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海外生活の記憶 バンコック90’s 3 タイ語

会社では現地スタッフはほとんど英語を話すことが出来たし取引先ともほぼ英語で取引が可能だったので、コミュニケーションの問題は比較的少なかった様に思います。というより取引先の場合、英米に留学していた人も多く、こちらより流暢にしゃべっていました。ところが80年代なかばまでは駐在員はほとんどがタイ語の語学研修生や留学生に限られていました。まだまだ取引先で英語を話せる人が大手企業や華僑系以外では少なかったからです。私はタイ語が全く駄目なので、若干不安もありましたが、スタッフはタイにある英語学校や英語カレッジを卒業していたのでタイ訛りではありますが、ちゃんと英語で会話が通じるので問題はありませんでした。唯一タイ語でないと駄目なのは社有車の運転手でした。

勿論、運転手との会話以外にもお手伝いさんとの会話、買い物や旅行でもタイ語は必要なので一週間に一度はタイ語の先生に会社に来てもらい勉強しました。タイ語は声調が5つもあり、中国語の四声よりひとつ多いので発音はメチャクチャ難しいです。従い、少し習ったくらいでは日本人に慣れたタイ人以外にはほとんど通じないと言ってもいいくらいです。地方に行ったらもう完全にお手上げです。また男性と女性では使う言葉違ったりするので、夜のタイ語会話ばかりしているとすぐに誰に教えてもらっているかバレてしまいます。こんにちわは サワディカップ が男性で サワディカー が女性です。始めのうちはタイ人同士で喋っているのを聞くと語尾のカップとカーばかりが耳に残ります。結局私のタイ語は1年くらいで停滞し、それ以上進化することはありませんでした。

会社で仕事をしていて当時一番困ったのは小切手の数字がタイ語で書かれていたことでした。日本でもかつては数字の改ざん防止の為に敢えて漢数字が小切手に書かれていましたが、あのタイ語で書かれるとどうしようもありません。多分、皆さんも見たことがあると思いますが、みみずがいろいろな方向にうごめいているようで私は最初から習うのをギブアップしていました。私もその頃はジェネラルマネージャーになっていたので実務は基本的にタイ人のマネージャーに任せていて、小切手のみならずタイ語の文書ではマネージャーの翻訳を信じる他ありませんでした。今考えても何に事件も起こらず、よく無事ですんだなと感慨深いです。

タイの人は基本的にとてもおだやかで笑顔を絶やさない素敵な人達です。ワイといって手を合わせて挨拶をされるとこちらも丁寧に挨拶をしてしまいます。目上の人に対しては手をやや高く上げるそうで、部下に対してこんな仕草をすると相手が困ってしまうので少し意識して下げてするように教えてもらいました。そうそう人事担当のGMは日本へ留学した方で日本語が流暢に使え唯一のタイ人のGMでした。マネージャークラスは日本人の若手かタイ人のベテランが多かったと思います。若手のタイ人は優秀な人ほどマネージャーに抜擢するとすぐに辞めてしまうということもありました。タイの人はにこにこしていますが、結構ドライなところがあって、仕事に関しては欧米流のジョブホッピングが普通でした。日系のメーカーなどではマネージャークラスでも日本の課長レベルより高い給料でないととどまってくれないとぼやいていました。

いずれにしても国によって考え方もやり方も違うものです。日本には郷に入れば郷に従えという諺があります。その国で仕事をさせてもらっているという意識を持つことはとても大切だと思います。

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