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最近赤ストライプのシャツを着るように変わったメーカー勤務・栄治(56)【 創作・読切 】

  

昨日の雨から一転、気持ちの良い快晴。

  

すずめがピョンピョンとたくさん寄ってきては飛び立っていくという、若干の肩透かしをくらって苦笑する。

   
  

4月に内勤に異動になった。

  

いままでは外回りの交渉役だったからなんだか少し物足りない。その代わり、出勤は寒色系のインナー中心のスーツをやめた。若干カジュアルなジャケットを羽織ってノーネクタイ、普段着のバージョンアップ版。例えばジーパンを履いたとしても、ワイシャツはちゃんと着る系のカッチリ感覚は残した雰囲気が理想だ。

  
  

この歳で経験の少ない現場を預かるのはなかなかきつい。若い頃には想像もしなかった俺の未来像、時折萎えて下を向きがちになってしまう。当時は自分のキャリアが停滞もしくは下がることなんて考えもしなかったし、そういう先輩たちもいなかった。部長まですんなり進んで役職定年、シニア雇用で隠居生活的に後輩指導、自分のサラリーマン人生もそうだと思って疑わなかった。

  
  

元来、近い年代の同僚とは仲が良かった。そして皆成績も良かった。いいライバルとして切磋琢磨し出世を競い、自分はちょっとふわふわキャラだったからか4番手か5番手、30代中盤ぐらいで早めの課長昇進、営業所もたくさん任され、所長と呼ばれる。部下を指導し、得意先のフォローを行い、営業所経営の数字をまとめ・報告などと忙しくも楽しい日々を送っていた。

  
  

雲行きが変わりだしたのは、後輩が一足飛びに本部長付の部長代理に昇進したあたりだろうか。様々な外部研修を受けていたそいつは、俺たちの嫌いなカタカナ語を操る、しかし可愛げのあるタイプ。頼まれたら断れないし、数字のことだって期待に応えたくなるが、年上の上司とはやっぱり違った。

  
  

数字が苦しくなっても相談しづらいとか、やっぱりそういうところがあるよな。そうこうしているうちにだんだんそいつと本部長のお友達というか、紹介されあった別地域の人材が幹部会に招集されるようになっていった。そして幾年か過ぎた頃に俺も不本意の第1回目の異動。

  
  

営業所から本部に戻れたものの、新規開拓やら新素材やらなにやら難題を担当させられ疲弊、実績が出せないまま、後輩たちからは窓際族に近いような扱いを受けることになる。

  
  

聞くところによると、最近は、先輩の部長職まで行った人は、会議の議事録をまとめること以外なんの業務もなく、毎日会社で息しているだけに近いと言っていた。知らなかったなー! 
工場長を経験した人で、介護のために海外赴任から戻って来た人も、窓際扱いで、様々な資料の閲覧をしてアドバイスがあればするってだけの役回りをさせられてるらしい。
そうやって、みんなDXとかを言い訳にリスキリングさせらせて、骨抜きにされて、65歳定年を迎えるのだろう。

  
  

あ、そうだ、俺どうして結婚しなかったんだろう。まあ、好きになっていい人が分からなかったからか! 
この歳になると好きな人とかそんなことどうでもよくなるよな。ただ差しさわりがなくて寂しくなければ、老後を一緒に過ごす人は、どんな人でもいいんじゃないだろうか。
( 互いに、要介護になったらどっかのホームにいく約束でいいし )
仕事で自己肯定できなくなっても、プライベートが少し豊かだったら、いくらかこれからの自分の人生を肯定できるかもしれない。

  
  

婚活でもするか、笑。



どこで、どうやったらわからないから、同僚とでも話してみるか。
やばいサイトで引っかかっても、困るしなー。笑

  
  …

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