見出し画像

海外生活の記憶 バンコック90’s 6 ゴルフ

バンコックと言えばゴルフは外せません。まさにゴルフ天国でした。前にも書いた通り、メンバーになればグリーンフィーは無料でキャディー代が100バーツ(400円)くらいでした。タイはとにかく暑いので大きな傘が必要で私は皆さんを見習ってキャディーを二人頼み、一人にはその傘と折りたたみの椅子を持ってもらいました。これを4人のプレイヤーが全部やると12名のパーティーとなり、さながら大名行列状態になります。大抵は早朝にスタートして通しで18ホールをまわります。午前中の方が暑さがまだマシだからです。ある時、日本から来客があり、着いた翌日にゴルフをしたことがありました。その時も早朝からプレイしたのですが、5ホール目くらいでお客さんはフラフラとなり熱射病でダウンしてしまいました。慣れないと本当に殺人ゲームにもなりかねない暑さでした。大抵はプレイを終えるとゴルフ場内のレストランでタイ料理の昼食を取り、ゆっくりしたい人はその後ゴルフ場内のマッサージルームでタイマッサージをしてから帰ります。このマッサージが結構激しいもので海老反りにされたり、首をひねられたり、体重を全部かけられて前方屈伸ととてもハードなのです。でもこれが慣れると以外と病みつきになるのです。

そうそうプレイの途中に何度か売店で休憩をしますが、当時はリポビタンDをソーダ水で割った飲み物が流行っていました。今はどうなのでしょうか?元気な人はタイのシンハービールを飲んでいましたが、豪傑になるとウィスキーを持参してミネラルウォーターで割って飲んでいました。私も何度か誘われましたが、命に関わるのでやんわり辞退していました。

ゴルフ場は名士の社交場でもあり、いたるところでヤアヤアと声を掛け合っていました。わたしも元首相のチャチャイさんとすれ違ったり、銀行の頭取とも何度か挨拶を交わしたりしました。お金もちの華僑は賭けゴルフも盛んだったようで、大金が動くという噂も耳にしました。我々は日本風にオリンピックというグリーン上の賭けやインとアウトと合計で少しばかりの金をかけるくらいでした。ただ少額でも負けるとくやしくて皆さん必死ではありました。

そうそう大変なことを忘れていました。私がティーショットを大きく曲げて隣のコースに打ち込んだ時のことです。隣のコース行きは慣れたものでのんびりとボールを探しに行くとキャディーさんが倒れているのです。何度か人にボールをぶつけた経験はあったのですが、この時は全く違いました。なんと顔面直撃だったのです。急いでゴルフ場の人を呼んで救急車に来てもらいましたが、私はオロオロするばかりです。取り敢えず手持ちのお金をゴルフ場に渡し、治療代は勿論全部出すからと行ってゴルフ場を後にしました。この時も悪運強くゴルフ保険に入っていたので、その後のフォローアップなどは全て保険会社の人が丁寧にやってくれました。私は直接被害にあった方とコンタクトしないように言われていたので、詳しい様子はわかりませんでしたが、後日無事退院し、全て精算も終了しましたと保険会社の人から連絡がありました。いずれにしてもあまり思い出したくない酷い経験でした。

帰国の際にスコアカードを数えるとなんと4年弱の間に290回以上プレイしていました。当初は年間平均スコアが100くらいだったのが、へたなりに91まで上達しましたが、日本に帰って見てタイのゴルフ場がどれだけ易しかったか改めてわかりました。タイではほとんど平地で起伏がないのでフェアウェイでは楽に打てましたが、日本では前下がりとか右下がりとか簡単ではありません。又タイではお隣のコースからでも簡単に打てるし、時には近道になることもありましたが、日本はコースとコースの間の立木がしっかり育って必ず1〜2打はスコアを悪くします。そんなわけで又100たたきのプレイヤーに戻ってしまい、プレイ自体ほとんどやらなくなりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?