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海外の記憶 アジア

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#日記

海外生活の記憶 バンコック90’s 9  学校

海外生活の記憶 バンコック90’s 9  学校

バンコックでの子どもたちの学校についても少し書いて見ます。息子は小学校5年生だったので問題なく、日本人学校に入学です。バンコック日本人学校は当時、世界でシンガポールについで大きな日本人学校だったと思います。大型のスクールバスが何台も学校の前に駐車していて壮観でした。余り教育熱心な親ではなかったので学校のことはほとんど覚えていないのですが、タイ語の授業があったのだけは覚えています。娘の方は中学校3年

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海外生活の記憶 バンコック90’s 8 買い物

海外生活の記憶 バンコック90’s 8 買い物

自分の投稿を振り返って見ると年を取るとだんだん面白いことがなくなっているのだなと感じます。でもここまで続けたのでもう少し話を続けさせてください。

バンコックで生活をするとつくづく日本人が多いなあと感じます。勿論、自分がそういう環境の場所に行くので当たり前と言えば当たり前の話なのですが、バンコックには日本のものが何でもありました。日頃の買い物はフジ・スーパーというほぼ日本のスーパーと同じような品揃

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海外生活の記憶 バンコック90’s 7 洪水

海外生活の記憶 バンコック90’s 7 洪水

バンコックは熱帯地域らしく雨季には激しいスコールがあります。雨が降り出したら傘などほとんど役には立ちません。もともとメコンデルタの湿地帯に出来た街なので雨が降り出すとすぐに洪水になります。当時は多分排水設備も整っていなかったのでしょう。タイヤの半分くらいの高さまでの洪水なら問題なく車で出勤します。バンコックは平地で山がないので普通は雨が止めば、それ以上に増水することはありません。ただ、外出の途中で

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海外生活の記憶 バンコック90’s 6 ゴルフ

海外生活の記憶 バンコック90’s 6 ゴルフ

バンコックと言えばゴルフは外せません。まさにゴルフ天国でした。前にも書いた通り、メンバーになればグリーンフィーは無料でキャディー代が100バーツ(400円)くらいでした。タイはとにかく暑いので大きな傘が必要で私は皆さんを見習ってキャディーを二人頼み、一人にはその傘と折りたたみの椅子を持ってもらいました。これを4人のプレイヤーが全部やると12名のパーティーとなり、さながら大名行列状態になります。大抵

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海外生活の記憶 バンコック90’s 5 クーデター

海外生活の記憶 バンコック90’s 5 クーデター

92年のバンコック暴動事件はある意味、従来のタイの政治構造を変えてく契機になったものでした。それまでは軍部のクーデターは政府に対するお仕置きや警告のイメージが強く、政府の腐敗が度をすぎると定期的に起こっていて国民も軍部に声援を送るような雰囲気もありました。ところが、この時の暴動はその前年にあった軍クーデターのあと、いつもなら軍部暫定政府は短期間で民間に政権を移管していたのに、軍部は形だけの選挙を行

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海外生活の記憶 バンコック90’s 4 タイ料理

海外生活の記憶 バンコック90’s 4 タイ料理

タイ料理は私にとって世界最高と言ってもいいくらい好きな料理です。例えばソンブーンという店にあるプーパッポンカリーは一度食べたら病みつきになること間違いなしです。多分、今まで食べたカレー料理では最高峰です。好きなタイ料理と言われてもどれを上げていいかわからないくらい名前が出て来ます。

鶏を焼いただけなのにメチャクチャ美味しいガイヤーン、空芯菜のにんにく炒めパップンファイデーン、春雨サラダのヤムウン

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海外生活の記憶 バンコック90’s 3 タイ語

海外生活の記憶 バンコック90’s 3 タイ語

会社では現地スタッフはほとんど英語を話すことが出来たし取引先ともほぼ英語で取引が可能だったので、コミュニケーションの問題は比較的少なかった様に思います。というより取引先の場合、英米に留学していた人も多く、こちらより流暢にしゃべっていました。ところが80年代なかばまでは駐在員はほとんどがタイ語の語学研修生や留学生に限られていました。まだまだ取引先で英語を話せる人が大手企業や華僑系以外では少なかったか

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海外生活の記憶 バンコック90’s 2 マンション

海外生活の記憶 バンコック90’s 2 マンション

当時のバンコックの様子をもう少し書かせてください。タイが農業国から工業化へと変化し始めたころですが、そのきっかけは円高による日本企業の進出でした。まだ外資規制が厳しくて大抵は外資は50%以下に制限され、サービス業は基本的に参入禁止でした。その為、タイのパートナー探しがとても重要でした。場合によってはタイ企業からの出資は名義借りということもありました。華僑系の財閥が力をつけていった頃です。華僑は銀行

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海外生活の記憶 バンコック90’s 1 到着

海外生活の記憶 バンコック90’s 1 到着

1992年5月に起こったタイの暴動事件はクーデターの首謀者でもあったスチンダ首相と民主派のチャムロン・バンコック市長が国王の前にひざまずき、国王の指示を仰ぐというめったに見ることのないシーンで終結しました。その光景が何度もテレビに映し出され日本でも結構有名になった事件です。それまでバンコック市内は街頭のデモ隊に軍部が発砲するという大混乱が毎日のように続いていました。そして最後の最後に国王が仲裁に出

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