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ブラック♥ラブレター

 下駄箱の中に一通の手紙が入っていた。

 『新谷くんへ』と書かれた封筒は黒い色をしている。一方使われているペンはというと、そこはかとなく真っ白だ。愛くるしさを感じさせる丸っこい文字から察すると―相手は女子に違いない。新谷はそう確信して、手紙をカバンの奥に入れ込み、内履きを履いた。

 教室はいつも賑やかすぎて、まるで入る隙間がない。新谷はクラスメイト全員が別の世界の住人に見えていた。パリピが織りなす空間に放り込まれた瞬間、新谷は自ら率先してその場に漂う空気に変身する。ただ呼吸をし、喋らず、些細なことで騒ぎ出す者たちの神経を刺激させないように、時が終わるまでじっと、自らの存在が露見されずに過ごすつもりだった。
 最初は張り切ってクラスに馴染もうと努力した。誰彼構わず話しかけられるだけ話しかけた。話し下手でもLHRで決め事をする際にしゃしゃり出たこともあった。
 クラスメイトたちはこぞって新谷を持ち上げたが、誰一人、話しかけることはしなかった。彼らにとって、新谷は面倒事を押し付ける身代わり程度でしか見ておらず、クラスメイトによる一部のグループLINEでは新谷の情報で埋め尽くされていた。新谷がそれを知ったのは入学して3ヶ月目のことだった。

 夏休みの補習が終わり、新谷の前に座っていた女子生徒の机の中に一台のスマホがあった。当の本人は何も気づかずに身支度を済ませてそのまま席を立った。自分がスマホを忘れていることに気づいていない様子だった。
 新谷は机のスマホを手に取りすぐに彼女を追った。幸い教室を出たばかりだったので、追いつくまでそう時間はかからなかった。スマホの持ち主は、新谷もよく見知った顔―クラスメイトの鮎川だった。
 鮎川は新谷からスマホを渡されると、眉間にシワを寄せてこう言った。
「通知とか見てないよね?」
「個人情報だろそんなの! 見てないよ」
 新谷は明るい口調で反論する。
「冗談だよ、もう。じゃあね」
 鮎川はそう言うと、新谷から背中を向けて階段を降りた。その様子を見送るまでもなく、新谷はすぐに自分の身支度を整えて鮎川と同じ階段へ向かった。

 あれから、鮎川とは一回も話をしていない。それどころか、新谷は学校に通うことが馬鹿馬鹿しく感じていた。
 新谷ができることは、忌々しいクラスにじっと身を潜めて静観することしかなかった。手紙を受け取ったワクワク感を押し殺しながら、ずっと―。

 自宅に戻り、例の手紙を開けてみる。便箋もまた封筒と同じくらい黒く、白のインクがよく映えていた。文字はやっぱり丸っこかった。

新谷くんへ
 突然のお手紙でごめんなさい。同じクラスの鮎川です。
 補習の時はありがとうございました。スマホがないと、ウチは困ってしまうので、もしこのまま置き忘れていたらどうなるかと思いました。
 新谷くんは明るくて優しい人ですよね。もう少し自分を出してもいいのになと思うけど、ウチが話し下手っていうのもあるので、声をかけるのをずっとためらっていました。学校で仲良くすると、すぐに「付き合ってる」ってウワサになってしまうので。
 だから、人知れず下駄箱の中に入れてみました。めっちゃ昭和レトロって感じがあるけど、ウチは新谷くんと仲良くなりたいです。
 明日の放課後、学校近くのコンビニへ来てもらえますか?そこでいろんなことを話したいです。イートインで待ってます。

 やっぱりラブレターだった。しかも相手は同じクラスの女子から―!
 新谷は誘いに乗るか否か考えた。鮎川もまた、自分と同じ気持ちで過ごしていたら、友達を通り越して恋人になれるかもしれない。そう考えると、クソみたいな学校生活も少しはマシになるのではないか?
 はやる気持ちを噛み締めながら、新谷は一人妄想に耽りだした。

 放課後を迎え、新谷はすぐにコンビニへ走り出す。この辺りのコンビニは一軒しかないから、きっとそこのイートインスペースで待っているに違いない。
 おやつは何を食べようか、鮎川が好きなものってなんだろうか、話って一体何なんだろうか―純粋と邪心が入り混じった感情は楽しみの一言に尽きる。
 彼女はもう着いてるかな、それともまだ来てないのかな? 新谷の心はクラスで感じる息苦しさをモロに忘れ、異性と話をするという期待しか頭になかった。
 この交差点の先に例のコンビニがある。渡れば最後、今までの人生で一番幸せな時間がやって来る。新谷は猛ダッシュで交差点を渡った。

 その時―新谷は猛スピードで迫ってきた軽自動車と正面衝突した。衝突のはずみで身体は宙を舞い、数メートル先のコンビニにまでふっ飛ばされた。駐車場が血の池に変わった。

 一方、何も知らない鮎川はコンビニへ向かおうと学校玄関を出る。その手には、白のペンで『鮎川さんへ』と書かれた黒い封筒が握られていた。送り主は、受取人しか分からない。

(1973)

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