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来世のお楽しみ

もうすぐ3月も終わり。この時期は卒業や卒園など旅立ちの季節でもある。友人や生徒さんのお子さんも新たな節目を迎えることが続いていて、おめでたい春だ。

3月8日は国際女性デー、婦女節だった。寝る前にそっと呟いたツイートにいいねを下さった方がたくさんいらして嬉しかったと同時に、これまでのことをいろいろ思い出して、その夜はポロリと涙がこぼれた。

女性って何だろう?女に生まれたことに意味はあるのか?女性だからこそできること、できたこと、できなかったこと・・・その中には出産や子育ても含まれていて、自分自身のそれにふれるのは心がチクッとすることもあるけれど、その痛みも歳を重ねるごとに少しずつ落ち着きどころを見出して、今は心に小さな居場所を見つけた。

リーディングやレッスンで出産や子育てについて経験のない自分がご相談に乗れるのだろうか、そのような案件をお預かりしていいのだろうか、若かった頃はそう思っていたこともあった。

そして、そんな気持ちもだんだんと薄れていき、いつの間にか消えていた。さまざまな出会いと経験がいつしか自分をたくましく(図太くかな、笑)してくれたんだろう。

なぜか私の友人たちは子沢山が多くて、3人兄弟や4人兄弟の家族がたくさんいる。血のつながりのないおばさんとして、遠からず近からず微妙な距離感で子どもたちの成長を共にして来た。子どもたちを次々お風呂に入れてのぼせてフラフラになったり、一緒に運動会に参加してかけっこしたり、キャンプしたり、川に飛び込んで遊んだり。楽しい思い出がいっぱいある。

この20年で子育てを取り巻く状況は大きく変化した。20年前はベビーカーを押したり、乳児を抱っこしたりする男性はまだ珍しかった。今じゃショッピングモールや公園でよく見かける風景だけど。子育てのタブーや常識などもずいぶん変わった。20年前の常識はもう通用しない。

ここに来て、また子どもたちと接する機会が増えている。時々お邪魔する友人宅で同じ食卓を囲みながら、今じゃすっかり「おばさん」を通り越して、「おばあちゃん」の心境になっている自分がいる。孫がいても、ちっともおかしくない年齢になったのだ。

かれこれ15年くらい前になるだろうか、東京のとある占いハウスに足を運んだことがあった。カーテンで仕切られたブースがいくつかある、そんなところ。そのときは特別何かに悩んでいたわけではなかった。友人との待ち合わせまで時間ができたので、ふらっと立ち寄った占いハウス。占って下さった方は小さなラップトップの画面にスターゲイザーを立ち上げてチャートを作成されていた。その前後に何を話したかはよく覚えていないのだけど、たぶん恋愛のことを話したのだろう。占い師の方は私のサウスノードが4ハウスにあることに触れ「前世で良いお母さんだったんだと思いますよ」とおっしゃった。

そのとき、何故だか急に涙が出て来て、テーブルにこぼれ落ちるかのような勢いでボロボロと流れ始めた。止めることもできず、どうしていいかわからなくて、あたふたしたのを覚えている。そして、涙を拭っていた次の瞬間、終了を知らせる無機質なアラーム音がピピッ!ピピッ!と鳴り出して、ビックリして涙が止まった。

「延長なさいますか?」

その占い師さんのひと言で我に返り、一気に現実に引き戻されたのだった。今じゃ、笑い話だけど。でも、やっぱり、あのアラーム音は苦手だ・・・それっきり占いハウス的なところには足を運ばなくなった。

それから時は過ぎ、ある時期、お客様や生徒さんがリーディングやレッスンの終わり際に「お迎えの時間大丈夫ですか?」と私におっしゃることが続いた。はて?私は子どもいないんだけどな?と不思議に思っていると、どうやら私に子どもがいると思って気遣ってくださっていたようだ。

子どもはいないんですよと事情を話すと、「あ〜すいません。てっきりお子さんがいらっしゃるもんだとばかり思っていたので」とお話しされた。

自分では子どもは好きだけど、そんなに母性たっぷりということもないし、自分にはお母さん的な要素は無いな〜と思っていたから意外だった。

だけど、自分にもそういう何か母性に似たようなものが備わっているのかもしれないと、そのときに胸のあたりが暖かい感じになったのを今も覚えている。




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