見出し画像

君たちはどう生きるか

「君たちはどう生きるか」宮﨑駿監督の新作を見た。宣伝などの前情報もなく、原作の本も漫画も読んでなかったので、全くまっさらな状態で映画館に向かった。

平日のレイトショー。晩ごはんを食べて、先にシャワーも浴びて髪も洗ってサッパリして夏の夜風に当たりながら歩いて映画館に行く。帰ったらその余韻を感じながらお布団にダイブすればいい。なんという贅沢。

内容についてはここでは書かないけれど、あの日、あのタイミングで観れて良かったな~と。これから少しずつこの作品を好きになり続けていくんだろうな、そして折に触れて何度も観る作品なんだろうなと思った。

鑑賞中、2回、なんとも言えない感情が迫り上がってきて、涙しそうになった場面があった。「なんでそこで泣く?」というような、ストーリーとは直接的に関係がないように思える涙なんだけど、そこにはわたしにしかわからない大事な思いや願いがある。

きっとこれから思い出したり、また観たりしていく中でその都度、新たに意味や自分だけの物語が生成されていって、観る度にわたしも変化し続けていくのだろう。そして、それはお腹の底から生きていくことへの力を呼び覚ましてくれると思う。

見終わって最後に席を立つときの感じというか、こころの感触みたいなものがその映画のすべてを物語ってるんじゃないかといつも思う。

帰り道「君たちはどう生きるか」というタイトルが反転したかのように「わたしたちはどう生きてきたのか」という問いを投げかけられたような気がした。

この作品は子ども向きじゃないという風に言われたりもするけれど、そこでいう「子ども」って何なんだろう?そうやって「子ども」を現実から引き剥がしてきたこともあるんじゃないかな?これは上映中に感じていたことでもある。

理解できなくても、感じることはある。今、わからなくても、時間を経て成長したときに何かが芽吹くこともある。今しか感じられない何かをつかみ、それを元手に現実を作っていくのは大人も子どもも同じなんじゃないかな。

子どもたちにもこの作品が届けばいいなと、かつての子どもは思った。

この作品を観た先週は「石」が日常の様々な場面に現れて、わたしの心を揺らしていた。物言わぬ「石」わたしが生まれる前から存在し、わたしが逝った後もおそらくそこにあり続けるもの。自分のいのちより長い時を刻んでいるものたちへの敬意というか、それらが持つ力、自分に与えてくれる力を軽んじてはならないな、観ながらそんなことも思った。

いい作品は自分の中にあるものを掻き回し、ひっくり返し、ごちゃごちゃにして、そしておだやかに沈静させていく。波打ち際を歩くと砂が舞い上がり水が濁る。足を止めてしばらくすると海水が澄んできて、魚や貝殻の存在に気づくみたいな。

観て数日経って、やっと感想を言葉にできた。ちょっと力が抜けて楽になった感じがする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?