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性格が悪くなるその前に

手取りが少なくなってからというもの、私自身の「余白」が無くなっているような気がする。
よく分からない文字の羅列がメモられているのか、ただ単に黒く塗りつぶされているのか、はたまたその両方か――いずれにしろ、何も無い時間は涙が溢れそうになる。

私は家に食費代20000円を入れているのだが、前述の影響でそれをするのができなくなった。代わりに40000円を一時的な借金として受け渡した。先日返してもらったが、結局20000円の捻出は叶わなかった。
「その分残業すれば良いのでは?」という考えもある。しかし上司から「その分社保代が跳ね上がるからやめとけ」と言われたので、なるべく定時で上がるようにしている。余った時間で執筆やナレーション営業ができるので、そういう意味でのワークライフバランスは上手いこと成り立っているのだろう。

でも私は、20000円を稼げていない。

稼ぐためにはある程度のシステム構築が必要だとナレーターの先輩から教わった。私の場合、はてブロのアフィリやポイントサイトがそうだ。前者は最低週イチで更新するようにしているし、後者は昼休憩で巡れるだけ巡る。ポイントは貯金みたいなものだからすぐに換金しようとはしない。目標を達成して初めて換金できるのであって、それをしたらまたイチから貯め始めなきゃいけないからだ。
となると、手っ取り早いのは「物書きナレーター」としての仕事である。現時点では執筆に重きを置いているから是が非でも頑張らなきゃいけない。

しかし、そうは問屋が卸さなかった。

クライアントから「待った」の声を貰ってしまった。それは継続を意味するのか、そのままフェードアウトするかは分からない。ある程度の信頼構築が生まれるとついあーだこーだ言ってしまう節があるので、それがマイナスに働いたと考えられる。
noteでいう「共感」を示していれば、展開は変わっていたかもしれない。実際それをイメージしてみる。そこには、気遣い100%の愛想笑いがこびり付いていた。簡単には落とせなくて、何も考えられない。その場を見繕うことで許しを得ようとする自分にとてつもなく腹が立った。

腹が立つと、挑発のような冗談を本気として捉えてしまう。
なんだか超えなければならない壁を眼前に置かれたようで、怒りに身を任せて登りたくなる衝動に駆られるのだ。爪が剥がれようが肉が裂けようが、私は私自身が嫌いだから意地でも乗り越えてみたくなる。それを超えたら人としてマシになれそうだし、実力を示せるから。叶えられないのなら力で示すまでだと強がってみせる。
下剋上するところなんて、本当はどこにもないのに。

今の私は性格が悪くなる寸前まで来ている。
まともな人になるべく毎日頑張ってなんとか生きるけど、その頑張りを褒めてくれる人は意外と少ない。
褒められたいから頑張っているわけではない。ただ思うのは、たった一人の家族を養うために自分の命を賭してまで精を出す状況に、誰がストップしてくれるのだろう?母はそうしてくれたけど、私にとってはその人本人のためにやっているからお門違いに思えてならなかった。

「誰のためにやっていると思っているの?」と言いたくなる。家族に対してではない。
私は納税の義務がある。それを果たさないと、自らの価値を下げてしまうから。
何もしないとバカにされるのがオチだ。だからせめて「何かしていて、生きるのに一生懸命なバカ」として見られることにしよう。

褒められることを期待して。

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