こころのおそうじ③
最近目を覚ますと
既に過去のどこかの記憶中にいる。
嫌な記憶だ。
嫌な感情に包まれる。
手足が重くて力が入っている。
その感情をじっくり味わったら、
「結局それを選んだのは私だったんだ。」
「今なら絶対それを選ばない。」
ここに来る。
ここに辿り着いたら
その記憶は消えていく。
今朝はその後、
お風呂に浸かって
念入りにシャンプーをした。
その後、
起きた時に
どこのどんな記憶の中にいたのか
思い出そうとしても
もう思い出すことはできない。
その記憶が消えたわけではない。
その時の嫌な感情が消えたわけでもきっとない。
今はひとつひとつ湧き上がってくる嫌な記憶を、
今の私がもう一度感じてみて
昇華させる時期なのかもしれない。
そんなことする必要、
本当にあるのか分からない。
ただ、いまだに過去にすがろうとする自分や、
そんな過去を持っている自分のことを
かわいそうでしょ!なんて、思っている自分が、
まだここにいるだけなのかもしれない。
それはみっともないことなのかもしれない。
でも湧き上がってくるものは仕方ない。
自分の過去であることは事実なのだ。
自分の一部であることは事実なのだ。
湧き上がってきたら、
抱きしめて成仏させてあげようと思う。
ところで、
未来をクリエイトしていくには、
現実を生きる意識が70%~80%、
未来をクリエイトする意識が20%~30%の割合が
いちばんよいのだそう。
過去を考えている割合が多いと、
そっちに引っ張られて、
今を生きることや未来を考えることに
力が行かないのだそう。
その観点からすると
今の私は過去に引っ張られている感じもする。
でも、
湧き上がってくるものに無理やり蓋をして、
無理に今のことや未来のことを考えることも難しい。
過去を抱きしめてあげることも
未来に進むために必要なことなのかもしれない。
「なんでこんな生き方してきたんだろう」
「なんでこんな人生を選んでしまったんだろう」
自分が間違いの人生を送ってきたと
自分の過去を否定するのではなくて、
今まで生きてきた自分を認めてあげること。
あの時の私は、
生きて行くためにそれを選ぶしかなかったんだ。
あの時の私なりの最善を選んだ結果が
その選択で人生だったんだ。
がんばったよね。ありがとう。
だから私は今こうして生きているのかもしれない。
でも、
今の私なら、
もっと違う道を選べる。
もっと苦しくない道を。
もっと楽に生きられる道を。
もっと、
本当に生きたい道を。
あれ?
今の私が選びたい道は
何だったっけ。
どこに向かってるんだった?
そうそう、
今、がんばってることがあるじゃない!
そこに向かい続けないと!
信じて頑張らないと!
ほらね。
もう今と未来に向いてきた。
これでいいのかもしれないな。
未来のためにできること。
ひとつでいいから何かしよう。
今日しよう。
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