでは隠す気もないのか、市販のカフェオレより甘くして、コーヒーを飲んでいる。
まあ、コーヒーの楽しみ方は人それぞれだし、それをとやかく言うつもりもない。好きに飲めばいいのよ、嗜好品なんだから。
豆をスプーンで計りながらミルにいれ、ハンドルをつけて回す。少し粉が粗めだったので、臼を調整しながら、ゴリゴリと小気味よい音を立てながら豆を挽いていく。
ハンドルが回るたびに、コーヒーのいい香りが広がって、やっぱりいいな、と思う。今日の豆はベリーの香りが強く、あっさりと飲める朝にぴったりの一品。少し値段は張ったけど、特にお金を使う用事もないし、まあいいかなと思う。
「そういえば、こたつはもう片付けたんですか?」
まるで我が家のように、フォーク――ぬいぐるみのふわもこ狐、を枕にして床に寝転びながら、なんとなしにカグラちゃんが聞いてくる。
「こたつ?」
「はい、買うっていってませんでしたっけ?」
そんな話カグラちゃんにしたっけな、と考えながらハンドルを回していると、視界の端で彼女が「まずい」とでも言うかのような慌てた顔して「すいません、勘違いでした!」とうわずった声で言う。
「そんなに慌てていうことでもないでしょ」
「そそそ、そうですよね」
何にそんなに慌ててるのかしら、と思いながら、沸騰させていたお湯を、フィルターをセットしたドリッパーに注ぎ、温めてからお湯を捨てる。粉の準備はできたから、後は普段通りコーヒーを淹れるだけ。
粉をフィルターに落として、改めてお湯を注ぐ。白い湯気と広がる香りに心地よさを感じながら「もうすぐできるよ」とカグラちゃんに声をかけると、「いい香りですね」と平静を取り戻したのか、わくわくとこちらを見ながら、楽しみそうに彼女は笑みを浮かべる。
この時間になるとテレビ番組はニュースか通販番組ばかりになるので、つけていない。生活音だけが響くリビングに、彼女がいるだけで、一人でいるときより何倍も部屋に明るさが戻ってくるような気がして、夢を見た後には何よりありがたい。
ミギの夢は1週間に1度くらいのペースで見ている。そのどれもがあまりに現実的で、まるで今いる世界が夢で、夢見ている世界が本物の世界のような、そんな錯覚を覚えるほどにリアル。
このまま目覚めなければ、と思いながら、いつか夢の終わりが来て、ミギの言葉で目が覚める。初めての時のようにパニックにはならなくなったものの、目覚めが悪いのは事実で、それでも失った彼女に会えるというのは少しだけでも救われる気がする。
甘言に誘われて記憶を失ってしまえば、彼女はただの知らない誰かで、こうして夢の中でも会うことすらできなかっただろうから。私が生きている限り、ずっと覚えていてやろうと、それが私たちを呪った、知らない誰かへの復讐になるのであればなおさら。
二人分のコーヒーをカップに注ぎ、片方にはミルクを半分と角砂糖を二つ。私の分は気分で少しだけミルクを注ぐ。
黒い水面が白く染まって、柔らかなブラウンを作る。くるくるとスプーンでかき回せば、ゆったりと渦ができて、白い湯気が立ち上る。
結局、朝ご飯を食べる時間もなかったので、お茶請け代わりのクッキーを皿に載せて、カグラちゃんを呼んでテーブルまで持って行ってもらう。私はコーヒーカップを二つ持って、テーブルまで運ぶ。
「本当にいい香りですね」
「そうね」
そういえば彼女が遊びに来る日はいつも晴れている気がする。相変わらず日差しを受けて、七色に輝くミルクティベージュの髪が綺麗。
コーヒーに一息吐きながら、カグラちゃんの話に耳を傾ける。今日は友達と先輩と妖怪探しに行った話に(妖怪が存在する、ということは嫌でも認めないわけにもいかなかったので、そういうものだと考えることにした)、ホロさんのカフェに行くと、時々記憶が飛ぶような気がする話、近くの河川敷の桜が綺麗だった話、とあちこちに話が飛びながら、それでも楽しそうに灰色の目を細めながら話してくれる彼女を見ていると、なんだかとても癒やされて、しばらくとりとめもなく会話を続ける。
ミギと一緒にいたときは、私が7でミギが3くらいの会話ペースだったのに対して、カグラちゃんが相手だと、私の方が3くらいの割合で、本当に話すのが好きなのね、と優しい気持ちになる。きっと、友達や先輩の前でも、彼女はこんな顔で、楽しそうに、ころころと笑いながら、表情豊かに話すのだろう。
そんな彼女にこれだけ好かれているホロさんの事が少しだけうらやましくなる。こんなことを書くと私がどうやら惚れっぽいだけ、と思われてしまいそうだけど、このうらやましいは恋愛として、ではなくて、きっと私の前では見せないような表情も、彼の前ならいろいろ見せているんだろうな、と。
彼女の移り変わる表情たちを見ていると、なんだか元気が出てきて、すごくいいなと思う。
「そうだ、この後桜を見に行きませんか?」
外は快晴、寒暖差の激しい季節も越えて、やっと暖かくなってきた外気に触れるのもたまには悪くない、と了承してカーテンを開けて青空を眺めてみる。
そういえば、彼女が消えた日もこんな雲一つない青空の日だった。変に詩人ぶって、ろくでもないことを考えていたのを思い出す。
あのときはこんな事になるなんて思ってもいなくて、ミギを失った代わりに天使を手に入れた。いや、手に入れた、という表現はカグラちゃんに悪いかな。
「いい天気だね」
「もっと良くなりますよ」
どこか嬉しそうに、にこにこと明るい笑顔で私を見ながら。カグラちゃんが頷く。
「今でもすごくいい天気だけど」
「でも、もっともっと良くなるんです」
まるで未来でも見てきたかのように彼女はその場でくるりと回って、楽しげにころころと笑う。やはりその姿はどこか作り物めいて見えて、動作が実にアニメ的というか。
「だって、アキネさんには天使がついてるんですから」
今は、その言葉を否定する気もなくて、「そうね」と自然に微笑む事が出来た。
○
「あったかいですねー」
間延びしたカグラちゃんの声に同調しながら、先の話で出てきた河川敷を歩く。アスファルトで舗装された道は歩きやすく、時々川をカモたちが滑るように泳いでいくのが見える。
日も昇り暖かくなってきたためか、コートも私のうちに置いて、薄手のピンク色のカーディガンと黒のスカート、身軽な春色少女となった彼女の足取りは軽く、花より団子とでも言うかのようにポツポツと出ている出店に目を惹かれている。
香ばしいソースの匂いや甘いお菓子の香りに、朝食を満足に取っていないせいもあって、私もお腹がなってしまいそう。
意識を花に移そうと、頭上を見れば青い空と桜。自然に映える景色は、彼女が言ったことを裏付けるかのように希望に満ちていて、なにかこれからいいことが起きるんじゃないかと、甘いことを考えてしまう。例えば、蒼い桜を見つける、とか。星蒔きの少女に出会う、とか。
「それはアキネさんにとっていいことなんですか?」
「えっ・・・・・・うーん、自分の創作したキャラクターに会えるのは、いいこと・・・・・・なのかしら?」
「だったら、もっと会えたら楽しいようなキャラクターを作ればいいのに、私みたいな」
もはや、なぜそれを彼女が知っているのか、とか、本当に心を読めるのか、なんてどうでも良くて、流れに身を任せて話を続けたいと思った。この会話の糸をたどっていけば、本当に「誰か」に会える、直感的にそんな気がしていた。
「でも、アキネさんにとっての誰か、は私じゃないですもんね」
先を行くカグラちゃんが振り返って、声を出して笑う。桜と天使と青空、私が一端の絵描きであれば、涎誰の光景だろう。
と、刹那強い風が吹いて、桜吹雪が舞う。視界が薄桃色に沈められて、風が止んで目を開けると、そこにミギがいた。
「・・・・・・おかえり」
「・・・・・・ええと、ただいま?」
ミギ自身も何が起こったかわからない、といった様子で、それでも嬉しそうに宵闇色の目を細めて、私を見つめてくる。
こんなとき、どうすればいいのだろう。まさかもう一度会えるとは思っていなかったから、こんな場所で出会うとは思っていなかったから、次の言葉が見つからない。
少しの間の後ミギが動いて、ぎゅっと私を抱きしめてくれる。肉の薄いミギの体は少し硬く、暖かい。ふわりと夜の香りがして、微かに花火の後のような、楽しくて寂しい香りが混ざる。
そこでふと、思い出す。そうだ、この物語の終わりは。
私を抱きしめるミギの体を腕でそっと押して、真正面から向き合う。目と目が重なり合って、彼女の黒い黒い闇のような瞳に吸い込まれるように、キスをした。
そう、この物語は「二人は幸せなキスをして」おしまい。
それで、それだけでいいじゃない。
☆おしまい☆
この物語は(ほぼ)フィクションです。
【あとがきにかえて】
もしあなたがいまひどく辛い日々にいたとしても。
それが先の見えない暗闇のなかだったとしても。
あなたにとっての灰色天使がきっとどこかに居るはずだから。
もしかしたらそれは創作の世界かもしれないけれど。
それでも日々を諦めないで欲しいと、ささやかな祈りを込めて。
少しだけでもあなたの時間を楽しいものにできたのであれば、幸いです。 ぜひ、応援お願いいたします。