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海外生活の記憶 バンコック90’s 5 クーデター

92年のバンコック暴動事件はある意味、従来のタイの政治構造を変えてく契機になったものでした。それまでは軍部のクーデターは政府に対するお仕置きや警告のイメージが強く、政府の腐敗が度をすぎると定期的に起こっていて国民も軍部に声援を送るような雰囲気もありました。ところが、この時の暴動はその前年にあった軍クーデターのあと、いつもなら軍部暫定政府は短期間で民間に政権を移管していたのに、軍部は形だけの選挙を行ったものの継続的に政府を維持しようとしたことから国民の反発を招き、その結果として起こったものでした。農業国から工業化へと進むなかで中産階級が増え、民主主義に対する意識が芽生え始めたと言ってもいいと思います。

それまでタイでは華僑は余り政治の表舞台に出ないで、政府とうまくやっていくことを優先していました。それが政権との癒着を生み、時折起こる軍事クーデターの原因となっていました。政治家にも華僑系はいましたが、イメージ的には民族系が中心という感じで、選挙の際には立候補者が不都合だと消されるということも頻繁にありました。私がバンコックにいた時でも自家用車に拳銃が打ち込まれ殺された候補者の写真が新聞に載ったりしていました。都市部では民主化が進んでも地方ではまだまだ金が物を言う、そんな時代でした。

私の駐在している頃に一躍有名になった華僑がいました。タクシン・シナワトラという人で父はチェンマイの下院議員でしたが、本人は警察官僚で中佐までいったところで警察を辞め、いろいろな事業に手をだしては失敗をしていました。ところが80年代後半に警察にコンピューターを一手に納めることで大儲けをすると共にPHSや携帯電話の権利を取得することであっという間に財閥になって行きました。日系企業はこぞって端末や中継設備などの売り込みをかけ、延べ払いなどで資金手当まで協力していました。タクシンは華僑らしくPHSで一気に手を広げたものの時代が少し早すぎて需要が伸びず、借金の滞納が続き、97年のタイ・バーツの大幅切り下げで痛手を受けましたが、結局は大幅な事後値引きまでさせて生き残りました。その後、携帯電話の需要が急速に伸びて、持ち前の拡大路線は一気に花を開き、超巨大財閥にまで上り詰めるまでにそれほど時間はかかりませんでした。

その後、地方の貧しい人たちにお金をバラまくことで人気を高めたタクシンは2001年にはタイ国首相にまでなりましたが、その頃には国民の民主化意識も高まっており、結局、彼は失脚し、国を追われ現在もタイには戻れない状況が続いています。ただ、その後もタクシンの影響力は残っていて2011年には妹インラックが女性で始めてのタイ首相となりました。しかし彼女もまた2014年には不正人事で失脚し、軍事クーデターで拘束されるなど兄を同じ運命を辿り、現在もまだ海外に逃亡したままです。

華僑は一般的には余り表舞台に立たないのですが、タイは他の東南アジアに較べると華僑が割と自由に活躍出来た為、結果として小説を何冊も書けそうな人物が登場することになったのではないかと思います。

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