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海外生活の記憶 バンコック90’s 2 マンション

当時のバンコックの様子をもう少し書かせてください。タイが農業国から工業化へと変化し始めたころですが、そのきっかけは円高による日本企業の進出でした。まだ外資規制が厳しくて大抵は外資は50%以下に制限され、サービス業は基本的に参入禁止でした。その為、タイのパートナー探しがとても重要でした。場合によってはタイ企業からの出資は名義借りということもありました。華僑系の財閥が力をつけていった頃です。華僑は銀行と不動産が大好きで、仲間内からの情報でいいと聞けば即決で買ったり、投資したりします。

伊勢丹が新しく出来たモールに出店したのもこの頃で、スクムビットには新しいマンション建設が続いていました。私の前の世代はろくなマンションがなく、水道から泥水が出てくるので水はしばらく出してから使うとか流しや風呂の水栓からゴキブリが這い出して来るなどという話も聞きました。それが金持ちになった華僑たちによるマンション建設ラッシュのお陰で一気に改善すると共に、その後の日本のバブル崩壊やバンコックの暴動の影響でマンションの価格は値下がり、賃貸価格も同じように下落していました。

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私がマンション探しをしたのはそんな環境の時でした。お陰で質のいい新しいマンションがよりどりみどりです。私はスクムビット地区の中でも少し市内から離れたところで小綺麗な白亜のマンションを見つけました。9階建てでプール付き、ジム設備あり、門番も居て警備も万全です。バンコックでは新しいマンションは高層のものが多く、9階建ては比較的こじんまりとした部類に入ります。このマンションは各階が一家族用となっていてエレベーターを降りるとそこはもう家の中です。400平米もあり4ベッドルームが真ん中の居間とダイニングを囲むようにあって、台所の奥にはあやさんと呼ばれるお手伝いさんの部屋もありました。居間が無駄に広すぎて落ち着かないのであとになって小さめのビリヤードテーブルを置いたくらいです。日本人が住む場所より遠くにあったのでそのマンションに住んでいたのは白人だけでした。あとで分かったのですが、このマンションのオーナーは自動車販売会社のタイ側パートナーで前の首相ともお友達という大財閥でした。一度彼の別荘にマンションの住人が全員招待されてセレブ気分を味わったことも今になると想像も出来ないような出来事でした。


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